【キスの日記念百合】絶対に付き合わない2人にとっての、特別な日
畔柳小凪
***
夜の繁華街の路地裏。気づくとボクの目の前には怯えたように立ちすくむ小柄な女の子がいた。彼女を見て、ボクだけどボクじゃないボクはニタリ、と表情を歪める。そして。
「今日はキスの日だから、お姉さんとキスしないといけないわよねぇ」
気持ち悪い声を出したかと思うと、ボクだけどボクじゃないその男は無理やり彼女の唇を奪った――。
そこでボクは目を覚ます。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
呼吸が荒い。鼓動は激しく波打ち、毛穴と言う毛穴から嫌な汗が噴き出している。怖くなって窓硝子で自分の顔を映す。すると、そこには手入れされていない長い黒髪の奥で不気味に笑う、同性だけを対象とした強姦魔の顔――ではなく、水色の髪をショートカットに切りそろえた、中性的な顔立ちの少女の顔がそこにあった。そこまできて、ボクの心はようやく落ち着いてくる。
最近はかなり減ってきたけれど、今でもたまに転生前の記憶を夢で見る。
転生前、ボクは『日本』という国でOLをしていた。でもそれは表の姿で、裏では多くの未成年の女の子を騙し、無理矢理関係を持って彼女達の貞操を奪っていった。けれど、最後はあっさりと警察に捕まって留置所で生き絶えた異常者――それが、転生前のボクの正体だった。
そんな彼女としての前世の記憶をボクは持っている。自分じゃない、でも確かに自分のものとして脳裏に刻まれた記憶。それを夢で見ることがボクは大嫌いだった。ボクの中には体験としての実感を伴わない、でも確かに自分のものとしてそこにある記憶。それだけでも気持ち悪いというのに、しかもその記憶の数々は凌辱魔が抵抗する女の子を襲うものが殆どだった。それを追体験として見せられるたびに、生物的には女の子である自分もそんな強姦魔になってしまったんじゃないか、と怖くなる。
だからボクはそんな恐怖心を抑え込むために意識的に前世の彼女とはかけ離れた自分になろうと努力を重ねた。長かった髪を切り、男装し、一人称を『ボク』にして、見た目からしてあの異常者とは違う『男の子』になろうとした。そして、他者に対しての恋愛感情や性欲を徹底的に押さえ込もうと誓った。醜い欲望が爆発してあの異常者みたいになるのはごめんだったから。
時計を見ると針は午前4時50分をさしていた。この地方の領主であるミレーヌ様の執事を務めているボクだけど、起きるにはまだ1時間近くある。でも、二度寝する気にはなれなかった。二度寝したらあの最悪な夢の続きを見せられそうな気がして怖かったから。
「……もう起きちゃお」
そう呟いて、ボクはベッドから出た。
「ソーラちゃんっ! 今日は何の日だか知っているですぅ? 」
ご主人様も出かけていたその日のお昼過ぎ。悪夢のせいで不安になっちゃったボクは、話し相手としてレムを屋敷に呼んでいた。
レム。おさげにした紫色の髪が愛らしい、この街の冒険者ギルドで受付嬢を務める女の子。そんな彼女は物好きにもボクに対して恋愛感情を抱いているらしく、ボクの言うことはなんでも大抵聞いてくれる。もちろん彼女はボクの前世の記憶も、前世のことがあるから女の子と付き合うことが怖いことはレム自身わかってる。だからレムの恋は絶対に成就しない。僕が絶対に受け入れることがないから。それでも、レムはいつもボクのそばに居てくれて、そんなレムにボクはどれだけ救われたかわからなかった。と、言ってもボクがレムに何かを返すことはできないんだけど。
そんなレムが、いつものように明るい調子で尋ねてくる。でも、ボクにはその質問の答えがぱっと出てこなかった。
