銀色に隠れてる
花乃
前編
パンっという破裂音とともに銀色のテープが宙を舞う。ステージを照らすライトはキラキラと眩しくて、観客席がよく見えなかった。
イヤモニからの音とお客さんの歓声が入り混じって、ぐわんぐわんと脳が揺れる。わたしはこの日、きっと最高の笑顔で歌っていたと思う。この上なく、幸せだったから。
■
卒業ライブ当日、好きだった人から「付き合ってる人がいる」と連絡があった。これは世にも奇妙な話だった。だって、彼がわたしのことを好きだと言ったのに。
彼とはアイドルになる前に出会った。中学の同級生で、わたしと同じくアイドルが好きで意気投合して、一緒に推しのライブを見に行ったりした。一緒にいるうちに彼がわたしのことを好きになってくれたらしい。それは、とっても嬉しいことだった。わたしも彼のことが好きだったし、このときにちゃんとわたしが告白を受け入れていたら世界は変わったのだろうか。
そのタイミングで、ちょうど受けていたアイドルグループの事務所に入所が決まった。念願だったアイドルになれる喜びと同時に、わたしの理想のアイドル像が自分の感情を邪魔して言葉を詰まらせた。
わたしは、アイドルはファンに夢を売るお仕事だと思う。それは一種の疑似恋愛だ。推しにはファンだけを見ていてほしい。少なくとも、恋人がいるなんてそんなことを考えたくない。ただ、自分のために歌って踊ってくれていると錯覚させてほしいのだ。それがわたしの理想のアイドルで、なりたかったアイドルだった。
好きだけど、今は付き合えないと言うと、彼はしょんぼりと顔を伏せて「ごめんね」と言った。友達関係がこれで終わってしまうと思ったのだろう。わたしも、そうなってしまうことが怖かった。だから「卒業したら、付き合おう」と彼を引き留めた。彼は「本当に?」と疑うようにわたしの顔を見て、わたしは必死に頷いて彼の手を握った。「じゃあ、待ってる」彼はわたしを信じてそう言ってくれた。
わたしも彼のことが好きだったから。彼が待ってくれるなら、わたしは全力でアイドルをやり終えたあとに幸せになればいいと、そんな安直なことを考えていた。
五年の月日が経った。わたしは二十歳を超えて、念願だったドームツアーも成功させて、テレビやラジオなどに出演して、グループのセンターで歌って踊るアイドルになれた。後輩たちも成長して、グループをもう任せることができる。わたしはやりたかったことをすべてやった。賞味期限がもうすぐやってくる。卒業は、自分の意思で決めた。
卒業したらなんとなく彼と付き合って、彼と結婚して、彼の子供を産んで、ひとりの女性として幸せになるんだろうなって思ってた。だけど、卒業公演の前に、一通の連絡が入った。「いま付き合ってる人がいるんだ。ごめん、君とは一緒になれない」
わたしが笑顔でライブをやりきる強いメンタルがあったのが救いだった。一番お気に入りの衣装を着て、初めてセンターに選ばれた思い出の曲を歌う。メンバーたちから涙ながらにお別れの言葉をかけられ、ファンたちからの大歓声に涙が出た。わたしは紛れもなく幸せだった。きっと、この先も幸せだ。こんな素敵な思い出を忘れることはないから。
「みんなー! 元気でねー!!!」
銀色のテープが舞い散る卒業ライブ、これが藤宮しおんの芸能界最後の言葉だった。
□
「どうしたんですか先輩、そんな顔して」
「そんな顔ってどんな顔?」
「そのぷくーっと頬を膨らませた可愛い顔ですよ。怒ってるんですか、全くそう見えないですけど」
「そうです、怒ってるんです」
卒業ライブ終了後、楽屋でスマホと睨めっこしているわたしに声をかけてきたのはメンバーで後輩の咲良だった。何回見ても「ごめん」と書かれたその文字列を、わたしは信じたくなくて画面を閉じてまた見る。何度してもやっぱり同じだ。
