後編
お酒を飲むと自分がどうなるのか、あまりわからない。お仕事でお酒を飲むことがあっても、ほんの一年くらい前までは未成年だったし、飲酒するほとんどがお仕事の付き合いの場だけだった。だから、こんなに頭が朦朧とするのは初めてだったし、呂律がまわらなくて、言っちゃいけないことまで全部口に出ちゃうのを自制できずに咲良にうざ絡みをしてしまうのも許してほしい。
「もう本当に最悪。好きだったのに」
「……そんな人、やめちゃえばいいじゃないですか」
「でもさ、五年待ってくれてたんだよ。わたしも酷いこと、してたかもなって」
「それって五年間、その人に彼女がいたのかどうかなんて先輩は分からないでしょ」
「そうだけど、絶対に浮気なんてしてない。絶対にしてない、はずだったのにぃ」
自分は泣き上戸だったのだろうか。ぼろぼろと涙がこぼれてくるし、視界はぐわんぐわんと揺れて咲良の顔が良く見えない。だけど、咲良はこんなダメダメになっているわたしを見ても引いてないし、なんならこんなしょうもない愚痴に付き合ってくれてるだけいい子だ。
お酒は今何杯目だっけ。無意識に「おかわり」と店員に注文していて、前の席に座った咲良から「もうやめときましょうよ」と注意される。頭がふわふわしているから、咲良がそれを本気で言ってるのかどうかなんて分からないし、楽しいからずっとこのままわたしは飲み続けていたかった。彼のことを何も思い出したくなかった。
「我儘だったんだよ、わたし。アイドルになることも、彼の恋人になることも、両方叶えたかった」
「でも先輩は偉いですよ。アイドルなんて隠れてこっそり他の男と付き合ってました~みたいなの日常茶飯事なのに真面目に卒業するまでは純潔を保ちたいって」
「あ、馬鹿にしてるでしょ」
「してないです。尊敬してるんです」
お酒を止められて、大きなカップに入った水をたくさん飲んだ。酔いは少しずつ覚めてきたけれど、だんだんと瞼が重たくなっていく。わたしは眠気には逆らえなかった。だけど、後輩の前で寝落ちするわけにはいかないと思って必死に意識を保とうと頑張ったけれど、体は無意識にゆらゆら揺れ、こつんと何かが頭にあたったような気がした。
■
目が覚めると、そこは知らないベッドの上だった。ふかふかの白いお布団。二度寝したくなるくらいの気持ちよさに、わたしは一瞬負けそうになる。と、同時に「起きましたか?」と聞き覚えのある声がした。咲良だ。
「先輩、あれから寝ちゃったんですよね。危ない、危ない」
「何が危ないのよ。あ、違うわ。お金、払えてない。奢る約束したのに。もしかして立て替えてくれたの、ごめんね」
「それは、別に奢ってもらうためにご飯誘ったわけじゃないからいいんです」
奢ってほしかったわけじゃない? 昨日と言ってることが少し違うような気がして違和感があったけれど、わたしはそれ以上は深く追求しなかった。
「ここは?」
「うちです。先輩の家とか知らないから、とりあえず寝落ちちゃったのでここまで運びました」
「へぇ、咲良のおうちなんだぁ」
咲良はうちのグループでは可愛い担当で、ふわふわのフリルの衣装を着て、すこし天然ぽいことを言うキャラで売っている。甘え上手で、可愛がりたくなる後輩。そう思っていたのに、何だろう。家での姿を見たのが初めてだからか、少し印象が変わった。いつもふわふわに巻かれた髪は頭の上におだんごになってヘアピンでとめられていて、着ている服もフリルがついた可愛いパジャマじゃなくて、男の人が着ていてもおかしくない無地のグレーのスエットだ。
「先輩は送りオオカミとか、されたことないんですか。不用心ですよ」
「送りオオカミって、だって一緒に飲んでたの咲良だよ。そんな心配」
「でも、結局お持ち帰りされてるんですよ。先輩は」
急に近づいた咲良の顔に、思わずわたしは息をのむ。すっぴんなんだろうけど、さすがアイドルと思わせるような綺麗な肌、大きな瞳、つやつやの唇。そういえば咲良はこの前の雑誌の「なりたい顔ランキング」みたいなのに上位入賞してたな、と思い出してわたしは彼女に見とれていることを無理やり正当化させようとした。
「先輩、あたしの話聞いてくれます?」
「……え、あぁ、うん?」
「だって、昨日はたくさん先輩の愚痴を聞かされたんだから、あたしだってちょっとくらい話してもいいですよね。今日は二人ともオフだし」
