いっぱいの祝福の中で。

「陰鬱令嬢のくせに生意気ね」

「そうよそうよ。貴女なんか公爵さまには相応しくないわ」


 夏の夜は納涼を楽しむための夜会が各地で頻繁に開かれる。

 爽やかな冷たいシャンパンや、キンキンに冷えたエールが振る舞われ、多くの人が集まってそのお酒の喉越しを楽しむらしい。

 そんな中、わたしも旦那さまに連れられそんな会の一つに参加していた。


 今夜はロックフェラー公爵家で開催された納涼夜会。流石の四大公爵家の筆頭だというその豪奢なお屋敷の大ホールに百人以上の貴族が招待されていて。

 立食パーティーの形式だけれど壁には休憩する為の椅子もたくさん用意されていた。

 そんな中、挨拶に忙しい旦那様から離れ壁の花に徹していたわたし。

 美味しそうなソーセージやサラダを頂きながらエールを嗜んでいた。


(普段のおうちの夕食も美味しくて嬉しいけど、こういうのも美味しくて良いですねー)

 冷たいエールはシュワシュワとした喉越しがとても美味しくて。

 ソーセージもパリっとしててジューシーでエールに合う。

 やっぱ夏はこれよねーだなんて一人ホクホクしてた時だった。


 わざわざわたしのそばまでやってきて絡んできた二人の令嬢。

 どうやら彼女たちはわたしの事を知っているようだけれど、やっぱり思い出せない。


 最初は、

「あらあらセラフィーナさんじゃありませんか。あいかわらず壁の花でいらっしゃる?」

「氷結公爵さまに輿入れしたとお伺いしましたけど披露宴もされてないそうで。どうせすぐに捨てられるんじゃありません?」

 ほほほ、ほほほと笑い方は上品そうに装って。

 それでも言ってることは失礼極まりない。

 もしかして、学生時代のいじめっ子、とかでしょうか?

「氷結公爵ってどなたのことでしょう? もしうちの旦那様のことだとしたら、貴女たち不敬すぎません?」

 この二人、見た感じ公爵より下位の貴族だろうに。ロックフェラー公爵令嬢がさっきいらしたけど、彼女とは格が違いすぎるもの。

 それなのに、王室とも繋がりがある公爵家に対してあまりにも敬意がなさすぎる。

 ジロッと睨んでそう反論したところで彼女たち、わたしの事を生意気だのなんだのと怒り出して。


 に、しても。

 陰鬱令嬢に氷結公爵、かぁ。

 ひどいあだ名だ。

 旦那様、女性嫌いだって話だったものなぁ。

 たぶん社交界でも女性に対して冷たい態度で通してるんだろう。

 まあでも、そういうことならこの今の状況もわからないでもない。

 わたしの実家は貧乏な男爵家だそう。母親も早くに無くして酒に溺れた父とひとり国の役所に勤めながら家を支えている兄がいるだけ、らしい。

 ろくに持参金も用意できず気弱で人とまともに口もきけない陰鬱令嬢じゃぁ、嫁の貰い手もなかったのだろう。

 そういう意味ではうちの旦那様のように形だけの妻を望んでいた人には都合が良かったのかもしれない。

 正直その辺の事情はまだよくわかってないけど、今のところ推測するにそんなところ。

 都合がいいだけの嫁かぁ。

 それもなんだか気に食わないな。

 そんなふうに頭の中で連想していたら、

「なんですか! 今度は無視するんですか!」

「ほんとセラフィーナのくせに生意気だわ!」

 って、本性丸出しで怒り出した彼女たち。

「貴女なんかこうよ!」

 そういうや手に持っていたグラスをこちらに向かってぶちまける。

 真っ赤なワインが飛沫をあげてわたしにかかろうとした瞬間、それは空間の壁に弾かれるようにグラスをぶちまけた彼女の方にはね返った。


 きゃぁ! と、声をあげるそのいじめっ子令嬢。


「あらあら。手を滑らせたのですか? せっかくの白のドレスがワインで真っ赤になってますわよ? すぐに染み抜きしないとたいへんだわ」


 実はわたしの魔法、アウラの空間魔法だったのだけれどそんなことおくびにもださずしれっとそう言ってやると、キッとこちらを睨んで。そのまま二人揃ってすごすごと退出していったのだった。



「強いんだな。君は」


 旦那様!? いつの間にかそばにいたらしい彼がそう呟いた。


「一部始終、見ていらっしゃったのですか?」


 ちょっと拗ねた顔をしてみせる。


「君はもっと気弱な人だと思っていたよ。しかし。濡れなくて良かった。そのドレス、君のお気に入りなのだろう?」


 お気に入りなわけないでしょう!

