6.どうせ4年後も君が好きなんだから


 君の手を握っていたい。

 君の側に居たい。

 君の顔を一番近くで見ていたい。

 だって。



「好きです」

 言って、頭の中が真っ白になる。走り終わったあとのような爽快さと心臓の高鳴りが胸の裡に同居する。城ヶ崎さんと密着させている身体が暑くて、熱かった。

「う、んぅぅぅぅぅ」

 城ヶ崎さんが声にならない唸りを上げている。鎖骨のあたりに顔をぐりぐり押し付けてきて、時折りかかる息がくすぐったい。

「あの、城ヶ崎さん、」

「───ずるい!」

 がばっ、と勢いよく上がった城ヶ崎さんの顔は陽射しの下でもはっきりとわかるくらい真っ赤だった。特に頬の辺りが顕著で、目元が縁取られたように紅く色付いている。困惑が視線に重なるようにして落ち着いていない。

 こんな城ヶ崎さんは初めて見た。

「ずるいずるいずーるーいー」

「いや意味わかんないんですけど」

「いづこちゃんが、わたしに、す……す、き、……って言うのはずるじゃん!」

 反則だよ! と城ヶ崎さんが抗議する。

「えぇ……」

 そんなこと言い出したら。

「夏祭りのときに城ヶ崎さんが、私に……キスしてきたのだってどうなのさ!」

「えぅ」

「初めてだったんだよ!? それもいきなりだしさ! 驚くしなになにってなったしいや悪いとかじゃないんだけどでもなんでってなるしなったしわけわかんなかったし……」

 萎んだ風船みたいに勢いが無くなっていく。思い出すと背中がむず痒くなって落ち着かない。足がじたばたしたくなるのをなんとか、努力して、頑張って、押さえつけた。

「……初めて、だったんだ」

「……悪いですか」

 投げやりな調子で答える。

「ううん。えへへ」

 そこでなぜか城ヶ崎さんが嬉しそうに頬を緩ませる。なぜか、の理由なんてわかりたくもなかった。

「城ヶ崎さんは」

「なに?」

「どれだけ……なんで、私のことが好きなんですか」

 ずっと気になって、でも聞けなかったことを今更のように問いかける。

 聞いてしまえば、きっと。後戻りできないような気がしていたから。

 城ヶ崎さんが起き上がって、にまーっと悪戯を思いついたみたいに口端を吊り上げる。

「聞きたい?」

「……やっぱやめておこうかな」

「なんで!? 聞いてよ聞いてー」

 がくがくと肩を揺さぶられる。砂が後頭部にじゃりじゃり絡んできたので飛び起きた。

 髪についた砂を払っていると、城ヶ崎さんが遠くを見つめるように私を見ていることに気づく。

「いづこちゃんは優しいから」

「だから好きになった、って言いたいんですか?」

 それもあるんだけど、と城ヶ崎さんが続きを濁す。目線が泳いでいる。城ヶ崎さんの頬はまだ桜色をしていた。

「わたしってほら、完璧美少女じゃない?」

「……まぁ否定はしませんけど」

「そこは……ってあれ? あれえ?」

「いいから。続き」

「あ、うん。……それでね、えっと、なんていうのかな。完璧美少女は完璧美少女なりに大変なんだよね」

 好きでしてるから別にいいんだけどね、と城ヶ崎さんが笑う。

「でも。でもね? それでもたまには疲れたなー、甘えたいなー、って思うときがあったりもするの」

 陽だまりの中にいて。誰もが憧れるような存在でいること、その重圧。

 私には決してわからないその感覚。

 だから、自分自身を見失わないように、自分自身を曝け出せる場を城ヶ崎さんはきっと欲していて。

 それが私だった。

 偶然か、運命か、必然かはわからないけれど。

 形は歪だったかもしれないけれど。

「それで、そんな時に出会ったのがいづこちゃんだった。……正直に言えば、反省してる。無理強いさせてごめんなさい。脅したりしてごめんなさい」

「……謝らないでください」

 城ヶ崎さんに見つかって、お願いを聞くことになって。

 大変だと思った。

 面倒くさいと思った。

 なんでこんなことに、ってため息をついたりもした。

 だけど。

「私は楽しかった。楽しかったんです、城ヶ崎さんと一緒に居られて」

 それでも振り返ってみれば、どれも宝物みたいにきらきらと輝く思い出になっている。

 城ヶ崎さんと出会わなければ得られなかったもの、こと、経験、感触、感情。

 それはいまの私を形作る大切なものの一つで。

 だから、謝らないでほしい。

 むしろ、胸を張ってほしい。

 城ヶ崎さんがいたから、私はいまの私になることができたんだから。

 城ヶ崎さんを好きな私に。

「そういうとこ……そういうとこだよ、いづこちゃん」

 小波を映したように城ヶ崎さんの瞳が揺れる。

「いつも優しくしてくれる。欲しい言葉をくれる。どんなときも、わたしで居させてくれる。……そういういづこちゃんだから、わたしは好きになったの」

