第8話 大団円
小説を書きたいと思ったのは、いつからだったのかということを思い出してみると、それが、恭子が原因だったことを思い出した。
「確か恭子は文章を書くのが上手で、会社の会報に乗ったのを見た時だったな」
というのと思い出した。
そして、もう一つ感じたのは、小説を書き始めるようになる数年前だっただろうか、世間では想像もできないような未曽有の大惨事をテレビニュースで立て続けに見たからだった。
一つは、大震災だった。
横倒しになった高速道路、高架の線路が埋没して、電車が埋もれてしまった光景、ビルの真ん中の買いが完全に抜け落ちたかのようになって、瞑れてしまった光景。それらの悲惨な光景を見たことはそれまでにはなかった。
さらに、もう一つは、その数か月後に起こった、東京での地下鉄内における、毒薬による、
「同時多発テロ」
だった。
小説を書き始めてすぐくらいには、米国のビルに航空機を激突させるという、宗教テロによる
「同時多発テロ」
も見たことで、考え方がかなり変わったのだ。
「人間、いつどこで何が起こるか分からない」
というものであった。
自然災害だけではなく、今はどこの組織が国家転覆を狙っているか分からない時代だ。
そんな時代に生きているのだから、
「明日は死ぬかも知れない」
と言えるかも知れない。
それを思うと、
「今日を楽しく生きるというよりも、死ぬまでに何か自分なりに成果を出して、何かを残したい」
という思いが強くなった。
なるほど、普通ならプロになって、小説家を目指すというのが本当なのだろうが、それも本当に最初の頃だけだった。
「詐欺商法」
と言われた、自費出版社系の出版社に引っかからなかったのも、今思えば、
「別にプロにならなくてもいい」
という思いがあったからだった。
プロになるつもりだったりしたら、詐欺に引っかかってでも、何とかお金を工面しようとしただろう。
しかし。洋二は、
「プロにまると、自分の書きたい小説を書くことができない」
ということと、
「定期的に作品を書き続けなければいけない」
というプレッシャーに勝てるとは思っていなかったからだ。
度胸がないと言われればそれまでだが、元々、
「何かを残したい」
というつもりだけだったので、お金を払って残した実績は嫌だったのだ。
少なくとも、本当に世間に認められての出版であれば、それでいい。そうすれば、金銭的なことで苦しむ必要もないからだ。
言い訳かも知れないが、
「アマチュアにはアマチュアにしかできないものがある」
と考えていたのだった。
今から思えば、恭子の文章には力があった。人を魅了するだけのものがあり、自分が恭子に一目惚れをしたのは、そんな恭子を分かっていたからではないかと思うのだった。
あの時は、別れてしまったことで、忘れようと都力したが、四十歳も後半に入り、自分のやりたいことを続けているということに、人生の満足を感じていると、
「思い出されるのは、恭子のことだ」
と、いうことに、気づいたのだった。
今まで、正直言って忘れていたが、洋二にとって大切だと思った人は恭子だった。
ただ、それは女として大切だったのか、それとも、
人生として、自分に一番影響を与えたという意味で、それが彼女だったのか?」
ということを考えると、その答えは出てこないような気がしている。
今までの人生の中で、五十歳になるくらいまでは、
「人間というのは、一人では生きていけるものではない」
ということであり、誰か自分を分かってくれる人が必要だと思っていた。
それが癒しであり、自分の好きな人であるべきだと思っていたのだ
しかし、そんな人が絶えず自分のそばにいるわけではない。下手にその人に頼ってしまって、一人では生きられないということを基準に考えてしまうことで、人と人との繋がりが絶対に必要なものだと思い込まされることで、結局、自分が何もできないことを、正当化しようと考えているのだとすると、今の自分を見直すことが、まるで悪いことのように思えてくるのだ。
もちろん、自分だけでは人間は生きていけないのは確かだろう。
だが、誰かを恨んだり、反面教師にすることで自分の人生を貫いていけるのだとすれば、それはそれで、その人にとって、悪いことではないと思えるのだった。
洋二は、五十歳を超える頃には、何か悟りのようなものを感じていた。
小説を書いている毎日が楽しくて仕方がない。仕事は仕事でしているが、そこは人生の目的ではない。ただ、生きていくうえでお金が必要なので、しょうがないから働いているというだけだろう。
「前の会社で、システムの仕事から、経理の仕事へと追いやられた時、あの時から、仕事に対しての情熱は、まったくなくなったと言ってもいい」
と感じていた。
ただ、あの頃には、梨花がいた。