 思わずそういいかけてやめた。

 婚姻の日に着てきた水色のシフォンドレス。

 こういう場に着て来れるのはこれしかないから着ているだけなのに。

 やっぱりこの人はわたしのことなんか興味ないんだろうな。なんて考え彼のその顔をまじまじみると。

 なんだか少しだけやさしいお顔に見える。

 冷酷そうないつもの目じゃない。

 もしかして呆れていらっしゃる? のかもしれないなぁと、ちょっとだけ天を仰いだ。



 実はあれからわたしは街にこっそりと出向き偽名で冒険者登録も済ませていた。

 自分の下着くらい自分で買わなきゃと、お金を稼ぐ手段が欲しかったからだ。

 あれが欲しいこれが欲しいだなんて贅沢を言うつもりはなかったけど、必要最低限の身の回りのものはなんとかしたくって。

 だけど、「下着の替えが無いから買って欲しい」だなんてセバスさんに言いたく無かった。

 もちろんドレスが欲しいだなんてことも言えないままこうして一張羅のドレスであちらこちら出向いていたのだ。


 まあ、冒険者としての稼ぎもあんまり派手に立ち回ることもできない分しれている。

 それでも身の回りの着替えくらいはなんとか自分で調達してるわけだけど。


 旦那様は、わたしのそんな私物は実家から持ってきたんだろうくらいに思ってそうだ。

 そう思わせておこうと思ったのもわたしなのだけど。


 夜会はそのあとは特に何もなく終わった。

 わたしに話しかけてくるような奇特なお貴族様もいなかったし、令嬢方はみな旦那様を遠目に見るだけで近づいても来なかったから。

 いろんな種類のソーセージを堪能し、白いエール黒いエール琥珀色の綺麗なエールといっぱい楽しんだわたしは、ほろ酔いで気分も良くなって始終笑っていたように思う。

 隣にずっといてくれた旦那様の苦笑いをしたお顔だけが記憶に残っていた。



 ♢


 夢の中で。

 横になったわたしの目の前に、いつもと違う旦那様のお顔があった。

「君なら、もっとちゃんとした結婚もできただろうに。悪かったな、私のところになんか嫁がせてしまって……」

 そんなふうにちょっと寂しそうな表情を見せる彼。

「そんなことはありませんよ……。わたくしは今幸せですから——」

 そう呟いて両手を伸ばす。

 彼のそのお顔に手が届き、手のひらでふんわりと包み込むわたし。

 冷たかったそのお顔に一瞬で熱がこもる。

 真っ赤なお顔になった旦那様、何か言いたげにわたしの寝ているベッドから離れ。そしてバタバタとお部屋から出ていった。


 って、嘘!

 はっと目が覚めた。

 夜会で酔っ払って、それからほとんど記憶が無い。

 旦那様が連れ帰ってくれたのはわかる。わかるけど……。

 さっきのは夢、だよね。

 旦那様がわたしの寝室に来るはずがないもの。

 あんなお顔をして、わたしのそばに来るわけがないもの。




 ♢ ♢ ♢



 そんなこんなでなんとか公爵家の妻として過ごしていたわたし。

 でも、記憶はやっぱり戻っては来なかった。

 っていうか自分の話を聞けば聞くほど今の自分とは乖離しすぎてて、それが自分の過去だってふうには信じられなくなっていく。


 このまま過去を思い出さなくってもそんなに困らないかなぁ?