 城ヶ崎さんは飾らない。だからいつも真っ直ぐで、綺麗で、眩しい。

 言葉が届くと嬉しいのか恥ずかしいのかわからなくて耳が熱くなる。たぶんどっちもだった。

 気づくと城ヶ崎さんの手が私の手の上に重なっていた。

 潤んだ瞳が私を見つめている。求めているようにその口元が微かに動く。城ヶ崎さんの側に身体が自然と寄っていく。城ヶ崎さんが動いてその距離が一気に縮まる。

 止まらない、止まれない、止まらなくてもいい。

 世界がスローモーションになって。

 お互いの呼吸が重なって。

 私と城ヶ崎さんの唇が触れ合う。

 パズルの最後のピースを嵌めるように、心臓が高鳴る。じわりと安堵みたいなものが胸に満ちる。

 夏祭りのときよりも長く、確かに重ねあって。

 城ヶ崎が照れくさそうに頬を紅潮させながら離れる。

「またしちゃった」

 夢みたい、と城ヶ崎さんが呟く。

「気持ちよかった?」

「……しょっぱいです」

 さっきまで海にいたからか潮の味がした。

 しょっぱくて、柔らかい。不思議な感触。

 反芻しようとすると、かぁっと体温が急上昇するのを感じる。熱くて目が回りそうだった。

 その反応に、なぜだか城ヶ崎さんが誇らしげになる。

「いづこちゃんはまだまだだね」

「……あやめだって顔、紅いじゃん」

 むっとしたので、少しだけ反撃する。

 あやめ、と名前で呼んでみる。

 たったそれだけのことなのに城ヶ崎さんの紅色が見る見るうちに濃くなっていく。

「あや、や、ぁ、んん……!」

「城ヶ崎さん」

「ぃ、な、なに」

「かわいいですよ」

「〜〜〜っ!! もぅ! ばか!!」

 力の入ってない握り拳が私を叩く。

 そんなやり取りさえ、愛おしく感じる。

 大切にしていきたい。

 積み重ねていければいいな、と願った。



「さぁて。じゃあ、遊ぼっか!」

 恥ずかしさを振り切るように城ヶ崎さんが立ち上がる。いっちにー、と身体をゆっくり伸ばし始める。

「水着なんて持ってきてないけど」

「うーん。それじゃあ、走る?」

 どこを? と聞くと城ヶ崎さんが砂浜を指差す。陽射しがたっぷり注がれた砂浜は実に熱そうに見えた。

「却下」

「ええー」

「っていうかもうちょっとあるでしょ。他になにか」

「例えば?」

「……砂のお城作るとか」

「いづこちゃんって」

「なに?」

「……こどもみたーい!」

「はあ!?」

 ばたばたと駆け出す城ヶ崎さんを追いかける。

 図らずも城ヶ崎さんのお願いを聞く形になって、結局こうなるのか、って呆れてしまう。

 それでも、胸の内は陽射しに照らされたように明るく染まっていて。

 その感覚に酔いしれるように足の動きが早くなる。

「ねえ、」

 城ヶ崎さんが振り返る。太陽を背負ってその笑顔が眩しい。

「これからも、お願い、聞いてくれる?」

 後ろ歩きになったところを追いついて、手を取って、そのまま駆ける。

 陽射しが眩しい。

 海風が心地良い。

 身体を構成する要素全部が歓喜に満ち溢れて。

 感情が叫び出す。

「いいけどっ、城ヶ崎さんも、私のお願い聞いてよ!」

「ええー」

「嫌がんな!」

「私のメリットはぁ?」

「これからっ、ずっと! 私が好きでいてあげる!」

 明日も明後日も来週も一ヶ月後も半年後も一年後も四年後もその先もずっと。

 君のそばに居続けたい。

 君のことを見ていたい。

 好きだから。

「───いいよ。わかった」

 じゃあ。

「契約成立、ってことで!」

「もうちょっと風情がほしいかも」

「我儘だなぁ!」

「恋人、くらいは言ってくれてもよくない?」

「……努力する」

 とりあえずは、その単語を意識して、頬に熱が差さないようにするところから始めていきたい。

 時間は結構かかりそうだけど。

 そうやって日々を過ごすことも、きっと楽しいに決まっていた。

 晴れ渡る青空の下を駆けていく。

 世界は澄んで、なお拡がりを見せて。

 雲は高く遠い場所を波に揺られるように漂って。

 空へ吸い込まれるように足が加速する。

 だから、どこまでも行けるような気がした。

 ……ううん、気がした、じゃなくて。

 きっと、どこまでも行ける。

 手を重ねて。

 呼吸を合わせて。

 ふたりだけの熱を灯して。



 だから、今日も。

 たくさんの手間暇と寄り道をして。

 明日に向かって駆けていく。

 大好きな君の顔を一番近くで見ながら。

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放課後エンゲージ 真矢野優希 @murakamiS

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