第8話 大団円
最近、佐和子は、
「自分は運が悪いのではないか?」
と考えるようになってきた。
別に何かがあるわけではないのだが、どこか不安が胸を撫でるのだった。何が不安なのかもハッキリしない、そんなモヤモヤが胸の中にあったのだ。
そのことをゆいかは知らなかったが、実はゆいかの方ではさらに深く考えていた、
「自分には、運がない」
と思い込んでいるのだ。
佐和子のように、
「ないか?」
という疑問形ではなく、断定的なのだ。
「悪い」
と
「ない」
とでは、当然、ないの方が断定的になって当たり前であり、悪いという方が曖昧になるものだ。
ゆいかの方でも理由としてはハッキリとしているわけではないが、それでも、なぜここまで思うのかというのを冷静に考えてみると、その理由の一旦として考えられるのが、佐和子だったのだ。
佐和子が自分のそばにいるようになってから、急に悪いことが起こり始めた。何をやってもうまくいかない。
「まるで、天中殺のようではないか?」
と思うようになったのだ。
人には天中殺と言って、何をやってもうまくいかない時期があるという。厄年というものよりもその効果は強いのだろうか?
ただ、そもそもの考え方が違う。天中殺というのは、四柱推命から見て、
「干支において、天が味方しない」
とされる時だという。
干支から計算によって求められるものだが、厄年というのは、そもそも、男と女でそれぞれに決まっているものである。
天中殺の長さも、一か月から数か月と短いものだが、厄年は、前厄、後厄を合わせると三年もある。
ただ、天中殺という言葉の方が、本当にひどい運勢という意味で、強烈なイメージがある。実際に知りたくないものだ。
また、天中殺というのは、人によって存在しない場合もある、気づかずに通り過ぎる人もいるが、果たしてどうなのだろう?
逆に、いいことが降りかかる時期というのも、それぞれの場合で言われていたりする。どこまで根拠があるのか分からないが、
「モテキ」
などと呼ばれるものも、それに類しているのではないだろうか?
純也が佐和子とデートをした時、絶えず、
「私は運が悪いから」
と言っていた佐和子だったが、さすがに何度も言われると、せっかくのデートをふいにされてしまったようで、純也も苛立ってしまった。
「こんなことなら、ノコノコ出かけてくるんじゃなかった」
と、合コンの時には、そんな印象はなかったのにと思った。
ただ、彼女の性格として、
「気になった相手には、何でも包み隠さずに話しておかなければ気がすまない」
という律儀な性格なのかも知れないと感じた。
確かに、佐和子はそういう性格なのだが、何もデートの最中に、そんなに何度も念を押さなくてもいいというものだ。
佐和子のことをどう考えればいいのか分からなくなってきた純也は、まだ夕方前だったのに、
「今日はありがとう。夕方から少し用事があるので、今日は失礼するよ」
と言って、そそくさと帰っていった。
分かってはいたことだが、取り残された佐和子は、引きつった顔を直そうともせず、その場に立ち尽くしていたのだった。
その時佐和子は、どうするのかと思えば、ゆいかを呼び出していた。ゆいかに向かって、愚痴を聞いてもらおうというわけだ。二人の関係は基本、ゆいかが主で、佐和子が従であるが、それは、
「SMの関係として」
というだけで、それ以外の時は、平等、あるいは、言葉が入ってくると、佐和子が主導権を握るのだった。
もっとも、言いたいことを言い切った後は、そのまま主従関係を逆転させて、いつもの、
「ゆいかが主の関係」
になるだけだった。
佐和子はそれでよかった。むしろその方がすっきりする。身体と気持ちの関係は逆であってもかまわない。SMの関係の間は、
