第60話 無くさないで持ってなさい


 徹夜明けの身体で受ける日光は、実に気分が悪くなる。

 眠くて仕方ないのに、空から降り注ぐ太陽の日差しが活動しろと訴えているような気がして仕方ない。

 こういう時に意外と魔女の正装である大きなとんがり帽子が役に立ってくれる。実にふざけた服だと思っていたが、思いのほか好きになりそうだった。

 

「ふわぁぁ……」


 昼間の王城の中庭で、アリスは大きな欠伸を漏らしていた。

 一晩中動いていた所為で身体中が怠くて仕方ない。両手を空に突き出して身体を伸ばすと、背中からポキポキと心地良い音が鳴った。


「またそんな大きく口を開けて……だらしないですよ。アリス様」

「……眠いんだから仕方ないでしょ」

「一睡もせず王都の為に働いて頂いたことには感謝してますが……大勢の人間がいる場でだらしのない行動は良くありませんよ」


 アルディウスが周囲を見渡すと、王城の中庭には多くの人間が集まっていた。

 王城に住む王族の面々が揃い、彼等の後方に王城で働く使用人達が綺麗に整列している。

 その中でアリスが我が物顔で大きな欠伸をしているのだから、小言のひとつも言いたくなるのは当然だった。


「そんなの私の知ったことじゃないわよ。心底どうでも良いわ」

「あなたという人は……まったく」


 隣に居たアルディウスから指摘されるもアリスは気にする様子もなく、また大きな欠伸を漏らす。

 相変わらず改善する気もない彼女の反応に、呆れたとアルディウスの肩が力なく落ちていた。


「私も久々に徹夜したから眠いわ……アルバルト君、あとで部屋を貸してもらえない?」

「勿論、ゆっくりと休むと良い」


 アリスの傍に居たシャーロットとアルバルトが他愛無い会話を交わす。

 無意識に出そうになる欠伸を我慢して口を抑えるシャーロットに、アリスは失笑交じりの笑みを浮かべていた。


「無理して最後まで私に付き合うからよ。眠いならさっさと帰って寝れば良かったじゃない」

「私もアリスが設置した術式の場所知らないと何かあった時、なにかと不便でしょ?」

「なにも起こらないわよ。そうならないように作ってるわ。あとわざわざアンタが付き合わなくても、設置した場所くらい後で伝えたら良い話じゃない?」

「よくそんなこと言えるわね。誰にも言うつもりもないくせに」

「……さぁ? それはどうかしら?」


 苦笑するシャーロットに、アリスがわざとらしい笑みを見せる。

 明言はせずとも、彼女の反応は答えているようなものだった。

 その会話に、アルバルトの眉が僅かに寄った。


「シャーロット殿? それはどういうことなのだ?」

「この子、誰にも言うつもりないのよ。今から展開する魔法障壁の術式がある場所を」

「それは……私達にも教えないと?」

「私にも教えるつもりなかったみたいだし、当然そうでしょうね」


 呆れたシャーロットがそう答えると、アルバルト達は驚いたと目を大きくした。


「アリス殿、それは本当なのか?」


 王都を守る為に展開される魔法障壁の詳細を、この国を治める王であるアルバルトにすら教えないというのも問題だろう。

 国を管理する側が、国を守る魔法について何も知らなければ困ることもある。

 そう思いながら問われたアルバルトの疑問に、アリスは失笑していた。


「秘密が秘密じゃなくなる時ってどういう時かしら?」

「む……?」


 突如、アリスから問われたことにアルバルトが眉間に皺を寄せてしまう。

 しかしそれでも、彼は小馬鹿にしたように笑みを見せるアリスに答えていた。


「……秘密にした人間がその秘密を誰かに暴露した時ではないか?」

「なら私が言わない理由も分かるんじゃない? 秘密っていうのは知る人間が多いだけで意味がなくなるのよ? 本当に隠したいことがあるのなら誰にも言わないなんて誰でも考えることでしょう?」


