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カメラ

放課後の部活が終わり、教室に戻ってきた時のことだ。夕日に染まる教室の中、整然と並べられた机の上にカメラが一台ポツンと置かれているのに気づいた。

どこにでもあるような、小さめの黒いデジタルカメラだ。誰かの忘れ物だろうかと思いながら、ふと何かに導かれるようにそのカメラに手を伸ばした。


パシャリ。


誰もいない閑散とした教室の中、寂しげな音が響く。撮った写真を見てみると、薄暗いせいかピントのぼやけた、黄色い花が写っている。私のクラスの担任は植物が好きで、よく教卓の上に道端で摘んできた花を飾っているのだ。

上手く撮れなかった写真を消そうとしたところで、手に持っているカメラにシャッターボタンとデリートボタンしかついていないことに気づいた。今どきこんなカメラあるんだな、と少し不思議に思いながら写真を消去して顔を上げたところで愕然とした。


教卓の上に飾られていた花が忽然と消えていた。ほんの数秒前まで存在していた小さな可愛らしい花は、初めから何も無かったかのように小さな花瓶を残して幻のように姿を消していた。今この教室には私しかいないのだ。あり得ない、とどこか薄ら寒いものを感じながら、ふと思い立って肩に掛けていたカバンを漁る。

筆箱から取り出した消しゴムを机の上に置き、カメラを向ける。パシャリ、とシャッターを切り、机の上に消しゴムがあることを確認してから震える手でデリートボタンを押した。


夏が始まったばかりの七月の生ぬるい風が、じっとりと汗ばんだ頬を撫でる。

机の上の消しゴムは忽然と姿を消していた。



このカメラについて分かったことがいくつかある。

まず、見た目は普通のカメラとほとんど変わらない。本来なら色々と付いている筈の機能はなく、写真を撮って消すことしか出来ない。しかしこれが問題で、撮った写真を消すとそこに写っていた対象物も消えてしまう。消えたものがどこに行ったのかは分からない。ただ、初めから何も無かったかのように忽然と姿を消してしまうのだ。


そして更に困ったことに、私はこのカメラを手放すことが出来ない。

教室でこのカメラを拾ったあの日、あまりの恐怖にカメラを放り出して逃げ帰った先で自分の部屋にさも当然のようにこのカメラが置かれていた時は、一体どうなっているのだと呆然としてしまった。それから何度かカメラを捨てようとしたものの、どこへ捨ててもいつの間にか自分の周りに戻ってきてしまうので、今では諦めて毎日持ち歩いている。


そんなこんなで初めのうちは得体が知れず恐ろしかったこのカメラだが、最近はそう悪いものではないのかもしれないと思っている。

例えば、お菓子を食べ終わった時。空の袋をパシャリと撮って消去すれば、わざわざゴミを捨てに行かなくて済んでとても楽だ。登校途中に見かけた空き缶などを気まぐれに消すのも最近の日課になっていた。


-


「授業始めるぞー」


昼休みが終わり、だんだんと眠気が襲ってくる五時間目。気だるげな声と共にガラガラと扉を開けて教室に入ってきたのは、やる気がなさそうな態度で有名な数学教師だ。

数学は嫌いだ。いくつかある苦手科目の中でも特に出来ないのが数学で、定期試験ではいつも赤点ギリギリの点数を取ってしまう。こんな授業なくなってしまえばいいのに、と思ったところでカバンの中にあるカメラのことを思い出した。


パシャリ。


教卓に置いてある先生の教科書にピントを合わせて写真を撮る。私の席は後ろの方なので少し撮りづらいが、写真には教科書がしっかり写っていた。


「そこ、授業中にカメラを使うなー。没収するぞ」

「すみません、板書を撮ってたんです」


さすがに音で気づかれたのか、此方を向いて注意してくる先生に言い訳しながら、カメラのデリートボタンを押す。

板書を終え、次の問題に移ろうと教卓の上を見た先生が不思議そうな顔をした。


「…あれ? ここにあった俺の教科書知らない?」

「さっきまで其処にありましたよね。どっかに仕舞ったんじゃないですか?」

「お前ら、授業が嫌だからって俺の教科書隠したんじゃないだろーな」

「そんなことしませんって!」


生徒と言い合いながら暫くガサゴソと教科書を探していた先生だったが、やがて諦めたのか、前に座っている生徒から教科書を借りて授業を再開した。

私は机の中に隠したカメラに手を伸ばし、しかしここは真面目に授業を受けておくか、と思い直してシャーペンを持ってノートに向き合った。


-


「ごめん、用事が入ってたの忘れてて…。どうしても明日じゃないと駄目だから、遊ぶのまた今度にして!」


両手をパチンと合わせて謝ってきたのは私のクラスメイトだ。

今のクラスでは特に仲良くしている子で、一ヶ月程前から遊ぶ約束をしていたのだが、その日に好きなアイドルグループのライブがあるのを忘れていたそうだ。

ごめんごめんと謝る声に気にしないで、と返しながらどこかモヤモヤした気持ちになる。明日遊びに行くのを結構楽しみにしていて、そのために前から色々予定の調整などをしていたからだ。