 そんなふうにも思えてくる。

 とりあえず今のわたしにはここにいるしかすることがない。

 公爵夫人だったらそれなりにお仕事あるだろうって思うんだけれど、お飾りのいるだけ妻にはそんなお仕事も任されるわけもなく。

 ただただお部屋で過ごすかたまに社交に出るかするくらいだった。


 実際にはその隙間を縫って勝手に出かけて、冒険者の真似事をしながらお小遣いを稼いだりはしていたから結構忙しくはあったんだけれど、それでも。


 わたしは、それだけでいいの?

 長い人生、誰とも恋愛もせずに過ごすのは、なんだかすごく悲しいことのような気がして。


 離縁とか、してもらえるんだろうか?

 そろそろ自分でなんとか生計を立てる算段もできてきた。

 ここを追い出されても生きていける自信はできたから。


 だけど。元々の契約の条件とかを旦那様に尋ねるのはちょっと憚られる。

 記憶を無くしてなかったら、ちゃんと理解していたんだろうし。

 それなのにそういった事を内緒にしたまま、今更聞けないよ。


 ああでも、もしかしたら肉親にあったら少しは記憶も蘇るんだろうか?

 結局実家の父にも兄にも会う事もなくここまできちゃった。

 お酒に溺れたお父様ってシチュエーションはちょっとあんまり受け入れたくないけど、一人お仕事して家計を支えてくれていたお兄様っていう存在には会ってみたいかな、とも思ってみたり。

 今更ながら考えるけど、わたしのこの記憶喪失を最初に打ち明けるならやっぱり身内の人だろう。少なくとも親身に考えてくれる可能性がある人じゃないと、打ち明けるのは少し怖い。

 このまま記憶が戻らずわたしが一人で生きていくことになったとしても、やっぱり今のこの状況を兄くらいには伝えておくべきだって、そうも思うから。


 そんな事をうだうだ考えるようになったある日。


「何? 潜入中のアルバートと連絡が取れなくなった、だと?」

「はい。非常に危険な状態であると思われます」

「侯爵の様子は、何か変わったところはあったか?」

「それが……。すでに王都のどこにもおりません。領地に戻っていると思われます」


 声を荒げる旦那様の声が廊下にいたわたしにも聞こえ。

 旦那様の寝室のちょうど向こう側にある執務室。普段は音なんか漏れることもないしわたしもそんなに注意をしていなかったせいもあって、ここまで声が聞こえてくることも無かった、んだけど。

 今日はセバスさんよっぽど慌てていたのか、扉が完全には閉め切っていなかった。


 っていうか、アルバート、って……。

 兄の名前と一緒。

 どういうこと? 潜入って?


 思わずバタンと目の前の扉を開けてしまっていた。


 目を見開きはっとこちらを見る旦那様。

 セバスさんも、わたしを責める目ではなく、聞かれちゃいけない事を聞かれてしまった、といったお顔で。


「あ、ごめんなさい。アルバートって聞こえたものだから……」


「すまない。セラフィーナ。君の兄さんを危険な目に合わせてしまった……」


 勝手に執務室に入ってきた事を責めるでも怒るでもなく、逆にそう謝られてしまった。

 ということは確定なのだろう、これはわたしの兄に関する事であると。


「兄の事、なのですね……」


「ああ。しかし、君の兄さんはきっと助け出す」


 そうこちらをみてはっきり断言する旦那様。

 でも……。

 危険、なのでしょう?

 連絡が取れない、のでしょう?

 じゃぁもしかしたらもう兄は……。


 シャラン。何かが割れるような音がしてそのまま頭の中が真っ白になっていく。

 兄の記憶。今まで残っていないと思っていたそんな兄との幼い頃の記憶が走馬灯のようにそんな真っ白な画面に映し出されていった。


 好きだったんだ。わたしは。兄さんの、こと。


 兄と遊んで楽しかった、そんな感情を明確に思い出していた——



 ♢ ♢ ♢


 断片的に映し出される映像。

 これは、夢?

 それとも、過去の記憶?


 夢の中でこれは夢だと理解しているような、そんな非現実感。


 わたしは。まだ小さい頃、かな。

 金髪巻毛の兄さん。すごくキラキラした笑顔のアルバート兄さんがこちらに手を伸ばして。

 シロツメクサを編んで王冠を作っていたわたし、やっぱり笑顔で兄さんの手を取った。

 兄さんが大好きでいつもあとをついていっていたわたし。兄さんの隣にいつもいる男の子、白銀の髪のその子のことも大好きだった。王子様みたい。そう思って——


 母様が亡くなって、父様は荒れた。貧乏になった事で兄さんは奨学金を貰い寄宿舎に入った。

 子供のわたしはここで心を閉ざしたのだろう。誰に頼ることもできず、ただただ苦痛を心の奥に押し込めたのだ。



 場面が変わる。


「——だから、これは契約による婚姻だ。私が君を愛する事はない」


 降って湧いた話にのって、わたしが望んだ縁談、だったけれど。

 目の前でそうおっしゃったのは、幼い頃大好きだったあの白銀の王子様、だった。

 悲しくて毎日泣きくらした。

 氷結公爵と噂されるほど冷酷なお顔になってしまっていた彼。

 彼がわたしに笑顔を向けてくれる事は最後まで無かった。




 屋敷の中なのに吹雪が激しく舞って。

 これは、夫、ルークヴァルト様の氷結魔法?

 最大魔法をはねかえされ倒れるルーク様。命の火が今にも消えそうに、小さくなっていく。

「ダメ、旦那様、死なないで!」

 悪漢らに人質になっている兄さん。わたしは旦那様に縋りついて泣いている。

「ごめん、セラフィ。君を守ることができなかった……」

 弱々しくそうおっしゃるルーク様のお顔。

「いや、いや、いやー!! ルーク様、おねがい死なないで!」


 彼の命が消えた時。わたしの中で何が弾けた。

 そして思い出したのだ。自分が何者であったのか。


「許さない! 絶対に許さない!!」


 魔力を暴走させたわたしは一瞬で悪漢達を消し飛ばし、そしてルーク様の亡骸に向き直って祈った。

「死なせない、絶対に貴方を助けてみせる。わたしの全てを賭けて!」


 白蓮の魔女エメラ。

 それがわたしの前世の名前。

 わたしは自身の心の奥底にあった枷を解放し、権能を解き放った。

 白金の粒子が周囲を覆い、光の渦が巻き上がる。

 そして。

 時が遡った。





「奥様、ああよかった。大丈夫ですか? 意識ははっきりしておられますか?」


「あ、マリア……。わたくし、どうして……」


 わたしはどうやらふかふかのベッドで寝かされているようだ。目の前には心配そうに覗き込むマリアのふくよかなお顔。

 起きあがろうとしたわたしの手をとってマリア。


「ご無理はいけません。執務室で急にお倒れになった奥様を旦那様がここまで運んでくださったのです。もう少しそのまま横になってご自分のご様子を確認なさってからゆっくりと起き上がってくださいな。頭とか痛くありませんか? めまいがするようなら無理せずに」


「ああ、うん、ありがとうマリア」


 身体の調子は、うん、悪くない。

 頭ももうはっきりとしている。

 あれは……、夢、じゃないよね。

 あれはきっと現実にあったこと。

 今じゃない、未来。これからおこる現実だ。


 まだ全ての記憶が戻ったわけじゃない。

 生まれてから今までの記憶は断片的なものしかない状態。その時の感情なんかは思い出せない部分もあるから、正直自分がセラフィーナ本人であるのかだって、自信がないくらいだ。

