2.山犬と兄妹と
「……アスタロトさんてこの国の話にも詳しいんですか?」
「いや? ただ、たまにはそんな話しもいいかなって」
怪談と言ったが、怖くはないという。
具現化した神魔が観光に訪れる現代だがこの国の見えないものは見えないままだ。
むしろ、遠いおとぎ話か、普通に伝承の類のようだと三人は顔を見合わせている。
「そんなに長くはない、むかし語りだよ」
「ちょっと興味あるかな」
「外一番暑い時間だしな。怖くないならオレも聞いてみたいかも」
話し手が変わっただけでこの反応。
面白そうにそれを眺めながらアスタロトは話を始めた。
「むかし、都落ちをした侍がいたそうだ」
「……すみません。確認ですが怪談ではないですよね」
都落ち、侍。の時点で、何か惨殺の空気しか漂ってこない。
怖がらされるべく怪談をされていた先入観が少し刷り込まれている。
「違うよ。正しくは、侍らしき青年だった。その青年には妹がいて、どういう経緯か彼らは都から北へと旅路を辿っていた」
普通の話だ。静かな語り口が聴衆も黙らせる。大人しく三人は聞いている。
「その途中の山道で、兄妹は山犬に出会った。山犬はこれもどういうわけか、大けがをしていた。むかしの日本には送り犬なんて言われるものがいて、それこそ人間が襲われていたらしいけど、酷い怪我だったので兄妹は手当をして、犬が歩けるようになるまで看ていたという」
お約束と言えばお約束な感じだ。が、送り犬なるものを初めて聞く秋葉はつい、復唱をする。
「送り犬?」
「私聞いたことあるよ。むかしは徒歩移動で山道になると山犬がひたすら着いてくるんだって。それじゃない?」
「それこそむかし話っぽいけど、ひたすら着いてくるのが襲うの? 送るだけっぽい名前じゃない?」
むしろ、道行を守ってくれるように聞こえる。しかし、それは間違いだとすぐに理解する。
「転ぶと途端に襲われたらしいね。襲う隙を伺っていたのだろうけど、彼らは人間の言うことが分かるのか、転んだ瞬間に一休みだと言うと襲われないという。そして次の村まで来るといつのまにか姿を消していることから『送り犬』と呼ばれたらしいよ」
「……転んだ瞬間に一休みとか演技、難易度高い」
全国的な話ではないらしいが、だからその地域を通る人間は送り犬には注意をするのだとアスタロトは付け加える。
「送り犬でなくても、むかしは盗賊だの野犬だの、けっこう危なかったという話では?」
「そうだね。だから兄妹もひと気のない峠や山を越えるときは気をつけていた。でも、怪我をした者は見捨てておけないっていうのはとても人間らしい」
小さく微笑うアスタロト。話は続いている。
「けれど、先も急がなければならない。そうして犬を見捨てておけなかった二人は、その犬を連れ立つという奇妙な旅路を再開した」
空気が動いた。風が再びカーテンを揺らしている。
「群れから見捨てられた山犬は、二人についていく。足取りはゆっくりだったけれども、二人と一頭は僅かな間ともに旅をした。けれど、結局山犬は助からず、死んでしまった」
「……なぜ?」
「人間たちに殺されたんだ」
昔話と分かっていても。つい、驚きの色を浮かべてしまう秋葉。
当時は衛生状態だって悪かったろうから、感染症だとか助からないリスクの方が大きかっただろう。
むかし話なら、ハッピーエンドでしかるべき流れだ。けれど、結局人間が殺した、というその末路。
「その先の村では、山犬による被害を受けていた。行き交う人も襲われたし、家畜も襲われたのかもしれないね。兄妹は賢明だった。当然にそんな可能性も考えて犬を村はずれの茂みに隠していたが、みつかってしまい……犬は死ぬまで殴られ続けた」
「撲殺とか、怖いです」
「動物虐待、と言いたいけど被害を受けていれば当然なのかな……」
現代に生まれた人間にとっては、複雑な心境だ。
その山犬だとて一頭ではなかったろうから、群れで何かを襲うことはあったかもしれない。
生きるためなら当然と言えば当然の行為。けれど、村人の憎悪は逃げることにも不自由なその犬に、一心に向けられてしまった。
「当然に、騒ぎを聞きつけた兄妹はそこへ駆けつけたが遅かった。村人に打ち捨てられた山犬が、息を引き取る寸前まで冷たくなっていきながらも最後に感じたのは、あたたかな雨だったという」
雨。そういえば季節は? 誰ともなしに聞き返す。
「どうだろうね。ただその後、兄妹が道を逸れた山へその犬を運んだことから、暖かい季節ではなかったとは思う」
「山へ? というか雨は」
「当然に。情の移った妹の落とした涙だった」
「……そこはすごく昔話っぽいですね」
「そうだね。殺された命にとって最後に感じることができたのが温かさだったのは、幸か不幸か」
殺されることがなければ、感じることもなかった温かさ。アスタロトの語り口は繊細だ。
「博のある兄妹は知っていたんだ。そこから少し先へ行った山域では、山犬は大切に扱われている。殺された村では憎悪の対象でも、そこでは田畑を荒らす害獣を駆逐する、守り手のような存在だった」
「……何か、やるせない」
「エサが多いから人間を襲わなかったのかな。でも、同じ土地に暮らすんだもん、関係はその方がいいよね」
感情論というよりは理系的な見解でもあるが、忍の言葉にはあるべき共生が滲んでいる。その通りだ。草食の生き物は田畑の実りを、肉食のそれらは草食動物を食すのが自然。そして人は田畑から恵みを受ける。
バランスが取れているからこその共存でもあったのだろう。
「でも、兄妹が運んだのはそんな場所じゃ安らかに眠れないからとかそういう理由なんでしょう?」
本当に大事なのは気持ちを汲むこと。忍が先を促した。
「そうだね。犬族は群れを作って生きている。寂しくないように、というのもあったんだろう。けれど亡骸を抱えて悠長にはしていられない。日の沈みかけた山の中腹で、兄は犬を埋葬し、妹は手を合わせた。『この子が寂しくないように。どうか、仲間として迎えてあげてください』」
「あ、オレ涙腺緩みそう」
語り手が違うだけでただの民話に感情移入できてしまうのがすごい。ゆっくりとしたアスタロトの口調は優しく、涙を誘う。
「そして、山犬は無事、その山に迎え入れられた。けれど山を下り始めた頃にはもう日は沈み、民家も大した道もなく、頼りない灯りを手にした兄妹は何日も山をさまようことになる」
すみません、アスタロトさん、それ怪談じゃないですよね。
さっきと同じことを聞きたくなったがそこはぐっとこらえる秋葉と忍。
邪魔する者もなく、話は続いている。
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