第14話 カンパリオレンジ
優斗は僕が鼻からも水を吹きだす勢いでむせ返っているのを見て、笑いを堪えながら声をひそめる。
「言わせんなよ、あれだよ、男同士のセッ」
「わぁあああああ」 僕は咄嗟に優斗の口を両手でふさいで誰かに聞かれてやしないかと思わず周りを確かめた。
案の定、千早が聞きつけて戻って来る。
「キヨ、どうした? 大丈夫か?」
慌てたように言った千早は僕が優斗の口をふさいでいるのを見て眉根を寄せた。
僕は「何でもないよ」とぱっと両手を優斗の口から外して、掌を千早に見せてひらひらと振ってみせる。
「ごめん、お水こぼしちゃって」 僕は取り繕うにいっておしぼりでカウンターを拭く。
千早は疑りの目で優斗を見てから、僕に少し肩を上げるそぶりをした後、
「俺が拭くからそのままでいいよ」と優しく返してくれる。
横で黙って聞いていた優斗が「千早は優しいねぇ」というと、
「あなた何かしたんでしょ、少し目を離すとこれだから、まったくもう」と叱るように言うのが少し面白い。
優斗は自分たちより二つ年上だが、軽口が言える気安さがあった。もちろん最低限の礼儀はわきまえた上でのことだが。
千早には上司になる優斗だけど二人の時は大抵こういうノリで、それはきっと優斗の希望なんだろう。
かしこまった態度を取られると距離が置かれているようで寂しいみたいよ、と以前、茉莉子さんが言っていた。
お兄さんが亡くなってから甘える相手がいなくなって随分と寂しそうだったけど僕が教室に通うようになってから元気が出てきたとも言っていたな、とふと思い出す。
そんな事を考えていると、
「何もしてないよね、まだ」と優斗は長い指で髪をかき上げながら意味ありげに僕に言ってくるのでさっきの出来事が頭に浮かんで恥ずかしくなる。
と同時に、まだ、って何だ。何かするつもりなのか、と僕はたじろいだが千早も同じだったようで、
「まだ、ってなんです? まだって」と優斗に文句ありげに顔を寄せたが女子二人が戻ってきて、あれっ、という顔をしたので千早は何でもない風に笑ってからカクテルを作る仕事に戻った。
「千早に時間外手当を払ってやって下さいよ」 僕が言うと
「そうだな」と優斗はうなずいた。
女子二人はカウンター内を覗き込んで千早がカクテルを作っている様子を見ながら楽し気に話をしている。僕と優斗も何気なくそれを眺めていた。
しばらくすると、優斗が千早の目を盗んで「さっきの話だけど」と耳元で囁いてきたので心臓が跳ね上がった。けど「また今度な」と意外にあっさり引いてくれたので命拾いした気分になる。
また今度と言われたのが気になるけど今ここでその話をされるのは困るのでうんとうなずいておく。
そんな中、女子二人にカクテルを渡して軽く由来などの話をしながら別のものを作り始めた千早に優斗が何やらわざとらしい口調で話しかけた。
「千早くん、もしかしてそれはカクテル言葉に思いを乗せて選んでいるのでは?」
言われた千早は一瞬手を止めた後、
「そんなことを考えてたら作れるものも作れませんけどねっ」と、そっけなく返事をする。
「おやおや、作っているのが何だか意味深だったんで」と優斗が面白そうに言うと千早がさっと同じものを二つ僕と優斗の前に出した。
「二人とも同じものなら別段意味なんて関係ないでしょう」と言って横を向いた千早が少し赤くなっているような気がしたのは僕の気のせいだろうか。
置かれたカクテルはオレンジ色と深い赤が二層になったカンパリオレンジでグラスの形状にマッチしてとても美味しそうだった。
「わー、これ好き、カンパリオレンジ美味しいよね」
僕は千早にありがとうと言って早速一口飲んでみる。
「美味しい~~、圭吾さんが作ってくれるのも美味しいけど二層になってると自分で混ぜ具合も変えられるからいいね」
「キヨは見た目が綺麗な方が好きだろ」と言われてうんうんと頷いてしまう。
僕は尊敬のまなざしで千早を見てから美味しくてぐびぐび飲んでしまった。隣の優斗は僕を見て少し笑いながらグラスに口をつける。
「カンパリオレンジとか分かりやすいやつだな、美味しいけどさ、女の子向けだろこれ」と何やら文句ありげにブツブツ言っている。
別に男とか女とか関係ないけど、例えば付き合い始めた彼女と一緒にバーに行ったとしたら最初は選ばないかもしれないなとは思う。
しかしながら、今ここで大人の男を演じる必要はないし、好きなものを遠慮しないで飲めるのは素直に楽しい。
僕は久しぶりに千早と話せるのが嬉しくて皆の共通の趣味であるスイーツの話を中心に女子二人との会社での話などを交えて近況をべらべらと喋っていた。
僕の話を楽しそうに聞いてくれているので気が回らなかったけど千早はウーロン茶しか飲んでいないようだ。
「千早は飲まないの?」
すっかり仕事モードになってしまっている千早が気の毒になって聞いてみると
「お守しないといけない人がいるから今日はやめておく」と優斗の方を見る。
すっかり大人しくなった優斗は何だか酔っているように見える。えっ、早くない? まだ2杯目だよな。
僕は驚いてまじまじと優斗の横顔を見ると目が潤んで顔がピンクに染まっていた。
「あー、やっぱりノンアルコールにしたらよかった」と千早が言う。
「この人、飲めなくはないけど酒癖が悪くて、これ以上飲んだら大変なことになるんだよ」と優斗の前のカクテルを取り上げて水の入ったグラスに変えた。
つづく
真夜中の秘密のスイーツ倶楽部 日間田葉(ひまだ よう) @himadayo
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