 それよりも。

 魔女エメラだった時の記憶の方が強く思い出されている。

 原初の魔女。時空を司る魔女として生を受けた、わたし。

 魂の中に宿る、ギア・エメラ。

 わたしは、人ですらなかった。


 はるか昔。

 神デウスはこの地にその使徒を残された。


 火のアーク。

 水のバアル。

 風のアウラ。

 土のオプス。


 これら四大元素の子らと。


 時のエメラ。

 漆黒のブラド。

 金のキュア。

 光のディン。


 これらの四大天使の子らを。



 物質の化学変化に干渉するアーク。

 物質の温度変化に干渉するバアル。

 空間の位相、位置エネルギーに干渉するアウラ。

 そして、それらの物質そのもの、この空間に物質を創造し生み出すことのできるオプス。


 時空を司るエメラ。

 漆黒の、闇、重力を司るブラド。

 全ての命の源。金のキュア。

 光の、エネルギーそのものを司る、ディン。


 これらの神の使徒を「ギア」という。


 普段は空間の隙間に住んで、人のマナに引き寄せられるようにして現れるそんなギア達。


 わたしはそんなギアの化身、あまたに存在する神の使徒の一人だった。


 ああ、ううん。違う。

 今は間違いなく人間ではある。

 この身体、セラフィーナとして生まれ変わったのは間違いがないから。

 そういう意味では少し人よりも魔法の力の強いだけの、ただの人だ。

 きっと、死んでしまえばまた大霊に還り輪廻の輪に戻るんだろう。


 だけど。


 きっと、ルーク様が亡くなった時にわたしの心が暴走したんだ。

 そして、ここは2回目の世界。

 時空を逆行してやり直している世界なのだ。


 と。





「バッドエンドはイヤ」

 何もしないでいたらきっとあの記憶の断片をなぞるのだろう。

 旦那様、ルークヴァルト様に対する恋心は今はきっと忘れてしまったんだろう。そこまで彼のことを好きかと言われたら、それに対してはノーだ。

 でも。

 だからといって彼が死んでしまうのは、絶対にイヤ。

 うん。それを回避するためにわたしは今ここにいるのだもの。

 あの断片の記憶の未来。その時に強く願ったわたしの心。今のわたしはその時の感情のほとんどを忘れてしまっていてあの時の自分と完全に気持ちが繋がってるわけじゃないけど、それでもやっぱりイヤなものはイヤ。


 そういえば。


 冒険者として薬草採集のお仕事をしている時だったか、よからぬ噂を耳にした。

 普通の薬草は大気中のマナをたっぷり含んだものが上質とされ高値で流通している。

 そこに最近、マナではなく魔、魔素と呼ばれるそれを多量に含有するいわゆる魔草が混ざっているというのだ。


 マナと魔素は元は同じもの。

 水と氷のように同じ神の氣であるエーテルが状態を変えただけの物ではあるのだけど、それが生命に与える影響は天と地ほど違って。

 少量であればそこまでは変わらない。共に魔力を高めるエネルギーとなりうるものだから。

 でも大量の魔、魔素は命を蝕む。

 生命を蝕み最終的に魔獣を生み出すもの、それが魔とか魔素とか呼ばれるものだった。


(どこかに魔溜まりでもできてしまっているのかしら?)

 自然界には魔素は普通には存在しない。空間の歪み、どこか異界から滲み出てくることが多い魔素。

 はっきりとは覚えていないけど、未来の記憶にあった危機にはこの魔素が絡んでいたようにも思う。

 だとしたら。

 旦那様や兄さんが危険なだけでは済まない。

 この世界全体にとっても破滅的な危機であるのかもしれないから。





 旦那様が夜になっても帰ってこない。

 今まで、なんだかんだ言っても夕食は一緒に摂ってくれていたのに今夜は遅くなるのだそうだ。

 セバスさんがソワソワしてるところを見ると、もしかしたら今夜があの例の場面の決行日?


 前回のあの日、わたしがどうやってあの場面に出くわすことができたのか。


 少しだけ思い出した記憶によれば、わたしは兄に会いに王宮まで出向き、そこで悪い人たちに拉致されたのだった。

 何かを兄から聞き出そうとした悪人たちに、利用価値があると思われたんだろう。

 薬を嗅がされ気がついたら目の前に兄がいて。

 そしてその現場に旦那様が、ルーク様が乗り込んできて戦闘になったんだった。


 今みたいに前世を思い出していなかったわたしは完全に足手纏いだったんだよね。


 当然現場がどこにあったのかもわからない。

 でも。

 今なら。


 寝室の窓をあけ、わたしは王都中に意識を張り巡らせた。

 旦那様の魂の色。マナの波紋を見つけるまで。


 人のもつマナの波紋。それは個々に微妙に違っている。

 魂の色? って言ったらいいのかな?

