無口な中野くん に恋しました

安里紬(小鳥遊絢香)

本編

「日南子、おはよう」

「おはよう」


 文化祭を目前に控え、どこか浮足立った教室に、朝の挨拶が飛び交う。私、高橋日南子もその中の一人だ。


 高校一年の秋。高校生になって、初めての文化祭を如何に楽しむか。みんな、そんなことばかりが頭の中を占めている。


 廊下側の後ろから二番目にある自分の席に着き、教科書なんかを机にしまっていると、一人静かに入ってきた男子に気付いた。


 中野大翔ひろとくん。


 物静かで一人でいることが多い彼が、今、私が気になっている人だ。近くにいた男子に声を掛けられても、短く返事をしただけで、すぐに窓際の一番後ろの席に座ってしまった。そわそわした空気の中、中野くんだけが淡々とした空気をまとって浮いていた。


 でも、彼はそれを気にした様子もなく、マイペースに過ごしているし、クラスメイトの間でもそれが定着している。


 ほら、今だって、頬杖をついて、窓の外に視線を向けてしまった。


 秋特有の高い青空にひつじ雲が連なり、校庭の端の方にある木々は少しずつ色づき始めている。中野くんはそんな景色を見て、何を感じ、何を考えているのだろう。


「日南子、また中野くんのことを見てる」


 奈々に声をかけられて、我に返って正面に向き直る。前の席に座っていた奈々が、ニヤニヤした顔でむふっと笑った。奈々は残念な笑い方をしても、かわいらしくて、少し、ううん、本当はすごく羨ましい。


 私だって、奈々みたいに背が低くて、ふわふわした雰囲気を持つかわいい女の子になりたかった。


 周りの女の子よりも背が高くて、バレーボールをやっているから筋肉だってそれなりある。ふわふわなんてしていたら、ボールに吹き飛ばされてしまうから、仕方ないとは分かっていても、憧れるくらい許してほしい。


 私よりも背が低い男の子もいる中、中野くんは私よりも背が高い。それがどれだけ嬉しいか、きっと他の女の子には分からないだろう。当然、中野くんだって、そんな私のささやかな乙女心なんて気付いていないに違いない。


「どうして、あんな奴がいいの?」


 どうやら、にやけた顔を封印してくれた奈々が、ぼんやりしていた私の顔を覗き込んできた。


「……優しいから」

「どこが」

「えっと、さりげなく?」

「優しいっていう言葉と中野くん、全然結びつかないんだけど」

「本当は優しいんだよ」

「ふうん」


 まったく納得していない様子の奈々は、チャイムと同時に入ってきた担任に気付いて、前を向いた。


 いいんだ。彼が優しいことを知っているのは私だけで。


 長い前髪を鬱陶しそうに掻き上げた瞬間に見える目が大きくて綺麗だということも、私だけの秘密にしておきたい。どうして、そんなことを思うんだろう。


 私が彼を気になり始めたのは、入学して間もない頃にあった出来事がきっかけだった。




 ***


 体育の後、体育館の裏にある体育倉庫にボールを片付けに行った時、私は段差に気付かずに躓いて転んでしまった。


「いったぁ」


 目の前で弾みながら転がっていったボールを視界に入れながらも、膝と足首の痛みに顔が歪む。


 痛みのせいで、ぎこちない動きになってしまったが、なんとか座り直して、ハーフパンツから出ている膝を見ると、ばっちり擦りむき、思ったよりも血が出ていることに驚いた。見てしまったことで痛みが強くなり、捻ったらしい左足首までドクンドクンと脈打つような痛みに変わっていく。


