第61話 自由に生きるんだから


 玄関の扉を開けると、嗅ぎ慣れた家の匂いがした。


 まだこの国に来て二日しか経っていないのに……嗅ぎ慣れたはずの家の匂いを感じると随分と長い間、我が家に帰ってなかったような気がしてしまう。


 見慣れた木造の家内。玄関から見えるリビングルームに置かれた大きなソファを見るだけでアリスの心は弾みそうだった。


「……今日は疲れたわ」


 アリスはそう言うなり、履いていたブーツを勢い良く玄関に投げ捨てた。

 ペタペタと音を立てて歩くアリスが、そっと壁に描かれた魔法陣に手を触れる。


 そうすると――瞬く間に家の中が明るくなった。

 家中の天井に描かれた魔法陣が一斉に明るい輝きを放つ。


 見慣れたその光景を見て、アリスはようやく自宅に帰れたのだと実感していた。 


「ロウソクとか松明の火とか暗すぎるのよ。やっぱり電気って偉大だったのね」


 深夜の王都を照らしていた明かりを思い出しながら、無意識にアリスが不満を呟く。


 科学の力で生み出された家電製品がこの世界に存在しない以上、夜を照らす明かりもこの世界には限られたものしかない。


 ロウソクや松明の小さな光で夜を過ごすなど、前世の科学の発達した文明で生み出された恩恵を存分に経験した記憶を持つアリスには到底耐えられるはずもなかった。


 その結果、彼女の手によって作られたのが今の魔法だった。


 壁に設置した魔法陣に触れるだけで、家の天井に設置した魔法陣が連動して光るように一から術式を作った。魔法陣に触れながら手を回すだけで光の強弱までできるようになるのに三ケ月も掛かったのは我ながら馬鹿だと思いたくなる。 


