第7話 転落人生?
必死になって妻を説得した。気持ちの中には、離婚することで、戸籍が汚れてしまうという気持ちがないわけではないが、それは必死に説得するだけの理由というわけではない。
一番の理由は、
「子供がいるのだから、子供のために、両親が揃っているのが一番だ」
というものだった。
童子は離婚率もかなり上がっていて、母子家庭の多さも問題になっていた時期ではあったが、自分が育ってきた環境を考えたり、恭子のように母子家庭で育った人間を見ていると、
「この子を、父親のいない子にしたくない」
という気持ちが強かった。
「すぐに奥さんは再婚するよ」
という人もいたが、父親が義理の父親ともなると、却って不安だった。
それよりも、
「梨花のことだから、再婚はしないような気がする」
と思った。
根拠のない思いであったが、なぜかそう感じるのだった。
梨花は、看護婦に戻るのを、頑なに拒否していた。しかし、離婚して母子家庭になれば、仕事をしないわけにはいかない。子供を育てながらということであれば、コンビニなどのパートでやっていけるわけがない。
「どんな仕事ができるのか?」
と言って、できることとすれば、看護婦の仕事しかないからだ。
時代は、ちょうど、西暦二千年を超えて、二十一世紀に入っていた。梨花は実家に戻っていて、説得に行ったが、あれだけ自分に優しく、贔屓目に見てくれた義父や義母は、急に冷めた目になって、
「あの子は、こうと決めたら、絶対に自分の考えを曲げない子だから」
と言って、困った顔はしていたが、洋二に対して、何も言えなかった。
その目は、哀れなものを見る目ではあったが、きっと心の底で、
「お嬢さんを幸せにします」
と言って、結婚の許可を得にきた時の洋二と、今の情けない洋二を比べていたに違いない。
両親からすれば、目の前の男は憎らしい存在であろう。
離婚するには、いろいろな事情があるからであって、自分の娘だけが悪いわけでも、相手の男だけが悪いわけではない。問題は離婚が決まってしまってからの先のことであり、両親がいった、
「あの子は、こうと決めたら、絶対に自分の考えを曲げない子だから」
という言葉は、そのことを暗示しているのだろう。
つまりは、
「もう、あなたのところに戻ってくることはないのだから、新たな先を考えるようにしなさい」
と言っているのと同じであった。
「あなただってまだ若いんだから、いくらでもやり直しが利く」
と言いたいのだろう。
それでも、納得いかない洋二に対して。彼女がとった態度は、家庭裁判所に調停を申請することだった。
洋二は家庭裁判所から呼び出され、出頭することになった。出頭してみると、そこには、調停委員と呼ばれる二人の男女がいて、自分たちが、この調停を任されているというではないか。
洋二としては、
「この二人に梨花を説得してもらおう」
と思い、自分の気持ちを話したが、最初に調停を申し出た人の利益を守るのが調停委員の役目なのだろう。
「もう彼女の気持ちは決まっています」
というではないか。
考えてみれば、調停を申し入れるということなので、当たり前のことである。無理に元に戻そうとする被告に対して、説得してほしいというのが、そもそもの調停だ。しかも、夫婦で修羅場にならないように、時間差をつけて出頭させ、裁定が決まった後の形式的な手続きまでは、お互いに遭うことはないという徹底ぶりでもあった。
「彼女の気持ちもあなたにはないし、そうなると、お子さんのことを考えれば、お互いに立場をハッキリさせて、お二人とも若いんだから、これからの人生をお考えになった方がいいですよ」
と言われ、その時に、完全に離婚を考えた。
あわやくば、調停委員に間に入ってもらおうなどと甘いことを考えていた自分が恥ずかしい。ちょっと考えれば簡単に分かることではないか。
こちらも、もう離婚に抗う気持ちはない。お互いの後始末さえ終われば、もう関係のない人だというくらいに割り切ることができた。
「俺もまだ、三十半ばなんだから、もっといい女が現れるさ」
と、楽天的に考えたものだが、その反面、今まで上り調子だと思っていた人生で、初めて味わったであろう挫折に戸惑いを隠せなかった。
今までに挫折のようなものはあったが、ここまで結果がハッキリとした挫折はなかった。確かに、
「これからの人生」
という思いはあったが、その反面、初めての挫折で、
「一から出直す」
ではなく、