そして、生まれてくる子供に自分なりに未来を託したつもりだった。
しかし、それはあくまでも綺麗ごとでしかない。梨花は洋二のことをすでに嫌になっていた。
分かっていたのに。それを認めたくないという一心から、自分に対して、
「相手が何も言わないのは、頼りはないのはよい知らせというのと同じではないか?」
と言っているのだろうと思っていた。
完全に逃げに回ってしまっていたことで、洋二は梨花から逃げてしまったのだ。すでに決意を固めている梨花に対して
「何をしても同じだ」
と思っていたくせに、結局、何とかしようとして、自分を偽っていた。
そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった。あの頃が、自分の人生で一番ひどかった時だと思っている。
それを乗り越えたと言えばいいのか、いや、乗り越えたわけではない。他のことに自分の未来を託そうとし、楽しいことを追い求めようと、まったく違った快楽の方向に目を向けていたようだ。
快楽など求めても、そこに満足感が得られるわけもない。何をしても、満足できることはない。そんな時、趣味として書き始めていた小説が自分を救ってくれたのだ。
小説家になるなどという野望は捨てた。しかも、早い段階で捨てることができたのがよかったのかも知れない。
「俺にとって、今の時代は、かつて夢見た世界なのかも知れない」
と思った。
当時は、まったく見えなかった未来だったが、今のような気持ちになれることを嘱望していたように思う。その嘱望がいつだったのかと言われると、それがちょうど恭子と付き合っていた、後から思えば、
「波乱万丈の時代」
と言えるのかも知れない。
だが、そんな波乱万丈だったからこそ、将来がハッキリしていなくても、希望が持てたのだし、
「絶えず、前だけを見て生きている時期だった」
と言えるのではないだろうか。
それが洋二にとって、五十代に至る人生であり、その時に至って、自分の集大成が見えたと言っても過言ではないかも知れない。
「俺にとっての今までは、小説に書くとすれば、数百ページの大作になるかも知れないな」
と我ながら感じた。
人生なんて、一口で言えば言い切れると思っている人もいるかも知れないが、決してそんなことはない。逆に自分の人生を本にできるだけの力量を持つことが、自分の人生の集大成なのかも知れない。
洋二は、子供の頃から孤独が好きだった。
それが、大学に入って友達ができると、そんな子供時代の孤独が罪悪に思えたのだ。そして、孤独を排除しようとして、まわりに馴染んでいく自分が、上り調子で、
「近い将来、自分が有頂天になれるような気がする」
と思っていた。
しかも、その有頂天のその先も果てしないと思えてくる。実際に人生は紆余曲折を繰り返しながらも、何とか踏みとどまって幸せを掴んだことが、自分の有頂天だと思うようになったのだ。
そのおかげで、結婚、子供を持つこともできて、それこそが、
「男子一生の幸福」
と感じたのだ。
本当にそうなのか分からなかったが、その時は本気でそう思った。
しかし、あっという間にそのメッキが剥げ、離婚に追い込まれ、そこから先、いくら前を見ようとしてももう何も見えてこない。一度失敗した、あるいは、地獄を見たという意識があるからだろうか。二度と上を見ることはできなかった。
しかし、洋二は今、人生で悟りのようなものを見つけた気がした。それは、子供の頃に感じていたもので、上り調子だと思っていたあの時に感じた、
「孤独感」
だったのだ。
孤独というのが、本当にどういうものなのか分からない。しかし、今の自分にとっての癒しは孤独であった。
人に気を遣うこともなければ、自分だけで生きていけばいい。
「人は一人では生きていけない」
確かにそうかも知れないが、それを自覚しながら孤独を楽しめるようになったとすれば、それは一種の悟りだと言ってもいいのではないか。
そんなことを考えていると、洋二は自分のことを、
「やっと求めていたものにたどり着いた気がする」
と感じた。
確かに人は、生まれることも死ぬことも選べないが、人生の頂点を自分で決めることができるとも思う。それが分からない人は、人生の頂点というものを考えたことがない人であって、本当は、その時々が頂点だと思っている人もいるかも知れない。
それはそれで羨ましい人生だ。
ここに、一人の半生を描いてみたが、作者はこれ以上描くことはできない、なぜならここから先は、未来のお話だからである。
そう、この男にはモデルがいる。聡明な読者であれば、それが誰なのか、分かることであろう……。
( 完 )
孤独という頂点 森本 晃次 @kakku
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