Episode 30「翠の湖」

「妖精の村ってどこにあるんですか? この辺りにあるんですよね?」

「この辺りと言うか、まさにここですね」


 ここ? どういうことだろうか。

 ここには、切り株以外に何もないというのに。


 彼女の発言に、私は首を傾げる。

 私の疑問に対して、リーフさんは足元を指差した。

 しかし彼女の下には、やはり月明かりに照らされただけの切り株がぽつんとあるだけ。

 ますます疑問を覚える。


 適当を言っているだけだろうか?

 はたまた、私には見えないだけか?

 

「まあ見ていて下さい」


 どれも違った。

 答えは、彼女が唱えることで明確なものとなる。



「【老樹よ老樹、ひこばえ育てて花咲かせませ】」



 なるほど、と思った。

 これは、合言葉の類だ。

 つまり、特定の合言葉を唱えることで、村への道が開かれるのだろう。


 彼女が唱え終わるのと同時、切り株がズズズと揺れた。まるで地震のようにも思えたけれど、揺れているのは切り株だけ。

 切り株の根本から生えた若芽が急速に伸び、葉を生やし、生い茂った緑が切り株を覆い隠す。


 やがて、芽から花が咲いた。

 切り株の中央に、一輪の花。

 月明かりに照らされたその花は、あまりの美しさに私の瞳を奪った。


 それは蓮のような形が近いか。全体的にバランスの整った綺麗な形だった。

 何にも揺るがぬ意志でも持っているかのような花弁の厚みで、存在感を増している。

 透き通るようなエメラルドグリーンが、私の瞳を掴んで離さない。


 全ての要素が、名も知らぬその花の美しさを証明していた。


 気付けば私は呼吸を忘れ、花に見入った。

 足首にツンと感触があったから意識を取り戻せたけれど、無ければいつまでそうしていたか。

 それくらいに、自我を忘れていた。

 全神経が、エメラルドグリーン色の花に捕らわれていた。


 ようやくコントロールを取り戻した私の体は、眼が乾き、喉がきゅっと閉まっていた。

 咳と瞬きを反射的に行い、潤いを取り戻すと、今度は新たな興味が私の足元へと向いた。

 私の意識を取り戻してくれた感触だ。

 その感触の原因が私の視界へと侵入するやいなや、今度は衝動的に驚きを表した。

 それは、花だった。


「えっ!?」


 思わず後退ってしまうも、同様のものが視界へと映り続ける。どこまでも。

 いつの間にやら、その花は私の足元どころか、ここら一帯を支配していたのだ。

 それは、切り株に生えたものと同じ花。

 つい数十秒前までは一輪たりとも見当たらなかったはずの花が、エメラルドグリーンの絨毯の如く、地に敷かれていたのだ。


 瞬時に悟った。

 何を根拠にしたのかも説明はできないけれど、それでも理解できた。



――今この瞬間、この森が【妖精の村】へと成ったのだ。







 私は、すごい現象を目の当たりにしたらしい。

 青緑色に光るその光景に目が慣れようとも、興奮が治まることはなさそうだ。

 証拠に、ずっと鳥肌が立っている。


 現実ではまずあり得ない光景。

 ゆえに再現不可能な美しさ。

 しかしどうしてか、ゲームであるという事実がすっぽり抜け落ちてしまっているような感覚がある。


 まるで現実で起こったと錯覚できてしまうほどのリアリティ。

 

 地に足が付いていない。そんなふわふわとした感覚で、私は絨毯の敷かれた道を進むリーフさんの背中を追って行った。


「凄かったですね、今の」

「そうですか? 私は見慣れているので、特になんとも」

「えぇ……」


 なんてことないと言わんばかりの彼女の言葉に驚く。

 あんな光景を見た上で、そんな淡白な返しができてしまうのか。

 仮に毎日通えば、私にも見慣れる日が来るかもしれないのかな。

 慣れっていうのは恐ろしいなぁとつくづく思う。


 私は到底、慣れそうにはないけれど。




◆ ◆ ◆



◇【妖精の村・翠幻湖の丘】◇



 私の予想通り、ここら一帯はもう妖精の村の敷地内らしい。

 しかし、ここは村の外れだそうで、リーファさんがいる住宅街まではまだ歩く必要がある。


「少し歩くので、その間、凛さんが興味を示したあの花についてお話しましょうか」

「え、良いんですか!?」

「別に秘密というわけでもないので、大丈夫ですよ」


 どうやら、エメラルドグリーンのあの花について、色々教えてくれるそう。

 私は、リーフさんの説明を一言一句聞き逃さないように耳を立てた。


「あれは【翠幻湖みどりうみ】と言って、ここ、妖精の村にしか咲かない花なのです」

「へぇ、みどりうみ……」


 未だ脳裏を過るほど、印象的で、この上ないくらいに美しい、そんなあの光景は確かに海のようとも言える。


「万病に効く薬の素材として使われているそうで、人間にとっては幻の花だそうですよ。そのせいで、その昔には翠幻湖を巡って争いが起きたりもしたほどです」

「……」


 そういうこともあるのだろう。

 あの光景を見せられてしまえば、「欲しい」、その一言が止むことはない。

 挙げ句、薬にもなってしまう。

 彼女の手前、口走ることはできないが、争いを起こした人達の気持ちが分からないでもないのが正直な所。

 

 美し過ぎるのもまた難点なのだろう。


「あ、ごめんなさい……話を暗くしてしまいましたか……」

「い、いえ! 全然!」


 慌てて手を振ると、リーフさんは「なら、良かったです」とだけ呟き、にこりと微笑んだ。

 そんな笑顔は、可愛らしさに溢れている。

 花とはまた違った美しさが、彼女にはあった。

 やはり、美女に暗い顔は似合わない。



「そう言えば、昔、翠幻湖にまつわる、こんなおとぎ話を聞いたことがありますよ」


 淀んだ空気を入れ替えるように、彼女は人差し指を立て、楽しそうに語った。



「大昔。まだ私の曾祖母すら生まれていない時代。突如、空から魔物が降ってきたそうです。空を、大地を、黒く覆うように。魔物はやがて、妖精を襲い、人間を襲い、大地までをも侵食せんとしました。しかし、この大地に住まう六柱の神々がそれを許すはずもありません。しかし、魔物の数は、かの神々が団結して尚倒しきれないほど――」







――そんな中、六柱の内、五柱をまとめる先導者的存在である一柱、【トリテレイア】は言いました。


「私は大地と一体となり、この星を守ります。貴方達は、五つで手を取り合い、この世に住まう生命を一つ残さず守るのです」


 そう言って、トリテレイアは大地の中心たる核へと沈んで行った。大地の生命を維持するために。

 残された神々は互いに頷き合い、トリテレイアに言われた通り、この世の生命を守るべくして戦いました。

 後の【神魔大戦】です。



 未だ妖精や人、あらゆる生命によって、後世に神々の偉業と伝えられる、その長いこと続いたであろう大戦は、神々の勝利で幕を閉じました。

 しかし、救われたはずの生命には、手を上げ歓喜する気力すらありません。

 大地は荒れ果て、生命は疲弊し、楽しい物語で終わることはありませんでした。

 大戦後、残された神々は混乱した世界を治めるべく、大地を分けた五つの地へと赴き、各々国を建て、未来永劫その地の守護神として生命を加護、監視する役目を負うこととなります。



 【翠幻湖の逸話】は、そんな神魔大戦後の五柱の内の一柱、【西部国マウノ】を加護する鎧の神、心優しき【ロウマーノ】によって紡がれた、今は妖精しか憶えていないようなちょっとしたお話です――

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