「委ねる」
という気持ちになるだけだ、
聞いてもらうというのも同じことで、佐和子は全面的にゆいかに頼っている。心身ともに考えると、頼るというのは、相手の力に対して、こちらがお願いするような形であるが、委ねるというのは、相手の力を信じて、自分が心地よい状態に陥るように、自分からまかせるようなイメージと言ってもいいかも知れない。
そういう意味で、SMの関係であっても、愚痴を聞いてもらう時であっても、どちらも、
「委ねる」
という気持ちに変わりはない。
「頼る」
というのは、SMの関係においてであって、愚痴を聞いてもらう時は、
「任せる」
という気持ちになっていると言ってもいい。
佐和子がゆいかのそばから離れないのは、そんな
「委ねる」
という気持ちを自分で納得しているからなのかも知れない。
ゆいかも、佐和子に頼られるのが好きだった。
ゆいかの方としては、委ねられているという感情はないようだ。
「あくまでも、頼られている」
という感覚があるだけで、自分がSMで佐和子を独占してしまい、自分が満足するために、支配していると思っていることで、委ねられているという感覚はなかったのだ。
だから、愚痴でも何でも聞いてあげようと思った。その時は、佐和子のやりたいようにさせておく。そうしておけば、佐和子は解放的になり、自分の支配もしやすいものだと感じていた。
佐和子の愚痴は、本当に子供のようだった。
それだけに、何を言いたいのかなど、別に気にしなくてもいい。ただ聞いているだけでいいのだ。
しかも、そこにゆいかが感じる嫌味な感覚はない。もし、嫌味な感覚があったとすれば、ゆいかは、佐和子と、ここまで一緒にいることはないだろう。
SMの関係と言っても、一方通行ではいけないと、ゆいかは思っている。一方通行になってしまうと、自分が相手のすべてを支配しているようで、そこまで考えると、自分が責任を負うことはできないと思うのだ。
確かに、主従関係と言っても、一歩間違えれば、相手を傷つけたり、下手をすれば、殺してしまいかねない。それだけに相手をいかに分かっていて、自分が操りやすいようにする必要があるのかということが重要なのだ。
そのことを分かっていないと、ただの、
「ごっこ」
になってしまい、何かあっても、
「自業自得だ」
と言われて、どうすることもできなくなるだろう。
委ねるという感情と、頼るという感情、どこまでが自分をどのように納得させられるのか、ゆいかも佐和子も考えていた。そして、お互いに、それぞれを自分に納得させていた。それでも、二人の関係はうまくいっているのだから、
「相対的なことであっても、その結界を無意識にでも感じているならば、うまくいくものなのではないか?」
と、それぞれで感じているようだった。
その感情がいかなるものか、二人は、お互いに模索もしているのかも知れない。
佐和子とゆいかは、それぞれに自分の運のなさを痛感しながらも、お互いに、いろいろ考えていた、
特に佐和子の場合は、自分の中にトラウマのようなものを抱えていた。
「自分は人に対して、積極的になるのは、不安を何とか払拭したいからだ。だが、払拭しようとしても、なかなかうまくできるわけではない。しかも、不安が不安を募って、余計にろくなことがなくなってくる。そこにトラウマが生まれ、人に頼りたくなり、委ねるようになるのだ」
という感情を持っていた。
しかし、もしこのトラウマがなければどうなるだろう?
最初に委ねる気持ちが生まれて、そして頼ってしまうのではないだろうか?
この順番は、あまり大きな意味を最初持っていないと思っていたが、果たしてそうなのだろうか?
