最後に、一声

僕は猫を飼っている。

名前はクロ。全く言うことを聞かないし、懐かない。

その癖、女性には色目を使う。

瞳はエメラルドのように輝いていて、毛は水のようにツヤツヤしている。


ある日、友達が家に上がってきた。

中学の頃の「ユキ」というあだ名の友達だ。

昔から仲が良く、家に勝手に来るほどの仲ではある。が、親友以上ではない。

「やっほー。」

そう言って上がってくると、クロはすぐさまユキの近くへ行って甘えた。

「かわいい」とユキは言うが、そんなの僕にはない。

帰ってきたら即座に走ってきて「あ、いたんだ。」と言って去るような仕草を見せる。


今日は久しぶりに家で遊んで飯を食べて帰る感じらしい。久しぶりゆえのぎこちなさも少しあった。

「しかし、クロちゃんって鳴くの?クロちやんの鳴き声聴きたいんだけど…。」

「いいや。まだ今まで泣いたことは無いよ。」

そう、鳴いたことが一度もない。

猫は夜行性だから、夜起きてれば鳴き声が聞こえるだろうと思っていたが、鳴かずに家を僕から遠ざかるように徘徊するだけだ。

病気かと思って、動物病院にも連れて行ったが、特に異常はなかった。

一回でもいい、懐かれなくてもいい。

鳴き声だけ、聴きたい。


それから少し経ったある日、クロが少しずつ僕をお出迎えしてくれるようになった。

嬉しくって、涙が出そうになったが、堪えてずっと撫で回した。うんと、かわいがった。

まるで、初めて歩いた赤子のように。

そのことをユキに話すと、ユキも同じくらい喜んでくれた。ユキとは出会って五年。しかし、クロとは出会って六年だった。

何処からくる感情か、ふと色々な事を思い出して浸っていた。


飯も十分に与えられず、弱々しかった子猫。

目は黒く暗く、希望一つ持っていなかった。僕はその時自分の中学への思いとの既視感を感じて拾った。

親に頼み込んで、自分のお小遣いを全て猫に費やした。

ユキと出会って、クロは初めて甘える事を知った。その時の静かな苛立ちは、今でも覚えている。…ただの嫉妬だけれど。

高校で、夏休みにバイトをして猫に費やした。親から貰うお小遣いからは、もう使えないと思ったからだ。

その後、高校二年になってバイトの申請をして、ギリギリOKを貰えた。

嬉しくなって帰って猫を撫でたが、引っ掻かれて、バイトへのモチベが減った。

そして、今の大学生。

一人暮らしだが、猫もいるし友達も来る。

なんて恵まれた環境なんだろう。


…そんな思い出を振り返りながら、今日にさよならを告げた。


楽しかったようで、ユキが家に来るのがほぼ恒例となり始めた頃、身構えていたが、それでも驚いた事が起きた。

告白されたのだ。しかも、結婚を前提として。

そりゃもちろん、YESとすぐ返したかったが、それをグッと堪えて何故?と聞いた。

ユキは小っ恥ずかしそうに答えた。

「…猫に優しい君が好きなのと、毎日のように通っても怒られなかったから、チャンスかなー…って。色々理由はあるけど、大事な時にそれはとっておくね。」

…理由がとても可愛かったが、YESと言うのを恥ずかしく躊躇っていた。

少し緊張の時間が流れたが、クロが急にいつもユキに甘えている定位置のユキの足からヒョイっと机に乗って、カップを足で倒してみせた。

緊張感がほぐれて、軽くYESと答えられた。

やはり、クロは何処まで行っても愛想がないが、時たまかっこいい行動をする。

思えば、クロとは大事な日々をずっと一緒に過ごしてきた。


卒業、入学、受験、成人、そして今。


式典の日にいつも最初に祝ってくれる。

クロが飼い猫でよかった。そう思う日が増えてきた。


一、二年経ってから同棲を始めた。

早くは無いと思っている。いつもユキが来ているから、同棲には慣れている。

そしてある進展がやってきた。

クロが、僕にも甘えてくれるようになった。

僕の足にものる、僕の足に擦りついてくる。

いつもなら、絶対考えられない行動をするようになってくれた。



そして、数ヶ月。


クロが病気を患った。


嵐のような毎日で、さらにクロが甘えてくれていた嬉しさもあって、発見が遅くなった。

子猫の時とは段違いで体が痩せ細っていた。先生曰く、もうじきらしい…。

それからは、体調に気を付けながらも、とても可愛がった。

なんで急に甘え始めたんだろう。そう思っていたが、単純明快でクロが自分の死期が近いと判断したから、最後だけでも感謝を甘えに出そうとしてくれたのだろう。

ユキも毎日泣きそうだった。そりゃそうだ、ユキはクロに並々ならぬ愛情を注いで注がれていたのだから。

僕の目も、もちろん潤んでいるし、毎夜毎夜泣いているけど。


そうして、本当に動かなくなり始めた。

二人で挟んで見ていた。撫でていた。

冷たくなっていく、僕らの大事な家族を撫で続けた。

そして、最後に。

「ニャア。」

クロが初めて鳴いた。

その声は振り絞ったかのような声で、クロは昔から泣くのが下手だと言う事がわかるほどだった。

そして僕ならわかる。コンプレックスだったのだろうと。

多分痩せ細っていたのも、この世で1番綺麗で1番拙い鳴き声は、猫からも人からもあまり好かれなかったのだろう。

しかし、僕らの家族の初めて出した声は、どんな歌よりも澄んでいて芸術的で、どんな宝石よりも輝いて綺麗だった。

「もう、遅いよ。もっと聴きたかった。」




クロはどれほど幸せを感じてくれていたのだろう?

クロは後悔なく生きれたのか?

クロは本当に、僕らでよかったのか。



黒い夜、二人で泣いていた。

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回転寿司 秋花 シュウカ @syuuka116

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