「ゼロからの再出発」
だったことに大いなるショックがあったのだろう。
きっと何をやってもうまくいくはずもないという気持ちが大きく、実際に、これからの人生をやり直す気力もないような気がした。
出会いのようなものはそれなりにあった気がするが、気持ちの上で、どうにも乗り気にならない。相手も分かっているのか、一度身体を重ねても、すぐに、
「あなたって、何を考えているのか分からない」
と言われて、すぐに別れるということが何度か続いた。
しかし、これは洋二が相手にも感じていることだった。お互いに、乗り気でもないのに、身体だけの関係が続くわけもない。それでも、あとくされがないことで、今までになかった男女関係。これはこれで、
「ありなのではないか?」
とも感じた。
「俺って、真面目過ぎたのかな? こうなったら、浮気だって不倫だってし放題だ」
というくらいに思った。
知り合う女は意外と既婚者が多かった。
自分が結婚している時は、絶対に不倫はしないと決めていたが、それが今はバカなかしく感じられた。
「どうせ、不倫をしないなんて気持ちは、子供のためとか言って、自分の気持ちを偽っているだけだ」
と、自分としては、
「経験者は語る」
であり、主婦との浮気にまったく罪悪感はなかったのだ。
しかも、リスクがあるのは相手の方だ。
「旦那には黙っていてほしい」
と思っているはずであり、バレたら確かに、慰謝料を旦那から請求されるかも知れないが、それ以上に奥さんが黙っているはずなので、一度くらいの不倫ならバレることはないと思った。
しかも、自分では不倫相手と身体を重ねるのは、一度か二度でいいと思っている。
飽きっぽいというのもあるが、身体に対して飽きるというよりも、
「気持ちに対して飽きている」
と言っている方がいいだろう。
「美人はすぐに飽きる」
と言われているので、今まで美人と呼ばれる人を好きになることはなかった。
もちろん、飽きるからだというだけの理由ではなく、自分で肌が合わないと思っているからであった。上から目線で見られているという意識が強く、それゆえ、美人を意識しなくなったのだ。
しかし、美人だけではなく、最近では、ずっと身体を重ねられる相手がいなくなったのも事実だ。若い女の子と身体を重ねても同じだった。相手もすぐに飽きるし、こっちも飽きるのだ。
ちなみに、若い頃よりも、洋二は四十くらいになってからの方がモテはじめた。同い年だけではなく、若い子にもモテていた。一時期は女子大生からモテる時期があったくらいだ。
「これをモテキというのだろうか?」
と思ったほどで、ここまで顕著に表れるとは思ってもみなかった。
ただ、これも、自分の性格がもたらしたことではないかと、その頃になって考えるようになった。結婚する前、結婚していたころ、別れてからと、それぞれに女性に対する見方や自分の態度が変わってきていると思ったが、結局は同じだったのだ。どこかギスギスしていて、好きなのかどうかも分からないくせに、
「好きだ」
ということを前面に出しているだけだ。
よく分かる人には、どこかぎこちないことくらい分かっているはずだ。気づいていないのは自分だけという、茶番をずっと演じてきたのだろう。
自分が引いていると、相手が寄ってくる。実際には、そんな単純なことだったのだろう。恋の延長が愛であり、愛こそが最強だと思っていたが、そんなものは虚空の虚像に違いない。
テレビドラマなどで、よく不倫をしている奥さんを信じ切っていて。最後には悲惨な現実を叩きつけられるという内容のものがあるが、実際にはそんなことはよくあることだ。
しかし、そんなドラマでもよくあるパターンとして、ハッピーエンドとなる話もあったりする。
結局、自分たちの気持ちは、崩れているわけではなく、元の鞘に収まるというものだ。
「そんなバカなこと、あるわけないじゃないか。綺麗ごとにすぎないだけじゃないか」
と、そんな風に感じるだろう。
実際に、そんなバカなと今なら思う。
「男だろうが女だろうが、一度相手を裏切ったら、気持ちの中でぎこちなくなって、うまくいくはずなどない」
と、どうして思わないのだろうか?
そもそも、幸せだと思っていたことが虚像であって、実際に愛し合っていた時期など、一度もないではないか。それなのに、どうして、こんなぎこちない気持ちの中で、修復できたと言えるのか、修復するような元があったわけではないではないか?
どうして、そのことに気づかないのだろう。それが腹立たしいのだ。
「なるほど、結婚しても、三人に一人が離婚するわけだ。でも、三人に一人って少ないよな」
と感じた。
つまりは、実際に離婚するのが三人に一人で、燻ぶったまま、いや、自分をごまかしながら、いつ離婚してもおかしくないようなそんな状態でいるということなのだろう。
予備軍も加えたら、三人に二人くらいは、まともな結婚生活とはいえないのではないか。本当の円満夫婦などというのは、この世に存在するのだろうか?
そう思うと、この世に愛なんて存在しないとも思えてきたが、それでは寂しすぎるような気がした。
だったら、一期一会の恋であっても、その瞬間を現実だと思えれば、それだって愛ではないかと思う。
何も愛というのが、継続性がなければいけないということはないのではないか。
本当に愛と言えないと思っていても、そこに、同じ感性であったり、パッションが存在すれば、それこそ愛と言えるのではないだろうか。
転落人生を歩んでいるはずの洋二だったが、四十代も半ばを過ぎた頃から、そんな風に感じるようになってきた。
ちょうど、離婚してから少しして、趣味で小説を書き始めた。それが四十歳を超えた頃から楽しくなり、最近では毎日のように書いていて、書かない日があれば、気持ち悪いくらいであった。
書いている内容は、オカルトやあミステリーである。
中学の頃に好きだった昭和初期のミステリー、それから、社会人になってから少しして、
そう、恭子と別れて少ししてくらい、もっといえば、梨花と付き合い始めてくらいの頃、山沖君と一緒に言っていた例のスナックのお客さんで、四十代前半くらいの主婦の人がいたのだが、その人が教えてくれた小説家の話が面白くて、その作家の影響を受けたのだった。
オカルトというか、奇妙な物語として、
「奇妙な味」
というジャンルなのだそうだが、
「俺もこんな作品が書ければいいな」
と思っていた。
だから、その人の作品を目指してずっと書いてきた。今でも目標である。ずっと小説を書いていると、恋愛などがくだらなく思えてくるくらいだった。
ちょうどその頃になると、新聞や週刊誌などの広告で、
「原稿をお送りください」
という文句が騒がれ出した。
それまで小説家になりたい人は、文学新人賞に応募して入選するか?
持ち込みで原稿を見てもらうかしかなかった。
後者は、そのほとんどに可能性はなく、コネでもなければ、持ち込んでも作者が帰った瞬間に、原稿はゴミ箱域というのが実情だった。
だが、この宣伝では、
「原稿を添削してお返しします」
と書かれている。
洋二はその原稿を送ると、なるほど、添削して却ってきた。しかも、その内容はまるでプロにでも読んでもらったかのようだ。新人賞に応募しても、入選できなければ、添削どころか、
「応募の審査に関しては、一切お答えできません」
というほど、密室での合議のようだった。
今でこそ、審査の仕組みは皆が周知のことになっているが、それも、、どこまでが本当だか分かったものでもない。
投稿原稿を実際に出版社が読んで、批評をして返してくれるのだが、そこには、出版社からの提案が入っていた。
「あなたの作品はいい作品なので、出版社も半分お金を出しますから、本にしませんか?」
というものであった。
実際には、数百万かかるものであって、普通であれば、手を出せるものではない。それでも、本にしたいと思っている人は、バブルが弾けて、仕事人間ではいられなくなったことで、サブカルチャーや趣味に没頭する人が増えたせいで、
「にわか小説家」
が増えたのだ。
そんな連中をターゲットにしてのこのやり方は、実にうまいものだった。
一気に本の発行部数は、新興出版社であるにも関わらず、すぐに日本一の発行部数になった。いかに本を出したいと願っている人が多いかということだろう。
だが、メッキはすぐに剥がれるもので、出版社が自転車操業であることが分かったうえに、最初の話と違って、有名書店に自分の本が置いていないことが分かった出版に乗った人が、裁判を起こす。一人出てくれば次々に出てきて、あっという間に、
「詐欺商法」
と言われ始めて。あれほど一世を風靡したこの業界だったが、あっという間にすたれてしまった。
自転車操業が破綻すると、あっという間に破産に追い込まれ、業界では、二番煎じとしていくつも出てきた出版社が、ほとんど潰れてしまった。
その間の盛衰に要した時間は、五年もなかったであろう。
最後は、本を出した作家に対しての、
「救済の会」
なるものが立ち上がったりして、完全に社会問題になってしまっていた。
自転車操業もここまでくると、どうしようもなくなっていた。
そのおかげで、あれだけ、
「小説家になりたい」
あるいは、
「本を出したい」
と思っていた人が小説を書くことから遠のいていってしまった。
それでも、前から小説を書きたいと思っていた人たちが残った形で、それからは、元手のかかる、紙媒体の書籍という形ではなく、インターネットを使った。SNSと呼ばれる部門で、
「電子書籍」
と呼ばれるものが主流になってきたことで、
「無料投稿サイト」
に自分の作品を乗せる人が増えてきた。
最初は出版社の詐欺にひっかかりそうになったが、幸いなことにお金がなかったことで騙されずに済んだ洋二だったが、今ではSNSを使っての作品発表ということを中心に活動するようになった。
「ただで、小説を発表できるのだから、これに越したことはないよな」
と思うようになったのだった。
趣味に没頭できるようになってからというもの、少し人生に対して気が楽になってきた。だが、実際の性格は若干頑固になっていった。
というの、自分が今まで、
「とにかく我慢してきたので、それが今は後悔の念にとらわれている」
というものだった。
というのは、言いたいこともいえなかった時期があったと思っているからだ。
離婚した時だって、嫁に対してなのも言えなかったことが原因だったではないか、確かに相手が何も言わないことを、
「便りがないのはいい知らせだ」
という違った解釈をしてしまったことが原因だったのだが、それは自分が相手と話をする勇気がなかったからだと後になって気づいたのだ。
その時から、
「思ったことは口にしないといけないんだ」
と思うようになった。
口にしないと我慢できなくなって態度に出てしまう。そして相手に非があると思うと、まくしたてるように自分の正当性を訴えてしまう。
しかし、世の中というのは、おかしなもので、どんなに正当性を訴えても、相手が悪いのだとしても、ちょっとやり方を間違えただけで、こちらが悪になってしまうこともよくあるというのも、この世の理不尽さを示している。
世間で騒音が激しいからと言って、自分だけで訴えて、騒音の元を壊してしまったとすれば、それは、理由のいかんに関係なく、
「器物破損罪」
ということで、犯罪を犯したことになってしまう。
いくら正義であっても、正義だけを主張すると、悪者にされるということだ。
洋二はそんな自分が嫌で、逆らいたい時はあからさまに差からようになった。いわゆる、
「自粛警察」
のようなものであった。
自粛警察というのは、令和になってから、伝染病が流行った時に分かることであるが、ある国のある都市を中心に全世界に流行り出した、
「正体不明のウイルス」
が原因で、世界的なパンデミックに陥ったが、その時、日本国では、
「緊急事態宣言」
なるものが発令され、外出をしないよう、政府からの要請があった。
時期的には一か月くらいのものだったが、街からは人が消え、店はほとんど閉まっていて、まるで昭和時代の正月のようだった。
空いている店というと、薬局とコンビニなどのような、絶対い必要なものだけであった。なんといっても、その二十四時間開いているのが当たり前のコンビニが、夜中に半分閉まっているくらいだったのだ。
ただ、コンビニが夜中閉まっていたのは、閉店要望によるものではなく、
「店を開けていても、客が来ないから」
という理由による。コンビニ独自の勝手な体制であったが、それだけ緊急性があったということであろう。
会社も休業しているところか、あるいは、リモートワークをしているところしかなく、鉄道もバスもほとんど客がいなかった。
その時、休業要請を無視して開けていた店もいくつかあった。そのうち、世間からやり玉に挙がったのが、
「パチンコ屋」
だった。
実際にはパチンコ屋で開けている店があったとしても、率からいうと少なかったので、パチンコ屋すべてを中傷するのはいけないのだが、当時は、パチンコ屋の、
「三店方式」
と呼ばれるものを批判するという意味で、パチンコ屋が攻撃された。本来は、パチンコ屋を攻撃するのはお角違いだったのに、それでも攻撃したことで、
「正義を笠に着て、これ幸いにと、ターゲットを絞る」
という意味で、本来ならいいことなのに、実際には悪いことをしているこのようなものを。自粛期間中だったということで、
「自粛警察」
と呼ばれた。
洋二もそんな自分が自粛警察になっていることを自覚していたが、それでも、どうすることもできない。思っていることを言葉に出したり、表に表したりしないと、後になって後悔すると思うからだった。
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