 保健室に行った方がいいことは分かるが、少しでも動くと、ビリッと裂けるような痛みが走って、なかなか動くことが出来ない。


 そんな時、後ろから足音が近づいてきて、ボールを集めて運び、気付いた時には、その人は私の前にしゃがみこんでいた。


「……中野くん」


 ジャージなんて野暮ったくて、誰が着ても同じはずなのに、彼は手足が長いからか、どことなく垢抜けていてモデルのように見える。 


 でも、顔を見れば長めの前髪が目にかかっていて、覇気のない表情も相まって暗く感じた。正直、クラスで目立つことがない彼のことを、この時まで、私はあまり気にしたことがなかった。同じクラスになって、まだ一度も話したことがなかったのに、どうして今、目の前にいるんだろう。


 痛みでぼやけている頭で考えていると、何も言わずに私の手を取って、優しい力で砂を払い始めた。傷には触れないように、慎重に。手が綺麗になったら、足の方を。


 何も言わずに黙々と払っていくのを、私は茫然と眺めていた。何事にも無関心なんだろうな、という印象があったから、この行動がちぐはぐな感じがする。


「歩ける?」


 払うことを止めた中野くんが不意に聞いてきたため、すぐには意味が分からなかったが、我に返って、慌てて首を横に振っていた。そうしてから、しまった、と後悔した。


 歩けないなんて言ったら、甘えようとしているみたいで笑われてしまう。こんなに大きな女が甘えてもかわいくないということは、とっくに言われ慣れているというのに。


「いや、あの大丈夫! 少し座っていれば、ちゃんと自分で、え、何……?」


 必死に否定しようとしたにも関わらず、彼はそれが聞こえていないかのように、私に背中を向けてしゃがみ直した。


「乗って」

「え、ええ!? ダメ、重いから! それに中野くんに迷惑はかけられないし」

「待たされる方が迷惑。だから、早く乗って」


 ちらりと振り向いて、それだけ言うと、すぐにまた前を向いてしまった。待たせることが迷惑だと言われてしまい、かなり迷ったものの、思い切ってその背中に乗ってみる。


 立ち上がれなかったらどうしよう。でかいとか、重いって言われたらどうしよう。


 そう不安に思っていたのに、中野くんは何も言わず、危なげなく立ち上がって、私を保健室まで運んでくれた。


 印象よりずっと広い背中、手を置いた肩も意外と筋肉があって、初めて中野くんが男の子であることを意識してしまった。背が高い私よりも更に視点は上にあって、それもやけにドキドキさせられた。



 その日以降、気付けば彼を目で追っていて、ぼんやりしていて素っ気ない人かと思っていた印象は、次第に変わっていった。


 誰も気付いていないゴミを無言で拾って、ゴミ箱に捨てたり、前の席の子が落とした消しゴムをそっと拾って、机に戻してあげていたり。中野くんはいろんなさりげない気配りを見せるのに、まるで目立たないように意識して行動しているみたいだった。


 だから、誰も彼の優しさに気付かないのだ。


 そうして、見ているうちに、私も気付いた時には目立たないように、中野くんがやっていることを真似するようになっていた。そう行動する度、彼と目が合うようになったのは、気のせいじゃないと思いたい。


 でも、必要以上に、お互い話しかけることはなくて、仲良くなる方法が分からないでいる。





 ***


 そんなもどかしい毎日を送っていた、ある日。朝、教室に入ると、やけに騒がしかった。


「どうしたの?」


 自分の席に座りながら、前に座っていた奈々に声を掛ける。


「なんか、倉田さんが佐々木くんのこと、好きなんだって。でも、倉田さんって大人しいし、ムードメーカー的な佐々木くんは釣り合わないって、あいつらがからかってるの」


 黒板の前で、クラスでも派手なグループの女の子達が、倉田さんを囲んでいた。クスクスと笑いながら、楽しそうにからかう女の子達に、倉田さんが何か言い返せるはずもなく、ただ俯いて耐えている。