ライブ前に既読をつけて結局返信ができてない。そもそも、彼はわたしの卒業公演を見に来てくれたのだろうか。こんなメッセージを送ってきておいて、どんな度胸があったらライブに来れるのだろうか。精神の不安定さが気持ち悪くて、ついため息が出る。咲良は帰る準備をしながらわたしのことを心配して「何かあったんですか?」と尋ねてくれた。
これで彼の愚痴を言えばすっきりするだろうか。というか、そもそもアイドルなのに好きな人がいたってことがばれると、今まで尊敬してた先輩にもそんな一面が、とショックを受けられるだろうか。考えれば考えるだけ頭がショートして、わたしは口ごもってしまった。
「先輩は卒業後、何するとか決めてるんですか?」
「卒業後……」
それは好きな人と付き合う予定でしたよ。
「まぁ、事務所は退所するからフリーターかなぁ」
「え、事務所までやめちゃうんですか!?」
そういえばメンバーには誰にも言ってなかったかもしれない、と咲良の反応を見て思い出した。もう言葉にしちゃったし、仕方ないと思ってわたしは今月末で事務所を辞めることを彼女に伝えた。
咲良が想像以上に驚いていることに、わたしも少し驚いた。別に今までグループで卒業したメンバーもほとんどは事務所を辞めていったし、女優業などで芸能界に居残り続ける人なんて本当にわずかだ。咲良もそれを知っているはずだし、何をいまさらだと思ってしまう。
「先輩、あたし寂しいです。いなくなっちゃうなんて、思ってもみなかったです」
「そう? 別にわたしは演技が特別うまいわけでも、テレビとかで上手く立ち回れるキャラじゃないじゃん。アイドルの藤宮しおんが大好きだったみんなの記憶に綺麗に残って終わりが最高だと思わない?」
「そうですけどぉ」
咲良は何故か不満そうで、わたしの腕をぎゅっと握った。
「先輩、今日は疲れましたよね。ていうか、あたしも頑張ったのでお疲れ様したいです」
「お疲れ様って、それわたしでしょ」
「いーや、今日の卒業公演の残りのメンバーからのサプライズとか全部あたしが取り仕切ってやったんです。めちゃくちゃ頑張ったんですよ。もっと褒めてください」
急に我儘だな、と思ったけれど確かに最高の卒業公演になったのは咲良を中心に盛り上げてくれたメンバーのお陰だったから、わたしは彼女の頭を撫でて「ありがとう」とお礼を言った。それでも、彼女は不満みたいで「ちがいます!」と怒ったように大きな声をあげる。
「先輩、このあと用事ありませんよね。ご飯行きましょう。お酒飲みましょう」
「お酒って、わたしは飲めるけど咲良はまだ未成年でしょ」
「あたしはジュース飲むんで大丈夫です。最後なんだから可愛い後輩に美味しいご飯御馳走してください」
我儘な後輩の咲良に翻弄されていると、既読にしたままのスマホのメッセージが動いた。
「卒業公演、すごく最高だったよ。今日、ちょっと話せる?」
そのメッセージを見たとき、わたしの感情はジェットコースター並みに揺れ動いていた。行ってしまったら、きっと何か理由をこじつけられて別れ話をされる。わたしが五年間も彼と付き合うことをせずに、ずっと待たせ続けたことが悪いと、どうせそう刷り込ませてくる気だ。
私はスマホを閉じて、駄々をこねる咲良に「じゃあ、ご飯に行くか」と声をかけた。パッと明るくなった彼女の顔は本当に可愛くて、嬉しさを隠しきれていないのだろう、わたしにぎゅっと抱き着いてきた。
「先輩のおごりですからね!」
わたしは現実から逃げるために咲良を利用したのかもしれない。
彼女の嬉しそうな顔がわたしの胸をぎゅっと締め付けた。
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