眠れる君の未来
シラツキ
君は眠る
六月七日水曜日。
都会の喧騒から離れたこの場所は、君が眠っている間は心地のいい場所かもしれない。
もしかしたら君はここを気に入っているのかもしれない。
だからって三年間もここに居られたら俺だって寂しくなる。
互いにずっと一人だなんて、きっと君も望んでいないはずだろう。
でも君は聞く耳を持たない。
僕の気持ちは君には届かない。
君のサラサラの髪が好きだった。
君が歩く度に揺れるそのロングヘアーは、不覚にも俺の心を惹きつけた。
毎日欠かさず手入れをしていたんだろうなと、そう思う。
だから僕はここの連中が嫌いだ。
叔父さんには悪いが、年頃の女子の髪の手入れもしてあげられない職員を俺は軽蔑する。
穿った見方なのも、自己中な考え方なのも分かっている。
君だけに構っていられるほど職員は手が空いているわけではないことも分かっている。
でも僕は、君のその生気の無い傷んだ髪をみるのが辛い。
僕は髪が短いから、扱いがよく分からない。
下手なことして、君を傷つけるようなことがあってはいけない。
でも僕がやらないといけないことだとは思う。
君の親だって、遠い場所にいる。
近くにいる自分が、一番君のことを分かっている。
でも、一人は寂しい。
本当に君はもう起きて来ないのではないか。
叔父さんに言われたそんなことを、信じ始めてしまうほどに。
だけど、一つ分かる事がある。
君の方がよっぽど辛い。
辛くても、苦しくても、それでも心の底から君は"生きたい"って思ってる。
僕が感じてる辛さなんて甘えだということを、僕は自分に言い聞かせなければならない。
僕が、君を支えなければいけない。
もう君には、僕しかいないんだ。
◇◆◇◆◇◆
「おい、ユウト」
「……叔父さん、今日は早いんだね」
病室を出て廊下の角を曲がろうとしたところ、ユウトは叔父――シンイチに呼び止められた。
白衣姿のシンイチがユウトの前に現れるのは、もう数え切れない程になる。
気怠そうに返事をするユウトに対し、仁王立ちで毅然とした態度のシンイチ。
シンイチは距離を詰め、ユウトの目の前に立つ。
睨んでいるともとれる視線を送りながら、ユウトに語りかける。
「学校、またサボったのか」
「あぁ、うん。今日は病院行くって決めてたからさ。午後の授業受けてたら面会の時間に間に合わないし。早退する方が手間だから欠席したよ」
シンイチの問いに、ユウトは微笑みながらそう答えた。
対照的にシンイチは憤りを覚える。
自身の問いに、とても受け入れられるとは思えない返答をしたユウトに対して。
しかしその感情は表に出さず、一度息を吐いてから再びユウトに問う。
「十三回目だよ、今年だけで。お前が学校を欠席して、無断で病室に入った回数。俺は、ユウト自身が気づいて欲しくてこれまで強くは言ってこなかった。自分でもおかしいと思わないか……?」
「……何が? 無断で病室って、叔父さんが口利いてくれるって話だったはずだけど」
シンイチの感情を逆撫でするかのように、ユウトは惚けた顔でそう答えた。
質問の意味を分かっているのに、彼は真面目に答えない。
自分でも、もう気づいている。
でもその現実に目を逸らし、自分自身すら騙すかのように他人に振る舞う。
都合が良いように話も逸らしていく。
逸らして、逸らして、核心を突かれる前に。
「あぁそうだ。職員の人たちにさ、髪の毛の手入れしてあげるように言っておいてよ。可哀想だから。どうしても無理って言うなら僕が――」
「彼女の親御さんから連絡が来た。もう、娘に関わるなって」
シンイチはユウトの話を遮って、静かに言い放った。
数秒間の沈黙。
廊下に流れる、梅雨を告げた湿った空気はその時だけ、真冬の凍えた空気に変わったような気がした。
「……は? 関わるなって、何で……?」
それまで細めていた目は今はっきりと、覚めてしまった。
シンイチの言っていることが理解出来ない。
肩にかけていたトートバックを、思わず床に滑り落としてしまった。
愕然とするユウトに、シンイチは心に言い聞かせるように語気を強める。
「親御さんはユウトのことを思ってそう言ってるんだ!
