4:結婚と旅
ローワンさまは、おじさんとおばさんにお金を支払ってわたしを買い取り、そしてあの家から連れ出した。
自分の物をほとんど持っていなかったわたしは、着の身着のままでローワンさまについていくことになった。
そして連れて行かれたのは、貴族のお屋敷のようなところだった。
豪華なお屋敷、その離れの一室に入って、ソファーに座って、落ち着かずに周囲を見回す。
その部屋は、たくさんの本棚と本が並んでいた。本棚に収まりきらない本が、床に積み上がっている。
「ローワンさまは、貴族なのですか?」
恐る恐る聞いたわたしに、ローワンさまは笑って首を振った。
「いいえ。このお屋敷はとある貴族の別邸でして。そのさらに離れを使って良いと言われているだけです。今、その貴族のところで仕事をしてましてね。ああ、その仕事にあなたも関係しているのですが」
説明の言葉を聞いても、ローワンさまが何者なのかはよくわからなかった。
ローワンさまはわたしと向かい合うように座って、わたしを見た。
「それでですね。あなたには、僕と結婚して欲しいのです」
唐突な言葉ではあったけど、わたしは買われたのだ。
そういうものなのだろうと頷いた。
「ええと、はい。わたしはそのために買われたのでしょうか」
「買われた……ああ、そうか、すみません、話の順番を間違えました」
ローワンさまは骨ばった大きな手で目元を覆った。
しばらくそのまま何か考えている様子だったけれど、手をおろして、またまっすぐにわたしを見た。
「順番に説明しますね」
「はい……」
「僕は異文化を研究している学者です。今はこのお屋敷の貴族に雇われています。そして、僕は異国に旅をして、その土地の文化や風習を研究します。その研究の結果を、報告します。その報告の中に、例えば交易に使えそうなどといった情報があることを、望まれています。僕は異国を見て回ることができて、貴族の方にとっては情報が手に入る。そういう雇用関係です」
わたしは頷くこともできずに、ぼんやりとその話を聞いていた。
自分の今までの暮らしからは想像がつかない。
けれど、そういえば、父さんは旅をしているのだと母さんが言っていた。
異国を巡るというのは、父さんのようなことなんだろうか。
その父さんだって、わたしは顔も知らないし、どんな暮らしをしているかなんてわかっていないのだけれど。
「その調査の報告のために、僕は絵を描ける人を探していました。本当は自分で描けたら良いのでしょうけど、お恥ずかしい話、僕は絵が相当に下手でして。ええ、どうしようもなく……その、何を描いたかわからないだけでなく、僕の絵を見るとみなさん笑うのですよね」
「そうなんですか……」
「そうなんです、笑われるんですよ。それで、旅に同行して絵を描ける人を探していたんですが、なかなかちょうど良い人が見付からずで。その、長旅になるので、条件面での折り合いがつかなかったりとか、まあ、いろいろありまして。そんなときです、ちょうどあなたを見付けたのは」
ローワンさまが話しながら身を乗り出してきた。
「イリスさん、あなたにはわたしの旅に同行して、そこで見たものを絵に描いて欲しい。絵と言っても、絵の具などで描くのではなく、ペンだけで……スケッチと言いますか。見た景色、そこにある物、動植物、暮らす人たちの様子など、描かなければならないものはたくさんあります。それを全部、絵にして欲しい」
わたしは落ち着かなくなって、視線を逸らしてしまった。
「あの、そんなこと……わたしに、できるかどうか」
「できます!」
力強く、ローワンさまが頷いた。
わたしは瞬きをして、ローワンさまを見る。
「ぜひ、あなたにお願いしたいんです」
ああ、まただ。
この人の言葉で、わたしの心の奥に、小さな炎が灯る。
その温かさはわたしの指先にまで巡って、それでわたしは動けるような気がしてくる。
自信はなかったけれど、わたしはなんとか頷いた。
「……頑張り、ます」
わたしの言葉に、ローワンさまがにっこりと微笑んだ。
「良かった。それでですね、できるだけ急いで出発したいんです。ここまで、同行人が決まらずになかなか出発できなかったもので」
「えっと……はい」
「出国の手続き、僕はもう終えているのですが、あなたはこれからということになります。ですが、これから申請をするとなると、手続きを終えるのがだいぶ先になってしまう」
「そうなんですか……?」
「そうなんです。出国に関しては手続きが長くかかることが多く、下手するとここから二ヶ月足止めになってしまう。それは困ります」
「それは……大変そうですね……?」
「はい。なので、こちらの都合で申し訳ないのですが、イリスさんには僕と結婚してもらおうと思います」
話の繋がりがわからなくて、わたしは首を傾ける。
何も言えないでいたのだけど、ローワンさまは気にすることもなく、言葉を続けた。
「結婚に関する申請であれば、手続きが終わるのが早いのですよ。当日にはもう終わる。そして、家族であれば僕の出国申請だけで国外に連れて行くことができる」
つまり、ローワンさまは早く調査に行きたいから、わたしと結婚する、ということだろうか。
「え、えっと……あの……ローワンさまは、それで良いのですか?」
ローワンさまは、穏やかに頷いた。
「僕はもう、早く調査に行けるなら、なんでも構いません。イリスさんには、こちらの都合ばかり押し付けてしまって、本当に申し訳ないのですけど」
「いえ、そんな……わたしは、その……」
結婚というのは、そういうものなのだろうか。
そうも思ったのだけど、考えたらわたしはローワンさまに買われて今ここにいるのだ。
だったら、つまり──そう望まれているのなら、そうするしかないってことじゃないだろうか。
「では早速、明日に結婚の手続きを終えてしまいましょう。それから旅の支度を進めて、いえ、僕の支度はだいたいできているのですが、イリスさんの荷物が必要ですから。イリスさんの服はどこで用意できるかな。何日で出発できるか、考えないといけないですね」
「えっと……はい……」
ローワンさまは、わたしの返事なんか聞いてないみたいに、手帳を出して何事か書き始めた。
その表情は、とても楽しそうで──きっと、異国への調査の旅というのが、それだけ楽しみなんだろうとは思う。
そんなわけで、わたしは結婚して、旅に出ることになったのだった。
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