 しかし家の中を照らす光を見るだけで苦労した甲斐があったと、アリスはしみじみと思っていた。 


「お風呂は……流石に駄目よね。間違って寝て死んだら笑えないわ」


 前世の記憶だが、湯船に浸かって眠るのは気絶に近いと聞いたことがある。

 気持ちとしては風呂に入りたいところだが、渋々とアリスは風呂に入る選択肢を頭の中から排除した。


 玄関を抜け、リビングルームに向かう途中で右側の扉をアリスが開く。


 その扉の先は、小さな部屋だった。


 洗面台と大きな鉄の箱が置かれ、更にガラス張りの扉。


 その部屋にアリスが入ると、のそのそと着ていた服を脱ぎ始めていた。


「ふわぁ……眠い」


 本当なら今すぐにでも寝たい。しかし王都の中を一晩中歩き回っていた所為で身体中が汗を掻いていてどうにも気持ち悪い。


 そう思いながら、アリスが脱いだ服を大雑把に大きな鉄の箱へ放り込んだ。

 その後、箱の側面に描かれた魔法陣に彼女の手が触れると、小さな音を立てて箱が揺れ動く。


 鉄の箱の中で回る水に服が巻き込まれて回る光景を確認して、アリスは満足そうに頷いていた。


「洗濯機もあれば便利ねぇ」


 これも前世の記憶を元に作ったアリスの魔法だった。


 風と水の魔法で作り出した術式が洗剤要らずで服の汚れを綺麗に洗浄する。そして乾燥までしてくれるのだから数週間掛けて作った甲斐があった。


「なんかベタつくわね……最悪」


 早く身体を洗いたい。魔法で身体を洗うという選択肢もあったが、お湯で身体を洗った後の心地良い爽快感があれば間違いなく気持ち良く眠れるだろう。


 生まれたままの姿となった身体を気怠くとも動かして、アリスはガラス張りの扉を開けていた。


 その扉の先も、アリスの前世で見慣れた光景だった。


 小さな部屋に、大きめの浴槽に液体の入った容器と壁に描かれた魔法陣。前世の記憶で言うのなら魔法陣を除けば和風の浴室と言える内装だった。


 その部屋でアリスが壁に描かれた魔法陣に触れると、天井の魔法陣から温水が降り注いだ。


 これもアリスの作った魔法だった。


 火と水の魔法で温水を作り、それを魔法陣からシャワーのように発生させる魔法。


 温水で身体を存分に濡らして、アリスは容器に入った液体で身体を洗っていた。

 髪から身体と順番に手際良く洗っていく。


「ふんふん……!」


 無意識にアリスが鼻歌を歌ってしまう。

 そして身体を洗い終えると、そそくさとアリスは浴室から出ていた。


 濡れた身体と髪は、アリスの魔法で手間は掛からなかった。


 アリスが指を鳴らすと、彼女の周囲に温風が舞う。

 その風をしばらく浴びれば、瞬く間に彼女の身体から水気は綺麗に無くなっていた。


「着替えは……これだけで良いか」


 近くの棚に入れていた大きめの古びたワンピースをアリスが取り出して着る。

 家の中で下着を着る必要もないだろう。身体を締め付ける物がないだけで、かなり気分が良くなる。


「シャワーの後は……っと」


 身体を洗い終えれば、もう寝るまでもう少しだ。


 アリスが部屋を出てリビングルームに向かうと、キッチンに向かっていた。


 キッチンに置かれた小さな鉄の箱をアリスが開けて、その中に入っていた瓶を取り出す。


 水の魔法を付与した鉄の箱は、箱の中に入った物を冷たくする。これもアリスの作った魔法だった。


 冷たい水が入った瓶をアリスが口に添えると、勢い良く飲んでいた。


「こういう時、酒じゃないのが悔しいところだわ。まだ酒造は手を出してないから……近々やってみようかしら」


 今後作る魔法の予定を頭の中で増やしながら、アリスは飲み干した瓶を鉄の箱に戻した。

 瓶を箱に戻せば、勝手に水を注いでくれる。この手間を魔法で無くすのも数週間掛かった。

 これで寝る準備が終わったと思うと、強烈な眠気がアリスを襲っていた。


「ふわぁぁ……」


 大きな欠伸をしながら、アリスがペタペタと音を立てて歩く。

 キッチンからリビングルームに向かい、部屋の中心に置かれた大きなソファにアリスが辿り着くと、飛び込むようにソファに倒れ込んでいた。


「あぁぁ……これよ、この感触」


 大きなソファに置かれた枕を頭を添えて、アリスが歓喜の声を漏らす。

 やはり使い慣れた寝具が一番眠れる。そう確信させる心地良さがアリスの身体を襲っていた。


「これは魔法よ、魔法。強烈な魔法だわぁ」


 枕を抱きしめて、アリスが満面の笑みを浮かべる。

 部屋の温度も適温である。室内の温度調整も、すでに魔法で変えられるようにしている。寝苦しいと思うこともない。


「面倒なことがたくさんあったけど、この感触だけでどうでも良くなるわ」


 次第に強くなる眠気に抗えないと、アリスの瞼が落ちていく。


「ここ数日は本当に疲れたわ……面倒な仕事押し付けられて、変なジジイに喧嘩売られて……徹夜で街中に術式の設置までして……こんなに働くなら逃げた方が良かったかも」


 うとうとと瞼が落ちていく中で、この国で起きたことに気怠そうに呟いた。


 ここまで働くことになると初めから分かっていれば、シャーロットから逃げていた方が良かったかもしれない。


「でも魔導書が読み放題になったのは良い誤算だったわ……国の管理してる魔導書なら禁書もたくさんあるでしょうし、明日から思う存分読んでやるわ」


 明日から好き勝手に読める魔導書のことを考えるだけで、アリスの口から笑みが溢れる。


「魔力障壁も作ったし、後はこれでしばらくは何も起こらないことを祈るだけだわ」


 闇の魔法、他の大陸からの宣戦布告なと面倒そうなことが多く起きたが自分に面倒事が降り掛からなければ心の底からどうでも良い。


「仕事なんて誰がするもんですか……私は好きに生きるの。昔の人生みたいにクソ親に支配されることもなく、誰にも束縛されることも……蔑まれることもなく、自由に生きるんだから」


 脳裏に浮かんだ前世の嫌な記憶を思い出すが、アリスは即座に消し飛ばした。

 下手に考えれば、夢に出てくるかもしれない。夢の中で辛い思いなどしたくもない。


「魔女の仕事なんて最低限で良いのよ……何か起きても適当に、さくっと終わらせれば良いだけなんだから……」


 アリスの目が閉じる。そして彼女の呼吸がゆっくりと、小さくなっていく。


「誰にも……私の人生を邪魔なんて、させないんたから」


 そう小さく呟いて、気づくとアリスは意識を手放していた。


 心地良い寝息を立てて、アリスが眠る。


 次に徹夜明けの彼女が目を覚ますのは、二日後の朝だった。


 その時、連絡もなく訪れたアルディウスに寝起きの《エアハンマー》を放つことになることなど――今のアリスに知る由もなかった。







――――――――――――――――



ここまでお付き合いして頂き、ありがとうございます。


本当に読了お疲れ様でした。

これにて一章が無事終わりました。


拙い私の書いたこの一章にお付き合いして頂き、フォローとレビュー、コメントをして頂いた方々に心からの感謝を。本当に励みになりました。


正直、書き始めた時は一章に20万文字も使うとは思ってませんでした。

物語の時系列的に、三日しか経ってないんですよね……我ながら馬鹿だなと思います。

改めて読み返すと至らぬ点が多かったなと反省するばかりです。


二章はもっと短くできればと考えています。


これからのアリスの物語をよろしくお願いします。


最後に、今後もこの作品を頑張りたい所存ですので、皆様からのフォローやコメント、レビューをして頂けると嬉しいです。今後の励みになります。


Webコンテストにも参加させて頂いてますので、何卒よろしくお願いします。

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