お前はもう"ミコト"ちゃんに構わなくていいんだよ!」
シンイチは両手をユウトの肩に乗せる。
どうにかしてユウトの心に訴えかけようとしている。
その言葉はユウトの心に確かに届い――
「叔父さんにミコトの何が分かるんだよ!?」
ユウトは両手でシンイチを突き飛ばした。
信じられない、受け止められない言葉を跳ね除けるように、
「医者だからって、偉そうに。叔父さんはミコトのことも、俺のことも分かってない!」
「じゃあお前はミコトちゃんの何を分かってんだよ!?」
これまで叱ってこなかったシンイチが、初めてユウトに対し声を荒げた。
その言葉は不覚にも、ユウトの核心を突いてしまった。
「自分の人生削ってまで私の世話をしてくれって、ミコトちゃんに頼まれたのか!?
そんなこと言うはずないって、自分でもそう思うだろ!?
親御さんは自分の娘にじゃなくてお前を心配して、そう言ってるんだよ!」
息を切らしながら、病院全体に響き渡るような声量で、シンイチはそう言った。
いくつもの衝撃に唖然とすることしかできない、ユウト。
自分の望む答えが返ってくるよう切実に願い、唇を震わせながら一つの質問を投げかける。
「ミコトは、目覚めるんですよね……?」
十七歳の少年が、極限の中で捻り出した一つの問い。
彼の中でその問いに対する答えは一つしかなかった。
何も疑問を持たず、ただ漠然とそう思い込んでいた。
その問いに対するシンイチの答えもまた一つしかなかった。
医者として、叔父として、一瞬の揺らぎもない無慈悲な事実を告げなければならない。
「……ミコトちゃんの目は、もう開くことはない」
ユウトは、その事実を知らなかったわけではない。
目を逸らし、ただ漠然とした存在にしたかった。
正気の彼にその明白な事実を受け止める覚悟は、まだできていなかった。
◇◆◇◆◇◆
人は時として、他人の生を諦める瞬間がある。
モニターに映された祖母の心拍数が急激に低下し始めた時か。
交通事故を見かけた時、首のない男性の胴体を見てしまった時か。
一度スズメバチに刺されたことのある友人の背中にスズメバチが止まっているのを見た時か。
人は人を、生きていて欲しいと思うのが基本的な思考。
人と人とが支え合って形成された社会が出来上がっていることから分かるだろう。
ただ時として、その思考が覆る瞬間がある。
生きることが出来なくなった人に対して、人は冷たくなる。
言い換えれば、死ぬと決まっている人のこと。
けれどもそれは悪いことだとは思わない。
その人にどれだけ生きていて欲しいと思っていても、それが叶わない。
人は叶わぬ現実に希望を抱くほど、哀れな生き物ではない。
しかしユウトは、ミコトの生を諦められなかった。
人は死ぬ人に対して冷たくなるが、その人の生を諦められない人に対しても冷たくなる。
シンイチやミコトの親がそうだったように。
『延命はする、ただ生き返るとは思っていない』
子供であるユウトは、その文章に込められた大人たちの思いを汲み取ることまでは出来なかった。
人の死が喜ばれることはない。
それぞれに事情はあれど、あってはならないことだという事をここに書き留める。
天国に行けるから幸せなんだよ。
楽になれたんだから。
生きてる方が辛かったから。
そんなものは、生きている者が言っているだけである。
そして押し並べて大人たちが言うのである。
まだ生きているミコトに希望を抱いた、ユウト。
死んだ者たちに希望を抱いた、大人たち。
どちらが正しいかは、今結論を付ける事はできない。
ただ、眠れる君の未来には、酷く寂しい現実が待ち受けていることに変わりはない。
眠れる君の未来 シラツキ @shiratsuki-jp
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