 そんな「魔力紋」と呼ばれるものを、わたしは感じ取ることができるから。


 もちろん普段からいつでもわかるってほどではないんだけど、少しでも旦那様がマナを放出してくれさえすれば。少しでも魔法を使ってくれさえすれば。

 この王都の中だったらなんとか見つけることができるかも。ううん、できるはず!!

 そう信じる!!


 意識を薄く円状に広げていく。

 旦那様はバアルの加護を持っている。水の魔法とか氷の魔法とか、そういうのが得意なはず。

 前回の未来に放った旦那様の最大魔法、氷結は、そんな中でもかなり上級の部類に属してる。

 まだそこまでのマナの熾りは見えない。

 ううん、だからまだ大丈夫。どうか無事でいて。ルーク様——




 ▪️▪️▪️▪️▪️



 国家安全保安局局長という職にあるルークヴァルト・フォン・ウイルフォード公爵は、現在捜査中であった闇オークションについての情報を集めるために組織に潜入させていた部下のアルバート・レイニーウッドとの連絡が取れなくなったことで焦っていた。

 優秀なアルバートが自ら買って出た役目であったとはいえ、連絡がつかない状況というのは危険な状態であるのは間違いがない。

(それに。私はアルバートと約束したんだ。彼の妹を保護する、と。悲しい目には合わせたくはない……)

 元々は、「女なんてどれも一緒。穢らわしい」と、縁談を全て一蹴してきたルークヴァルトに対して痺れを切らした彼の叔父であるウイリアム国王が、「ルークが結婚し継子を残さないのであれば王子の一人を養子にし公爵家を継がせるように」などという圧力をかけてきたのが原因だった。

 流石に歳もあまり違わない従兄弟の王子の誰かを養子にとかありえないとぼやくルークに、

「ならうちの妹を嫁にもらってくださいよ、俺が潜入捜査で不在になるとセラフィーナはますます内に篭ってしまうから」

 というアルバート。

 渡りに船と、その言葉に乗る形で娶ってみせた。

 最初は、本当にただただ国王からの横槍を防ぐためのお飾りの妻のつもりだった。

 彼女にも、あまり干渉することなく自由に過ごしてもらうつもりだったのだ。


 でも。


 いざ屋敷にきたセラフィーナは他の女性とは全く違って見えた。

 女々しく媚びることもなく、日々を楽しそうに過ごしている彼女。

 一緒に食事した時など、美味しそうに食べるその姿がとても微笑ましくて。

 どんなに無理をしても夕食は一緒に。

 そんなふうに思ってしまうほどだった。


 内気でおとなしくて他人とは口も聞けない女性。


 そう聞いていたのは間違いだったのか?


 まだほんの少しの間だっていうのに、屋敷の中も、なんだかとても明るくなったような気がして。




「よし。突入する。A班は周囲を警戒。B班は私についてこい!」


 選りすぐった騎士数人を引き連れマキアベリ侯爵邸への突入作戦を開始する。

 闇組織ブレインマフがマキアベリ侯爵邸を拠点にしていることはすでに確認済み。

 アルバートは一般の執事としてこの屋敷に採用され、内部調査を行なっていたのだった。


 次のオークションまではまだ期間があるはず。噂では、魔素を凝縮した高濃度の魔結晶が出品されるという話だった。

 魔獣を召喚し自在に操ることが可能だという魔結晶。そんなもの、人の手には余る。

 悪人が勝手に魔獣に喰われるくらいならまだマシだ。

 そのせいで世界に歪みが起き魔獣のスタンピードがおきてしまったらたまらない。

 王都の中で次元の裂け目ができるようなことがあったら、と、それを恐れて。


 屋敷の主人、マキアベリ侯爵は不在だという。

 本来であれば彼が在宅中に踏み込み捕らえる予定であったけれどしょうがない。

 夜に紛れ強行突入し関係者を全て捕らえ証拠を抑える。

 できれば魔結晶そのものを抑えてしまいたかったけれど、それがどこにあるのかまではまだわかっていなかった。





 ▪️▪️▪️▪️▪️



「見つけた!!」


 旦那様の魔力の熾り。

 急に激しくなったそんな魔力の応酬。旦那様以外の魔力もある。っていうか、ちょっとこれ人間離れしすぎてる!