「本当にごめん!また今度遊ぼうね!」


もう帰ろうと席を立つ姿に、ふと思い立って声をかける。


「ねぇ、明日のライブのチケット、今持ってるの? 中々手に入らないレア物なんでしょ? 良かったら見せてよ」

「もちろん! 倍率すごくって、ホント取れたのがマジ奇跡だよ…」

「凄いね! へえ、最近のチケットってデザインもオシャレなんだね。写真撮ってもいい?」


パシャリ。


教室を出ていく友人に手を振り、手元のカメラに目を落とす。

写真には、ポップなデザインのチケットが一枚写っている。私は少し迷ってから、デリートボタンを押した。


-


母と喧嘩をした。

きっかけは些細なことだ。買い物に付き合って欲しいと言ったらそんな暇はないと食い気味に返され、カチンと来て言い返し、そこから口論になった。

イライラとしながら部屋に籠もっていたが、喉が乾いて仕方なく部屋を出る。キッチンに行く途中、リビングのテーブルに置いてあるパソコンが見えた。母がいつも仕事で使っているものだ。その持ち主はトイレに行っているのかそれとも出かけているのか、その姿は見えない。私はあんたの為に働いているのにそんなくだらないことに付き合わせようとしないで、と言った母の声が思い出され、ムカムカとした気持ちが胸に広がる。


パシャリ。


パソコンを写真に収める。私は迷わずデリートボタンを押した。


-


今日の体育は苦手な球技だ。

私は朝早く学校に行き、体育館倉庫に向かう。そしてバスケットボールがいっぱいに入ったボールカゴにカメラを向けた。


パシャリ。消去。


-


下校途中、家に続く道を塞ぐように黒い車が止まっている。運転手はいない。


パシャリ。消去。


-


野良猫にエサをあげたら、思いっきり引っ掻かれた。

腕に引かれた三本線からダラダラと血が流れ落ちる。無言で猫を見て、カメラを向けた。


パシャリ。消去。

-





パシャリ。消去。パシャリ。消去。パシャリ。消去。パシャリ。消去。パシャリ。消去。パシャリ。消去。パシャリ。消去。パシャリ。消去。パシャリ。消去。







ずっと好きだった男子に告白して振られた。


「ごめん。俺、好きな人が居るんだ」

「そうなんだ…。ちなみに、誰だか聞いても良い?」


名前を聞くと、一組の子だと分かった。可愛くて、学年問わずとても有名な子だ。

放課後、ふらりと一組の教室を覗く。夕日で赤く染まる教室の中、一人机に向かって勉強している女の子がいた。


緩慢な動きでカメラを向け、ピントを合わせる。


パシャリ。






-


教室に入ると、クラスメイトに騒然とした様子で話しかけられた。


「聞いてよ、一組の女子が昨日から行方不明なんだって。ほら、すっごく可愛いので有名だった、あの子みたいだよ」

「そうなんだ…。怖いね、誘拐とかなのかな?」

「まだ分からないけど、心配だよね…。早く見つかるといいな」


掛けられる言葉に相槌を打ちながら、自分の席に座る。そして、今日は何を消そうかな、とぼんやりと外の景色を眺めた。


パシャリ。


唐突に鳴った音に、弾かれたように後ろを振り返る。

見えたのは此方に向けられたカメラのレンズ。そこには机の上に置いていたカメラを手に持って立つ、仲の良いクラスメイトの姿があった。


「凄いね、カメラなんて持ってたんだ! これ結構良いやつなんじゃない?」

「はは、最近買ったんだ…。ねえ、それ返して?」

「勝手に使ってごめんね。 …あー、ちょっとブレてる! 失敗しちゃったかな?」

「大丈夫だから! ねえ、お願いだからそれ返してくれない?」

「ごめんって! そんな怒らないでよー。ほら、撮り直してあげるからさ」

「良いから!早く返せ!!」


荒い息を吐きながら、黒いカメラに必死に手を伸ばす。

開いた窓から吹き込んできた涼しい風が、ブワリと髪を揺らす。九月の下旬、もう夏も終わり少し肌寒い筈なのに、今や私の制服のシャツはじっとりと嫌な汗で濡れていた。


「だーかーらー、ごめんって! ほら、今消してあげるからさ」

「お願い、やめ

































「あれ、なんだこのカメラ?」


夕日の差す放課後の教室。少年はポツンと置かれた黒いカメラを手に取った。


パシャリ。

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