 確かに秘密を露呈させたくないのなら、その秘密を知る人間は少ない方が良い。

 秘密を知る人間が多ければ多いほど、その秘密は露呈される可能性が多くなる。

 それをアルバルトも当然理解していたが、それで納得できるはずもなかった。


「それはそうだが、この国の誰も知らないというのは――」

「この国の魔法障壁があのクソジジイに壊されたのは、ここに集まった人間達が全員揃って術式の設置している場所を知ってたからでしょ? たとえ警備を厳重にしても、人間の警備なら穴のひとつもどこかしらで空くものよ? それを考えれば誰も知らない方が何かと都合が良いと思わない?」


 耳が痛いことを言われれば、アルバルトも唸るしかできなかった。


 今回の一件でファザード卿が王都を守る魔法障壁を破壊できたのは、魔法障壁を展開する術式を設置している場所が知られていたからだ。

 もし彼が術式の設置している場所を知らなければ、魔法障壁も壊されることはなかっただろう。


「別に場所なんて知らなくでも困らないでしょ? もうアンタ達に術式の概要は伝えてるんだから、その場所がどこにあるか知ったところで意味もないわ」


 その言葉で、アルバルトは納得せざるを得なかった。

 唸りながら渋々と頷く彼に、アリスは小さく肩を竦めていた。


「さて……さっさと終わらせますか」


 そう言って、アリスが一歩前に出て、目の前にあるモノを見上げる。

 彼女が見上げた視線の先にあるモノに、その場に居た全員の視線がソレに向けられていた。


「これが最後の術式ですか?」

「えぇ、そうよ。私の家」


 全員が視線を向けていたのは、宙に浮かんでいるアリスの家だった。


「私が王都に設置した四十六個の術式は、その全てがただひとつの術式を補強する為にある。その魔法障壁を展開する術式は誰も触れない場所に置いた方が良い。なら一番身近な場所に置いておくのが一番よ」

「それ、私達に言って良いんですか? 秘密にすると言っていたはずですが?」


 王都に設置した術式が補強する大元の術式がある場所を公言したアリスに、アルディウスが困惑する。


 それを言ってしまえば、先程までアリスが話していたことが無駄になると。


 しかしアリスは、自身の浮かぶ家を見上げながらくすくすと笑っていた。


「これは言っても問題ないわよ。だって誰も入れないもの」

「それはどういう――」

「こういうことよ」


 アリスがそう告げた瞬間、彼女の指先が下から上に動く。

 そうすると、アルディウス達の前に浮かんでいたアリスの家が空に飛び立った。


 王城を越え、王都の空にアリスの家が飛んでいく。


 そして地上のアルディウス達から見て、空に飛ぶアリスの家が小指の先程度に小さくなると――彼女の家は空の上で制止していた。


 空に浮かぶ自身の家を見上げて、アリスは満足そうに頷いていた。


「あの家に魔法で誰かが行こうとしても、空の上にあれば誰の目にも見える。それに私の家に設置してる防御魔法なら近づくことすらできないわ。仮に入れたとしても、当然私に気づかれるし、基本的に私も家の中にいるでしょうから術式を見つける前に切り刻んでやるわよ」

「……なんと強引な」


 空高く浮かぶアリスの家を眺めながら、無意識にアルディウスから呆れた声が漏れてしまう。


 あんな奇天烈な場所に家が浮かんでること自体、おかしなことだった。

 あの場所に誰かが魔法で行こうとすれば、嫌でも目に付くだろう。

 加えてあの家自体の守りも鉄壁に近いことは、昨日に起きた中庭の負傷事件でこの場にいる全員が知っていることだ。


 それを知っていれば、誰もあの家に近づこうとすら思わないだろう。


 更にその家に混沌の魔女であるアリスがいるとなれば、近づけば敵と見なされて彼女に殺されても不思議ではなかった。


 基本的にアリスが家にいる。


 その言葉がアルディウスの脳裏に過ぎった瞬間、彼はひとつの疑問を抱いた。


「待ったください、アリス様。今先程、基本的に家に居ると仰いましたよね?」

「えぇ、言ったわよ? それがなによ?」

「近づけないと我々はどうやってあなた様と連絡を取れば良いですか?」


 空に浮かぶアリスの家に誰も近づけないのなら、それはアルディウス達も同じだった。

 混沌の魔女であるアリスは、時と場合にとってはアルディウス達とやり取りを交わすことも当然あるだろう。

 それができなければ、王都にいる人間は誰もアリスに会えないことになる。


「……会わなくても良いんじゃない? 私の魔法障壁の性能、アンタも知ってるでしょ?」


 アリスの展開している魔法障壁の性能は、この場にいる全員が知っていることだった。

 魔法障壁を展開する術式を地脈の魔力を用いて発動し、更に四十六個の術式で補強することで尋常ではない強度を生み出している。その強度はアリスの語るところで言うと、原初の魔法ですら容易に防げる防御性能を備えているらしい。

 加えて魔物が持つ闇の魔力を通さずに撃退する機能もあるというのだから、実際のところアルディウス達には俄かには信じられないほどの高性能な魔法障壁だった。


「その馬鹿げた性能なら当然知ってますが駄目です。アリス様は混沌の魔女様です。なにかと連絡を取ることもありますし、不測の事態が起きればアリス様にも動いてもらう必要もありますよ」


 しかしアリスの言う通りに魔法障壁が動いたとしても、アリス自身の仕事が減るわけではない。

 空の上にいるアリスと連絡が取れなければ、アルディウス達も困ることもある。混沌の魔女に頼りたい場面があっても、当の本人と連絡が取れなければどうすることもできない。


「……アリス、さっさと渡しなさい」

「えぇ……やっぱり渡さないと駄目?」

「駄目よ」


 ごねるアリスに、シャーロットが催促する。

 シャーロットにそう言われて、渋々とアリスは着ているドレスから“ある物”を取り出すと、

 

「これ、無くさないで持ってなさい」


 そう言って、アルディウスに投げ渡していた。


「ちょっと!?」


 慌ててアルディウスがアリスから投げられた物を受け取ると、彼の手にあったのは小さな鍵だった。


「アリス様? これは?」

「見れば分かるでしょ? 鍵よ?」

「いや、それは分かりますが……」


 そういうことではない。そうアルディウスが目で訴えると、アリスは溜息交じりに答えていた。


「わざわざ作ったんだから感謝しなさい。それ、私の家に繋がる魔法が掛かってる鍵よ。どの扉でも適当に挿して使えば、私の家に繋がるわ。でも距離が離れ過ぎたら使えないから注意しなさい」

「……これでアリス様の家に行けると?」

「そうよ。その鍵を使えば、安全に私の家に入れるわ」


 あの鉄壁と言えるアリスの家に安全に入れる。

 そう聞くだけで、アルディウスの手にある鍵がどれほど重要なモノか考えるまでもなかった。


「こんな大事なものを……私達に?」

「達じゃなくて、アンタだけに渡してるのよ」

「なんですって?」


 困惑した表情を浮かべるアルディウスに、アリスは不満そうに口を尖らせた。


「仕方ないから渡したのよ。私が渡すのは、その一本だけ。無くしたら知らないわよ。それとアンタが責任持って管理すること」


 その大事な一本の鍵をアルディウスが持つことに、彼自身は更に困惑していた。


「……私で良いんですか?」

「私の付き人なんでしょ? ならアンタで良いんじゃない? 変な人間に持たれるより良いわ」

「それはそうですが……」


 下手に誰かに渡すよりは、自分が持っていた方が良いだろう。


「私と連絡取れないと困るんでしょ? いざという時だけ使いなさい。言っておくけど、使ったらすぐ分かるわよ? それで悪さしたらアンタの顔に付いてる目玉、ふたつとも潰すから」

「え……」


 そして告げられたアリスの言葉に、アルディウスは言葉を失っていた。


「鍵を無くしても潰すわよ。ちゃんと大事に保管して、本当に大事な時だけ使うこと。余計なことで使ったら容赦しないわよ」

「えぇぇ……」


 今持っている鍵が、途端にアルディウスには恐ろしいものに見えてきた。

 アリスから渡された鍵を持つ手が震えている。

 その震えた手と口を尖らせるアリスを交互に見ながら、アルディウスは頬を引き攣らせていた。

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