 王都の西、ここからはかなり離れたそんな場所。

 今まさに大勢の人が争っているのがわかる。

 その中でもひときわ大きな魔力。純粋な魔素の塊のようなそれは、魔獣のようにも思えるけどちょっと違う?


(だめだ。今から空を飛んで向かったんじゃ間に合わない)


 あまりにも大きすぎるその敵の魔力に旦那様が押されているのだろう、頻繁に魔力が熾り、そして魔法が放たれているのだろうけれどそれらもみな弾かれてしまっているようで。


(ままよ! 迷ってる時間はないわ!)


 わたしはギア・アウラとギア・エメラを融合し、時空間に干渉する。

 心の底からマナの手を伸ばして旦那様のいる空間、その上空の隙間をつかみ。

 そしてぐるんと今わたしがいる空間とそれをひっくり返した。



 ♢ ♢ ♢


「氷結!!」


 旦那様がその自身の最大魔法を放った!


 屋敷の中だと言うのに真っ白な吹雪が吹き荒れて目の前の鬼のような相手に向かう。

 彼らの傍には大勢の悪漢ども。兄さんが人質になっている?

 そして、旦那様の周囲にも倒れ伏した騎士たちがいる。

 焼けこげた鎧の跡。旦那様の魔法で消したんだろうけどそれでも重症なのは見て取れる。


「ふん、無駄だ」


 真っ赤な鬼。鬼人。大きな二本のツノが炎に包まれ、両手を掲げた場所にも炎がたちのぼる。

 それはルーク様の氷結を包み込み跳ね返し、そして氷と炎が混ざったブリザードとなって彼を襲った。


 ——ダメ!


 空中に転移したわたし。

 そのままルーク様の前に飛び込んだ。氷炎のブリザードから庇うように彼に抱きついて床に押し倒す。


 ドン!!


