緑の詩

26頁目

 久方ぶりの祭に招待されたSは、また和国の門をくぐり抜けていた。

 大通りの双方に屋台が立ち並び、狐のお面をつけた龍人の子どもたちが色とりどりの風車やヨーヨー風船を携えて、走り去ってゆく。きっと嗅覚がれば香ばしい魚の串焼きの香りに誘われて、足を止めてしまうだろう。

 ふと気がつけば、真っ赤な鳥居の前に立っていた。

 鮮血で染めたような鳥居から何故か目を離せない。重心が無意識に傾き始めたとき、

「あんさん あんさん」

 後ろから声が聞こえる。

「すかたんしぃなや」

 黒髪に縞々に黄色のメッシュが入った毒々しい髪色の遊女が、扇で口元を隠しながら彼女を引き止めた。Sはその声で踵を返して、鳥居の奥でぐっぱりと開けた巨大な狐の口に飛び込むことはなかった。

「都美さん」

 ふっとSの表情が砕ける。

「お久しぶりどす」

 複眼の瞳をもつ都美と呼ばれた女は、ひらひらと扇で手招き路地裏へ入っていった。


 一度暗くなった視界がどこかの境界を踏み越えた瞬間に眩しくなる。

 和国の城下町から外れた、東南の区画『花街』。蛇腹の大道芸に声を張る客寄せ、腕を組んだ恰幅の良いモノと着飾ったモノが所狭しと往来してゆく眠らぬ町。小さな禿が都美の後ろから和傘をさして、彼女の顔を隠した。

「危なかったなぁ」

 また扇で口元を隠して、わざとらしく目だけを笑わせた。

「そりゃどうも」

 ふてぶてしく手をポケットに突っ込みながら、顔を反らした。

 ざわっと波が引くように人がはけてゆく。片方の端は歓声があがり、花束が投げかけられるかのように黄色い歓声が飛び交う。もう片方は、どよめきとナイフが振り刺さるように向けられる視線が飛んできていた。

「よう目立ちますなぁ」

「あんたもだろうがよ」

「ふふ おおきに」

 青い視界の先をぎっと睨みつけると、おずおずと気配が消えていった。


 花街の一際大きな建物の前で、禿が傘を閉じた。

「えらいこっちへ ようこそ」

 入口からズラッと並んだ遊女たちに出迎えられて、後ろからざわつく視線を感じながら敷居をまたいだ。

「そんなに歓迎される立場でもないんだがな」

 冷めた目でひと通り顔を見て、都美の後ろをついていく。

「胸を張りな」

 この世で一番人気な夜の女は、そんな様子に目もくれず奥の「龍の間」に消えていった。


 龍の間にはずらりと並ぶお役人たちと、最奥には2つの座布団が並んでいた。

 禿がその手前の空いた座布団へ案内する。都美が座ったのと同時に肘付きが差し出されて、姿勢を崩した。Sは一度正座をしたが

「崩してええのよ」

 と言われ、言葉に甘えてあぐらをかいた。

「ほな 本題にはいりましょか」

 黄色い複眼が一斉にこちらを向く。お役人たちがザッと奥の空いた座布団に正座の向きを変えて頭を下げる。

 ピシャリと間が広がった。

 更に奥のふすまの先にいたのは、大和に連れられた凌我と栄激だった。栄激はまだ完全に回復していないのか、ふらつく体を支えられながら立っている。

「久方ぶりじゃのぉ さくみぃ!」

 とっさに歩き出そうとした彼を止めながら、大和は2人を座布団に座らせた。凌我はずっしりとあぐらをかき、栄激はあぐらをかきつつも膝に肘を付き、前かがみになった。ランランとした弟の目とは違い、兄の目はあまりにも冷たく、彼女を見定めようと首すじに刀を突きつけられているかのような視線。それでもSは目線を彼からそらさなかった。

 お互いに刃物を突きつけ合いながら沈黙が流れる。

「……表をあげよ」

 電波にも乗らないような低く厚い声が間に響き、誰もがそのご尊顔を見た。鍛え抜いた体の上にある不健康に痩せた頬に、くぼんだ黒目の中に浮かんだ光のない赤い瞳が、ほぼ全員の声帯を抑え込んだ。

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