この順番にこそ、意味があるのではないかと、佐和子は思っていた。
そんな佐和子の考え方を、ゆいかがどこまで分かっているのかは分からない。
だが、ゆいかにはゆいかの考えがあるようだった。
「相対的に見えること、その関係を羅列してみると、その間に距離があるようで、実は隣り合わせなのではないか?」
と思っていた。
その隣り合わせなのに、遠い距離に見せるのは、相対的だという理屈と、結界があるからではないだろうか。
結界というのはマジックミラーのようなもので、こちらからは相手が見えるが、相手からは意識させるものではないというものだ。
つまり、普通の人には、ただの鏡にしか見えないので、都合のいいことしか見えていないのかも知れない。しかし、運のないと思っている人たちには、結界から向こうが見えていて、その見えていることに対して、いかに考えなければいけないのか、そのことが分かっていないのだ。
何をすべきなのかということを、ヒントとしてもらっていながら、なまじ、都合の悪いことまで見えているので、余計に何をしていいのか分からない。
見えなければ、行動パターンは分かっているはずなのに、迷いが生じる、迷ってしまうと、ほぼ間違いなく、悪い方に選択してしまう。
そんな性格の人間にしか、結界の向こうが見えないのだとすれば、最初から運が悪い人、運のない人というのは、
「その人の性格が作り出したものだ」
と言ってもいいのではないだろうか。
では、そんな自分たちがいかにその不運から逃れればいいのだろうか?
理屈が分かったとしても、その解決になるわけではない、どうすればいいのかを、必死で考えているゆいかだったが、本当であれば、お互いに運のない人間が一緒にいること維持隊が間違っているのではないかと感じる。
「やはり、新しい血が必要なのだろうか?」
と考える。
自分たちの性格から悪い方に見えてしまうのだから、運のいい人を探すというのも一つの手であろう。
とゆいかは考えるようになっていた。
ゆいかは、mだ知らなかったが、佐和子には合コンで知り合った純也の存在が少しずつ大きくなってきていということを。
佐和子は佐和子で、純也の存在というよりも、以前、合コンの後、一度純也と遭った時に話をした内容として、
「運が悪い。運がないというのは、百パーセントくらいのことなのかい?」
と、その前に、自分の運のなさを愚痴として聞いてもらっていたことに対して、純也が聞いてきた時のことだった。
佐和子は、そんな話をするつもりなどなかったが、一度口をついて出てくると、堰を切ったかのようにべらべらと過去のことから話始めた。
「ええ、そうね。ほぼ百パーセントと言ってもいいかも知れないわね」
と、興奮がまだまだ収まっていない間に、そう答えた。
「なるほど、気持ちは分かる気がするな。だけど、僕なんかは、そういう感情的な話は、逆に冷静になって、数学的な発想に切り替えることをするんじゃないかな?」
と言った。
「それって、どういうこと?」
と、佐和子が聞くと。
「難しい話じゃないと思うんだけど、百パーセントに近い形で、間違った選択をするんでしょう?」
「ええ」
「だったらさ。その選択と逆をすれば、問題は解決するじゃない? 逆も真なりというじゃないか?」
と純也は言った。
一瞬呆れたかのようなポカンとした表情になった佐和子だったが、
「うん、それは何度も考えたけど、そんな勇気が持てるくらいだったら、最初からやってるわよ」
と佐和子は言った。
「そうだよね。だけど、もし、自分の中にトラウマがあるとすれば、あなたが思っていることは、逆ばかりを選択する運命にあることを分かっているんですよね。でも、そのことが自分だけではなく、他の人に影響するのが怖いとも思っている。それがあなたのいいところであり、優しさでもある。でも……」
と純也はいって、言葉を切った。
「でも?」
「その先にある結界の向こうをあなたは知っているんでしょうね」
と純也は言った。
「この人、ゆいかと似たことをいう。ということは、ゆいかが言っていたことは、一般的な意見で、私が考えをたがえなければいけないことなのかも知れないわね」
と、本当は、ゆいかと純也だけの考えであるにも関わらず、そう考えた。
これも、少数意見と多数派の意見のどちらを信じるかということを、一番敏感に考えるのが、運のない人の特徴だと言えるだろう。
そういう意味で、この勘違いが一番の運のなさを引き寄せるのだが、今回は、純也のおかげで、一筋の光が見えてきたのだ。
「新しい血」
それが純也なのかも知れない。
そして、いずれ気づくであろう、
「想定的なことへの運命の羅列」
それを思って、佐和子は、今日もゆいかに会いに行くのだった。
( 完 )
相対の羅列 森本 晃次 @kakku
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