 壁に大穴を開けて消失するそのブリザードを確認して安堵したわたし。


「良かった、旦那様が無事だった……」


 そう彼に抱きついたまま呟いた。




「セラフィーナ!」

 兄さんが叫ぶ声が聞こえる。


「セラフィ、どうしてここに……」

 ルーク様も驚いている。


 そうよね。それはそうだ。

 でも。


「話は後です。まずはあの鬼をなんとかしましょう」


「なんとかって」


「なんとかっていったらなんとかです! ルーク様はちょっと離れてて」


 そう言って立ち上がるわたし。呆然としてしまってるルーク様を尻目にまず回復魔法を飛ばす。


「キュア!」


 周囲に金色の粒子が巻き上がり、騎士さんたちを包み込んだ。


「セラフィ!?」


 ああ、懐かしいな。セラフィって幼い頃に呼ばれていた愛称だ。ルーク様、わたしのこと覚えててくれたんだな。そんな感傷がよぎる。


「なんだお前は! どこから現れた!?」


「どこからって。そんなことどうでもいいでしょう! わたしは貴方を倒すためにここに来たんですから!」


 そういうとまずディン、光の矢を悪漢どもに向かって放つ。

 殺しはしないわ。感電させて動きを止めるだけ。

 周囲にいたのはまだ普通の人間だった。だから手加減しなくちゃ。

 前回は怒りにまかせて魔法を放ったから、あのあとどうなったのかも知らないけど、今回はさすがにまだ理性が残ってるから。


 兄さんが自由になったのを確認して鬼の人に向き直る。


「さあ、あとは貴方だけよ」


「ふん、あんな雑魚どもと一緒にするなよ!」


 両手をブンと振り回し炎を撒き散らす鬼の人。

 目の前に飛んでくるものはひょいひょいと右手で払っていくわたし。


「くそ! 化け物か!」


 そう言い放ち強大な魔力を熾す鬼。それを見てわたしは彼の周囲をアウラの壁で覆った。

 こんなところであんな大きな魔法を放たれたら屋敷ごと消滅しかねない。


 そうとは知らずに大きく手を振りかぶるその鬼。その強大な爆炎はアウラの壁、次元の壁に阻まれてその鬼がいた空間だけを焼き尽くし、消滅したのだった。




「セラフィ!」

「セラフィーナ!!」


「良かった。みんな無事、だった……」


 駆け寄ってきてくれた兄さんとルーク様に抱えられるようにして、わたしはそのまま意識を失った。

 たぶん、今のこの身体でここまでの魔法を使った事がなかったから、その反動が出たのだろう。

 気が緩んだところで頭の芯がスーッと冷えていくような、そんな気がして——



   §


 爽やかな秋空のもと、リンゴンと鐘の音が響き渡った。

 王宮の敷地に隣接された迎賓館での披露宴。


 こんな派手なのを望んでいたわけじゃなかったけれど、ルーク様にどうしてもと押し切られてしまった。


「だいたいもともと契約婚だから、わたくしのことは愛さないんじゃなかったの?」


 そう言ったら彼、


「元々は危険な任務に赴くアルバートから託され君を預かったのだ。ちょうど叔父の国王から、このまま結婚をしないのなら歳の近い従弟の王子を養子にし、公爵家を継がせるよう圧力があったのもあって、お飾りでもいいから妻を演じてくれる人を求めていた。それをアルバートに話したら君を勧められ渡に船で婚姻を結んだものの、君に対してどう接すればいいのかもわかっていなかった」


 ルーク様、縋るようにわたしの手を取って跪く。


「君に手を出すつもりも、君に不自由なくらしをさせるつもりもなかった。だけれどいまは——君を離したくない。どうか、私と本当の夫婦になってもらえないだろうか」



 リンゴンと鐘がなる。

 冬になる前にと披露宴を強行したルーク様。

 ほぼ全ての貴族に招待状を出したけれどマキアベリ侯爵は領地に篭り籠城を続けているという。

 この披露宴が終わり次第、ルーク様は一軍を率いマキアベリ領に攻め入ることになっている。

 まあそれにはわたしもこっそりついていくことに決めてるんだけど。

 魔結晶の行方も気になる。

 あの鬼人、あれもどうやら魔結晶により召喚された魔人の一人。

 魔獣や魔人を召喚することで開いた次元の歪みから漏れ出る魔素によりこの世界の汚染が進むのも、その穴が開き世界が危機に陥るのも、絶対に防がなきゃ、だから。




 気持ちのいい風がわたしの頬を撫でていった。

 まだ鳴り続けているリンゴンという鐘の音。


 わたしは、彼の瞳と同じ青く清浄な色のドレス。

 あの、水色のシフォンドレスは、わたしが一生懸命縫ったものだった。

 彼の元に嫁ぐにあたって、彼のきれいな瞳の色のドレスを纏いたかったから。


 今日は、公爵家にふさわしい祝宴にしたい。

 わたしの大好きなもの、彼の好きなものをいっぱい揃えて。


 好きだ。

 そんな気持ちがじわっと湧き出てくる。


 彼のその白銀の衣装がとても綺麗で。

 わたしの記憶の中にある幼い頃の王子様の姿と重なった。


(ふふ。セラフィーナとしての感情なんて忘れてしまったと思ってたのにね)


 まだ、全てを思い出したわけじゃない。でも。


 もう少しだけちゃんと彼と向き合ってみよう。そう思えた。


 それが、幼かったセラフィーナの心を救うことになるのだろうから。

 一回目のセラフィーナがそう望んでいたのだろうから。


 わたしはそのために今ここにいるんだから。


「愛してるよセラフィ」


 大勢の人のいっぱいの祝福の中、彼がわたしにそっと口付けをくれた。


 嬉しくて。彼の胸の中にそっと身をよせてみた。




       Fin







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【白蓮の魔女】記憶喪失から始まる契約婚!!? 【時を逆行し記憶を失った令嬢ですが】バッドエンドを回避したらなぜか溺愛がはじまりました。 友坂 悠 @tomoneko299

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