「今日? 別にご主人様の誕生日でもなければ、レムの誕生日でもないでしょ」
ボクがそう答えると、レムはチッチッチ、と芝居がかった調子で人差し指を振る。
「特定の個人の記念日ではないのですぅ。今日は誰にとっても特別な日――キスの日なのですぅ! 」
嬉しそうに言うレムと対照的にボクはげんなりとしちゃう。キスの日。その今朝の悪夢にも出てきたワードが、あの悪夢を思い出させたから。
「大体なんなのよ、そのキスの日って言うのは」
レムに余計な心配を掛けないようにしよう、と思いながらもどうしても言葉に棘が含まれちゃう。けれどレムは気にした様子もなく楽しそうに説明を続ける。
「レムも今朝、ギルドに冒険者登録している【転生者】のお兄さんから聞いたのですぅ。なんでも異世界ではこの日、はじめてキスシーンがある演劇が公開されたそうなのですぅ。それを記念して今日はキスの日らしいのですぅ。【転生者】であるソラちゃんは知ってたんじゃないのですぅ? 」
「【転生者】といってもボクの場合は前世の記憶を物語で読んだ知識のように知っているみたいに持っているにすぎないから、知らないこともあるのよ」
「へぇっ、そうなんですぅ……。まあ、そんなことはどうでもいいのですぅ。今日はキスの日だから、ラブラブなレムとソラちゃんは愛の籠った熱いキスをしても許されるのですぅ! 」
「いや、それはないから。大体、ボク達付き合ってすらいないでしょ」
即答するボクにレムはがっくりと肩を落とす。こんなやりとりはボクとレムの間じゃ珍しいことじゃない。レムの言葉は本気だけど、レムは無理やりボクに迫ってきたりはしなかった。ボクの前世の記憶に対するコンプレックスのことをレムは知って(以下省略)。
「それにしてもキス、か」
レムがへんな話題をもちだしてきたからかな。ついそんなことを口にしちゃう。キス、というと真っ先に思い浮かぶ相手はご主人様だった。ご主人様とキスをしたら、どんな気持ちになるんだろう。ご主人様の艶のある唇、きっと気持ちいい感触だろうな。
ついご主人様とボクがキスをするところを想像してしまってはっとする。
そう。どんなに転生前の自分とはかけ離れよう、かけ離れよう、としてもボクは転生前の女と決定的に同じところがあった。それはボクが本当は女の子の癖なのに、女の子を恋愛感情を抱く対象として見てしまう、ということ。そして今、ボクのそんな歪んだ恋愛感情は、気味の悪い転生者であるボクを受け入れてくれたミレーヌ様に向いていた。ふとした瞬間にミレーヌ様に邪な感情を抱いてしまう。ふとした瞬間に転生前の自分のようにミレーヌ様をぐしゃぐしゃに汚してしまいたい衝動に駆られる。そんな自分が自分で、情けなくって怖かった。
想像の中で、ミレーヌ様はボクと唇を重ねることを嫌がって抵抗していた。でも、前世に何人もの女の子を無理矢理犯してきたボクには女の子を屈服させるテクニックが体に染み付いてしまっている。無理矢理ご主人様の唇を奪う、そんな自分の姿は、悪夢で見たあの女の姿と重なった。
――これまでずっとボクはあの女とは違うと思い込んできたけれど、ボクの心の中には好きな人を無理やり屈服させて好意を迫りたいとか、そう言う情動が眠っているんじゃないの? 全くの別人だと思いたいのはボクだけで、本質的には何も変わってないんじゃないの?
そう思うと恐怖で自然と体が震えてくる。自分勝手だな、ボク。そう心の中で自嘲した時だった。
いきなり唇に柔らかいものが押し当てられる。あまりのことに驚きすぎて、1秒前まで心を支配していた自分自身の恐怖心が一瞬にして消える。そして誰かの温もりが伝わってきて冷え切ったボクの体がじんわりと熱くなってくる。……って!
「ぷはっ! な、何やってるのよレム! 」
無理矢理レムを引きはがして、裏返った声で叫んでしまうボク。そう。気づいたら何を血迷ったのか、レムはボクの唇に口づけをしてきていた。でも、少し上気したレムの表情はいつものようにふざけた調子じゃなく、いたって真面目にボクのことを見据えていた。
「許可もなくソラちゃんの唇を奪っちゃったのは謝るのですぅ。でも、レムはそれ以外の方法を思いつかなかったのですぅ。だって今のソラちゃんは『キス』に対して嫌な思い出を持っていて、そのせいで震えるくらい怖い思いをしちゃっていたように見えたから」
その言葉にボクは唖然とする。今のボク、レムの目から見てもそんな風に映ってたんだ……。
「だから、どうしたら『キス』のイメージの上書きをしてあげられるんだろう、どうしたら『キス』に優しいイメージを持ってもらえるんだろう、って、そう、頭が悪いレムなりに考えてみた結果があれだったのですぅ。ソラちゃんはイヤ、でしたか? 余計にキスが嫌いになっちゃいましたか……? 」
らしくもなく不安げに瞳を揺らすレム。確かにいきなりキスをしてきたレムに驚きはした。でも、それは無理やりだったけれどイヤなものじゃなかった。それは、レムがボクにとって恋人じゃないけれども大切な人だったから。そしてレムのキスは自分の欲望と言うよりも、ボクのことを気遣っていることが伝わってくる優しいものだったから。現に、レムとのキスは不安で震えていたボクを包み込んでくれるような温かみがあった。
「イヤ、なわけがない。だって、さっきのレムはレムの優しさや温かみを感じられるものだったから。――キスって怖いものじゃなくて、こんなにも人を幸せにできるものだったんだね」
そう言っているうちに、ボクの頬に一筋の涙が流れる。そんなボクを見て、レムはいつもの向日葵のように明るい笑顔を向けてくる。
「じゃあ今日は、ソラちゃんが『キスの素晴らしさを知った記念日』になったのですぅ」
レムのその言葉が心にじんわりと染み入ってくる。今日は世間がどうだとかじゃなくてボクにとっての『キスの日』になったんだ。今日という平凡だった1日が、ボクとレムだけにとっては忘れがたい記念日になったんだ。
――そんな記念日をくれたレムに、何か恩返しはできないかな。
ふとそんな考えが頭に浮かぶ。今のボクがレムに何をあげられるんだろう。きっと一番いいのはレムの求める通りにレムの『彼女』になってあげること。でも、それはできない。ボクはどうやったって女の子とお付き合いすることが怖いし、ご主人様に対する恋愛感情もまだ、忘れられないから。じゃあ代わりに何かできないかな。
そう悩んだ末。ボクは徐にレムの手を取ってレムの手の甲に軽く口づけをする。めちゃくちゃ恥ずかしい。恐る恐るレムの方を見ると、レムは驚いた表情で固まっていた。
「きょ、今日はキスの日なんでしょ。だ、だから! さっきのお礼と、いつも仲良くしてくれるレムに対する親愛を込めたキスくらいしたっていいでしょ。か、勘違いしないでね! 別にレムを恋愛対象として見てるわけじゃないんだから! 」
ツンデレさんみたいになっちゃったな、ボク。そんなボクを見て、レムはお腹を抱えて笑い出す。
「そ、ソラちゃん。それ、告白にしか聞こえないですぅ! いや、ちゃんとレムはわかってますけど! 」
それから2分間くらい笑い倒した後。レムはらしくもなく照れくさそうな表情で言う。
「でも、本当に嬉しいですぅ。たとえこれが恋人としてのキスじゃなくても、大好きな人からキスをしてもらえた。今日はレムにとっても最高の『キスの日』になったのですぅ」
いつの間にか日は傾いていて窓から黄金色の日差しが差し込む。黄金色の日差しに照らされたレムの笑顔はものすごく可愛らしかった。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。ネタばらしすると本作は
『「百合の間に挟まる女騎士は要らない」と言われて勇者パーティーを追い出されたぼくが辺境伯令嬢に拾われる話』の中で構想していた1話完結エピソードを、公式企画「百合小説」用に再構成したものになります。
元々連載作品の1エピソードとして構想していた作品を独立した短編にするにあたり設定を全て1つのお話の中に組み込まなくてはならず、かなり無理もあった部分もあると思います。特にコンテストの要件的に安全策をとるため、元作品では過去の自分を毛嫌いする理由をつけやすくするために男性の強姦魔から少女に転生した、所謂TS転生をとっていたのに対し、その部分を同性愛嗜好を持つ強姦魔→少女への転生、に変更した点、などなど(大事なことですが、どちらにしろソラは転生前とは別人格であり、前世の人生を記憶として保持しているにすぎません)。
しかし、何より最後の「2人にとって特別になった日」が自分で言うのもアレですが美しく書けたと思い、それを少しでも多くの人に読んでもらいたい、という一心で書き上げてみました。そんな1作が、皆様の目にはどのように映ったでしょうか。ご感想などを教えてくださると嬉しいです。
そして最後に宣伝です。もしこの2人の関係がもっと読んでみたい、設定が駆け足だったからもっとじっくり読んでみたい、と思われる方がいましたら是非、『「百合の間に挟まる女騎士は要らない」と言われて勇者パーティーを追い出されたぼくが辺境伯令嬢に拾われる話』にも遊びに来てくださると嬉しいです。こちらの連載ではレムとソラはサブヒロインの役回りが多いですが、2人の関係にフォーカスした回も散りばめています。本作で2人のことを好きになってくださった方には楽しめると思います。それでは。
【キスの日記念百合】絶対に付き合わない2人にとっての、特別な日 畔柳小凪 @shirayuki2022
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