「助けてあげたい、けど……」


 どうしてもこういう時、前に出るのは怖い。次は自分が何かを言われるんじゃないかって。


 クラスの誰もが口を出せずに、倉田さんをからかう言葉と笑い声だけが教室に響いていた中、突然、ガタンと大きな音がして、全員が一斉にそちらに視線をやった。


 窓際の一番後ろの席。中野くんが、わざと大きな音を立てて、立ち上がったらしい。


 中野くんも大人しい方に分類されるから、みんな、その行動に驚いている。注目された中野くんは、ぐるっと教室を見回し、最後に私で視線を止めた。


 その目は離れていても分かるほど、真っ直ぐで力強くて、いつものぼんやりした目はどこにもない。視線の先に自分がいる理由が分からないけど、こんなにもしっかりと目が合ったのは初めてで、ドキドキと胸が高鳴って、痛いくらいだ。


「高橋日南子!」

「は、はい!」


 初めて聞く中野くんの大きな声は、凛としていて、教室によく響いた。


 まさか自分の名前が呼ばれるとは思っていなくて、思わず反射的に大きな声で返事をして、立ち上がっていた。続いた言葉は、にわかには信じ難いものだった。


「俺は高橋のことが好きだ。すげぇ好き。だから、俺の彼女になって」

「えっ、あの、は、はい!」

「ありがとう」


 あまりに真剣で力強い言葉に、気になっていただけだと思っていた私は、ストンと中野くんに落とされ、素直に返事をしていた。


 私の返事を聞いた彼が、クッと口角を上げて、目尻を下げて、それはもう嬉しそうに笑った。初めて見た笑顔に私の心臓は撃ち抜かれて、クラクラする。きっと顔どころか、身体中が真っ赤になっていると思う。


「暗い俺が、明るくて元気いっぱいな高橋を好きでいることは悪いこと? 人を好きになるなんて、奇跡なんだよ。そんな純粋な気持ちに、他人が口を出していいものじゃない。俺は振られても、高橋をずっと好きでいると思う。そのくらい、強い想いだから」


 中野くんが一息に言った真摯な言葉は、そこにいた全員の心に刺さった。もちろん、私の胸には深く奥底まで刺さった。


 シンと静まり返って、動きを止めていた教室内だったが、中野くんが佐々木くんのところまで行ったことで、少し時間が動き始める。


 彼は佐々木くんの腕を引っ張り、倉田さん達のところまで連れて行った。


「佐々木、ちゃんと二人で話してこい」


 そう言って、ポンと背中を押されて、倉田さんの前に出された佐々木くんは一瞬躊躇ったものの、すぐに倉田さんの手を取って、教室を出て行った。硬直していた女の子達も慌てて出て行き、教室内はピリピリした空気からソワソワした空気に変わっている。


「高橋、ごめん。恥ずかしい思いさせたな」


 いつの間にか、中野くんは私の前に立って、こちらを見下ろしていた。いつもは前髪に隠されている目が、しっかりと開き、くっきり二重であることが分かった。


 でも、ちょっとバツが悪そうに眉尻を下げている。さっきまで毅然と話していたのに、その凛とした雰囲気が、今は随分丸くなっていた。


「恥ずかしいけど……でも、嬉しかった」


 倉田さんを助けるために、あんなにも堂々と話していた姿は、見蕩れるくらいかっこよかった。目の前にいる中野くんが少し申し訳なさそうにしていても、もうそのかっこよさは損なわれない。


「良かった。あんな告白になっちゃったけど……大事にするから」

「う、うん……私も、中野くんのこと、大事に、する」


 バクバクと煩い心臓の音を消してしまいたい。


 嬉しくて、信じられなくて、夢見たい。


 そう思っていると、ポンと頭に大きな手が乗った。


「日南子」

「はい、えっ、ひな」

「日南子の優しいところが、好きだよ。これからはクラスメイトじゃなくて、彼氏としてよろしくな」

「はい!……大翔くん、こちらこそ、よろしくお願いします」

「そういう素直なところも、かわいい」


 そう言って、大翔くんは私の頭を何度か撫でて、一緒に帰る約束をして席に戻っていった。


 こうして、あんなにぼんやりしていた彼は、相変わらず無口だけど、優しくて男らしくて、頼れる彼氏になった。





 *終*

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