咲良の声はいつもより少し低く、何でか怒っているように聞こえた。でも、顔はにっこり笑っていて、目と耳の情報が一致せずに脳がばぐりそうだった。
「あたし、昨日失恋したんです」
彼女の告白に、わたしは思わず大きな声を出してしまった。わたしと同じタイミングで失恋、そんな偶然あるのかすごい! くらいのテンション感で、なんならメンバー内の恋バナなんてご法度だったから聞けることが少し嬉しくもあったから、つい身を乗り出してしまった。
「ずっとずーっと大好きで憧れで、理想だったのに、実は好きだった人がいたなんて言われて」
「うん」
「しかも、その人と付き合って結婚して子供を産む人生設計図まで考えてたって話されて」
「うん?」
なんか、聞いたことがあるような、無いような話だ。
「で、よーく話を聞いてたら別れ話が出てきたってその人愚痴を吐いたんです」
「……へぇ」
「じゃあ、チャンスじゃん、って思ったんですよね」
「……」
「これって、あたしが悪いと思いますか」
ベッドの上にのぼってきた咲良は、わたしの手をぎゅっと握る。上目遣いのその大きなアイドルの瞳は、容易に狙った人間の心を奪うことが可能だろう。どくん、とわたしの心臓が脈打つ。
「あたし、ずるいですか?」
軽く肩を押され、そのまま押し倒される。上に覆いかぶさった咲良は困ったようにわたしの頬に手を添えた。
「先輩はアイドル卒業したから、恋愛解禁ですよね。でも、あたしはまだだめですか。でも、早くしないと先輩可愛いから他の誰かの物になっちゃうと思うんです」
「……」
「いやだなぁ。せっかくのチャンスなのに、逃したくないんです。ごめんね」
ひっつくだけの可愛いキスに、わたしの顔は真っ赤になっていて、咲良の顔を上手く見れなかった。咲良のことを恋愛対象として見たことなんてないし、そもそも咲良がわたしを好きなんてそんなこと、一度も。
あ。そうだ、思い返せば、小さなことの積み重ねだったかもしれない。研修生時代から何故かわたしに懐いて、何かいい結果が出ると一番にわたしに報告してくれた。褒めるときに頭を撫でると幸せそうな笑顔を見せてくれて、わたしが卒業すると決めたとき一番ショックを受けていたのは咲良だった。
「知らなかった。なにも」
「だって、先輩の頭の中は違う誰かでいっぱいだったんでしょ」
「……そう、なのかな。違うと思う。わたしがアイドルをやってたとき、一番はファンだったよ。私の恋人はファンだった」
「じゃあ、先輩はあたしの好きを受け入れてくれる? そしたらアイドルとしてのわたしに幻滅しちゃう?」
甘い誘惑に、わたしはゆっくり敗北する。絡みついた手が離れることはない。優しいキスがもっと深くなって気持ちよくなることをわたしは初めて知ったし、彼女の体温が少し高めなことも今日初めて知った。
「わたしのことを好きなのはアイドルとしての咲良?」
「ちがうよ。あたしがあたしとして好きなのは、いつも前向きで一生懸命で、ときどき頑張ろうとしすぎてから回っちゃう可愛い先輩だよ」
「……そっか。じゃあ、わたしはもうアイドルじゃないから、許すも許さないも決めるのはわたしじゃないよ。咲良は推しじゃないから」
「……推し、じゃないんですか」
咲良のしょぼんとした顔が可愛くて、わたしにぎゅっと抱き着く彼女の頭を優しく撫でる。
「恋人になる気はないんですかね、咲良さん」
「……へ」
すっとんきょうな声をあげて、わたしを見つめる彼女の顔は何でかすごく面白かった。自暴自棄になっていたのだろうか。愛されたかっただけで誰でもよかったんだろうか。咲良の告白を受けれたのはそんなちっぽけな理由じゃない。
愛が一生続くわけじゃないなら、今だけでもわたしはその幸せに餓えていたかったんだ。
「先輩、好きですぅ」
ずっとわたしに抱き着いたまま離れない咲良が絞り出すような声でそう言った。泣いてるのか、ぐちゃぐちゃの笑顔にわたしもつられて笑顔になった。
銀テープが舞い落ちる。たくさんの声援が降り注ぐ、ライトが眩しくて、色んな音が反響して、いつもと違う世界が見える。その景色を見るのがわたしは大好きだった。
藤宮しおんはアイドルを卒業した。自分を好きだと言ってくれる人と幸せになりたい。そんな我儘な女の子にこれからなるのだ。
銀色に隠れてる 花乃 @loveberry
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます