2 そして彼女を知っていった
それが連休のふつか前。みんな楽しみにしている連休の、はじまりを待たずに朽木渚はいちにち早く、休みに入った。やっぱり自分のせいで体調をくずしてしまったのかと、空席になった窓ぎわの机を、落ち着かない思いできみは見ていた。
* * *
連休が明けてさいしょの日、ホームルームに間に合うぎりぎり直前に朝練を切り上げ教室に入ったきみは、まっさきに窓ぎわの席に目をやってそこに朽木渚を認めると、かばんを放りだして彼女の席まで走っていった。
「よかった、元気になったんだ」ときみは言うと、彼女の机に両手をついて、顔を伏せてその場にしゃがみこんでしまった。
「……そりゃそうよ。なあに、ずっと心配してくれてたの?」
意外という顔して朽木渚は言った。きみは問いには答えないで、
「ほんとよかった」と下を向いたまま言った。
始業直前のきみの行動は、どうしたってクラスメイトたちの注意をひきつけずにはいなかった。そうでなくとも、クラスでもバレー部でもきみは持ち前の明るさで、周囲にひとの輪が自然とできるのが常だったし。
注目をあつめてしまっていることに、下を向きっぱなしのきみは気づいていなかった。朽木渚は気づかないはずないのだが、気にするふうもなくきみの頭をぽんとたたいて言った。
「ありがと、心配してくれて」
やさしい声が、うつぶせっぱなしのきみの髪をなでた。きみは答えることができなかった。
「わたし、すっかり病弱キャラになっちゃったみたいね」と朽木渚は
じつはオリエンテーリングの日、きみが朽木渚をかついで帰ってきたことも、みんな遠巻きに見て知っていた。
「だって、わたしのせいで倒れたんだから、このぐらいしなきゃだめじゃん? ひととしてさ」ときみは言った。
お弁当をみんなで食べているときのことだ。みんなというのは、一年のときからの友達や、バレー部の子や、それに友だちの友だちが加わったりしてメンバーは一定しないけれどとにかく明るく騒ぐのが好きな仲間たち。
「いやさすが
「おっとこまえー」
こんなふうに
「どうせわたしは女らしくないよ」と不貞腐れたふりしてきみは言った。
「そんなことないって、褒めてんの。真樹にだったらわたしもおんぶしてもらいたいもん」
「どうせなら抱っこがいいな、お姫さま抱っこ」
「ぎゃん、似合う、ぜったい似合うよそれー」
みんな好きなこと言って嬌声を教室じゅうに響かせた。その会話は朽木渚にも聞こえただろう。彼女はどう受け止めるだろうか――きみは期待とおそれにふるえた。
「やんないよ、ばーか」
内心のおそれを隠して、かるい口ぶりでそれだけきみは言った。
朽木渚とむすんだ絆を、からかいの言葉で汚されたくなかった。この会話を聞いて朽木渚がどう思ったか、知りたくてたまらなかった。彼女の思いがきみとおなじだったらいいと思った。
* * *
午後のさいしょの授業は体育だった。種目はバレー。
「見学しなくてだいじょうぶ?」
こっそり耳うちすると、朽木渚が小声でかえした。
「もう元気だってば。どんだけひよわなの、わたし」
ふふふと咲って口をおおう指はでもほんとうにほそくて、ボールがあたったら折れてしまいそうに思えるのだった。
彼女の指が折れることはなかった。その日ボールに触れることがほとんどなかったから。チームの足手まといになる彼女を見て、きみは胸をなでおろした。よく考えればひどい反応だ。
「元気だからって活躍できるってわけじゃないのよね。わかってたけれど」と朽木渚は言った。それから「あなた、すごくバレーが上手いのね。すてきだったわ」とつけくわえた。
* * *
きみはバレー部で一年のときからレギュラーとして活躍していたし、県レベルでもわりと有名な選手だったから校内ではみんな知っているものと思いこんでいた。だから朽木渚が自分のことを知らなかったのは意外でちょっとショックだったのは否めない。でも「すてきだったわ」の一言でぜんぶ吹っ飛んでいった。
きみは「すてきだったわ」をなんども脳内でくりかえし再生して、おかげでその日眠りにつくころには意味も擦り切れ、七文字の言葉は呪文かなにかのようになってしまった。
だからきみにはあらたな滋養が必要だった。ふつうにしていれば接点などなにもないのをきみは適当な用事をつくって、なにかと朽木渚に話しかけた。
窓ぎわの席でひとり本を読んでいることの多い朽木渚は、きみが来るたび本をとじて、やわらかに咲った。
きみの仲間たちは不思議がり、それ以上に呆れた。共通点どころかまるきり正反対なふたりが仲よくなるなんてあり得ない、あの子だって迷惑に決まってる、へたしたらいじめ認定されるんじゃないの。口々唱えてきみを止めたけれど、きみは平気で聞きながした。
朽木渚も内心呆れていたかもしれない。宿題を教えてと頼ってきたきみに、
「来てくれるのはうれしいわ。でもその用件、わたしでなくってもいいと思うの。あなたあんなにたくさんお友だちがいるのに」と諭すように言った。
「わたし邪魔かな……?」
そう訊かれて邪魔と答えるひとはそういないものだが、きみはそんな計算ぬきでまじめに訊いたのだった。
「それはむずかしい問題ね」と彼女もまじめに、考えながら言った。「あなたが来ると読書は止めなきゃならないから、邪魔していると言えそうね。でもあなたと話してると楽しいから、読書をとめたって惜しくないわ。わたしが望んでそうしているんだったら、邪魔と言うのは当たらないと思う」
納得いく結論が得られたのか彼女はうなずいて、きみの目を見て言った。
「だから邪魔じゃないわ、たぶん」
* * *
「あなたって不思議なひと」朽木渚はよくこんなことを言った。「だってわたしなんかにかまわなくたって、あなたには明るくって、きれいでおもしろくてスポーツができて、一緒にいて楽しいお友だちがたくさんいるじゃない。不思議だわ」
「関係ないよ、そんなこと」とそのたびきみは、むきになって言った。
「せめてわたしがスポーツできたらよかったのにね。たぶんなにやってもあなたの相手にならないし、もしかしたらまた倒れちゃうかも。あなたも本を読まないしね」
きみも、できれば彼女にはあんまり熱心に運動してほしくないと思っていた。心配で見ていられないから。
ならば自分から、彼女の好きなものに近づかなければ。
「本かあ……でも教科書なら読むよ」
「あたりまえよ」と言って、朽木渚は肩をすくめた。
* * *
まずは図書室に行こう。彼女は図書委員なのだし。そう考えて、図書室がどこにあるのか知らないことに、はじめてきみは気づいたのだった。
「はて……どこだろ」
放課後、部活がはじまる前のわずかな時間。グラウンドへ行く子やこれから着替える子、帰宅する子なんかも行き交う廊下で、図書室の場所を訊ねるのはわけないけれど、きみは自分の力でたどり着きたいと思った。こんなところでも負けずぎらいだ。
「あら。めずらしいひとがきた」
入ってすぐのカウンターに朽木渚はいた。きみの知らない、本の匂いのなかに。
迷いこんだ未知の空間できみはどう振る舞っていいか、見当もつかなかった。歩きかたさえ忘れて固まっているのを朽木渚がカウンターから出てきて救ってくれた。
「はじめてなのね。せっかくだから案内してあげる」
と言っても学校の図書室だから、たいしてかからない。狭い空間にならぶ書架には上から下までぎっしり本が詰まっていた。
「こんなにたくさん本ばっかり置いて、どうするんだろ?」
「読むんじゃない?」
「こんなに?」
「いろいろ取り揃えてるのよ。ひとによって、読みたい本はちがうからねえ」
「ぜんぶ朽木が読むんだって思ってた」
冷静に考えればそれはばかげた考えだけれど、きみはなぜかそう思っていた。朽木渚は本気にしないで、返事のかわりに書架へ手を伸ばした。
「どう、読んでみる?」
とり出されたのは、ハードカバーの、うすい本。差し出されたのを、きみはつられて手にとった。表紙には淡い色調の絵がついていた。
「わたしに読めるかな?」
きみがこわいものでも見るみたいにおずおずページをめくると、
「日本語がわかるのなら、ね」と彼女は返した。
「朽木って、けっこう言うよね、きついことも」
「そうかしら?」うーんと彼女はすこし首をかしげて考えてから、ささやいた。「でも、相手はえらぶのよ」
きみたちは図書室のいちばんはしっこまで来ていた。その先に書架はもうなかった。頭上で空調の音がして、冷風がときどき朽木渚の髪を揺らした。一学期が終わろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます