第10話 クレハとの出会い

「……はぁ」


 開け放ったカーテンから差し込む朝日を顔に浴び、アズマは薄目を開けた。ワインレッドの壁紙と木目の天井が視界に入る。救助を成功させてトラベラーズ・レスト3号船に戻った後、トビアスに案内された宿の一室で上半身を起こした男は、暖炉型の空調に灯る、立体映像の炎をしばらくぼんやりと眺めていた。


「んん……すぅ」


 続いて、サイドボードを挟んで隣接するベッドに視線をやる。大人用のベッドに潜り込んだミユが、枕を抱き締めたまま小さな身体を横たえていた。艶やかな銀髪の房から覗く幼い顔には笑みが浮かんでいる。


「ねーぇ、おにいちゃん」

「何です?」


 男の問いに、ぶかぶかな花柄パジャマを着た幼女は目を開けないまま言葉を続けた。


「ぱふぇ、はんぶんこ」

「ん?」

「ふふっ」


 枕に頬ずりしながら寝言を言うミユに微笑みかけた後、縦縞模様のパジャマを着た男はスリッパに足を入れ、ベッドから降りた。加工によって古びた木製の質感を持つアームチェアに腰掛け、ボトル入りの水を一口飲んだ後、ノーマッドの情報が入力されたパッドに目を落とす。その時、ドアの向こうで鐘を模した電子音が上がった。


「はーい」


 鳴ったドアホンに、アズマは座ったまま返事をする。が、以降の反応がない。もう一度電子音が室内に響き、まどろむ幼女が薄目を開けた。


「んうぅ……朝?」

「うん、ちょっと出てきます」


 立ち上がったアズマはドアの前に立ち、覗き窓型の小型モニターを見遣った。黒髪と、白い布地が見える。こちらに背を向けた相手に顔をしかめた後、男は息を吐き出した。


「朝から何だよ……はい、はい! 出ます」


 3度ドアホンを鳴らされ、アズマはロックを解除してほんの少し扉を開けた。直後、紅い左目が素早く室内を覗き込み、男は思わず仰け反った。


「おっ……?」

「アズマ?」

「は?」

「違うの?」

「ちょっと!?」


 ドアを大きく開き、室内へ入ってきたのはショートタンクトップとカーゴパンツを身に着けた1人の女だった。ミディアムボブの黒髪を外側に跳ねさせ、紅い瞳を持つ目はやや吊り気味。異性との縁がないアズマが息を呑むほどの美人ではあったが、整った顔立ちは冷たく、威圧的だ。肌は日の光を知らないかのように白いものの、鍛えられた身体は腹筋が薄く浮き出ている。

 玄関マットでブーツを脱いだ彼女は、アズマが慌てて持ってきたスリッパを睨みつけた後、それを履いてベッドのある場所まで入ってきた。騒がしさに目を覚ましたミユが、女を見るなり小さく悲鳴を上げ、毛布に潜り込む。陽だまりの中ちんまり盛り上がった毛布から視線を外した女が、アズマを振り返った。


「どっちがアズマ?」

「まず、貴女はどなたなんですか!?」

「ハァ?」


 訳が分からないとでも言いたげな女は眦を吊り上げたが、アズマも退かない。そっと顔だけ出した不安げなミユの前で、ほぼ背丈が同じ2人が睨み合う。ややあって、女が目を見開いて頷いた。


「そういや、アンタら転移者だったな」

「……そうです」

「クレハだ」

「くれは? クレハって……ああ!」


 寝起きに大量の情報を頭に叩き込まれて混乱気味だったアズマが、大きく頷いて手を打った。


「飛空船が墜落したって聞いてましたけど、大丈夫でしたか? 怪我は? というか、何の御用です?」

「昨日、礼を言えなかったから。治療と修理に時間をとられてた。はいこれ」

「何ですかこれ」


 クレハに長さ15㎝、幅10㎝ほどのカードを押し付けられたアズマが首を捻る。


「CPウォレット。こっちの世界では、それ使って物を売ったり買ったりするんだ。中央をタップすると操作画面に飛べる」

「なるほど」

「100万入れといた」

「はぁ、100……ひゃくまん!?」

「100日は暮らせると思う。……確認したか? 話、続けて良い?」


 言われた通りに操作して残高を見た男が、小刻みに頷く。当然の権利のようにアームチェアへ腰を下ろしたクレハが、右腕を丸テーブルに置いて、その場に立ったままのアズマを見上げた。


「シュライクに乗ってから今まで、アタシは沢山の命を奪ったし、沢山の命を助けてきた。でも自分が助けられたのは今回が初めてだったんだ。それもああいう、絶望的な状況から助け出されたのは」

「はぁ……」

「だから、これまで誰にも渡したことがない物を贈って、礼をしたいと思ってる」

「それで、この100万を?」


 訊ねられたクレハが鼻を鳴らした。


「そいつは礼じゃない。ただの挨拶だ。あの程度なら、依頼を少し多めに入れれば10日で稼げる。ウォレットまで付けたのは、トビアスの爺さんに言われたからで……まぁそんな話はどうでも良い。欲しいものを言ってくれ」

「欲しいもの、ですか……」

「CPが良いんなら払うが、渡せるのは2億程度だな。シュライクのメンテにかなり掛けなきゃいけないから、あんまり沢山は出せない」


 事も無げに提示される額の前でめまいを覚えたアズマが、ウォレットを置いて額に手をやる。


「あー……み、ミユさんどう思います? 駆動結晶を元に戻したのはミユさんだから」

「ふえ?」


 毛布から這い出し、きょとんとした表情でベッドに座り込んでいたミユは、アズマに言われて空色の目をまたたかせる。


「えっと、ミユ……分かんないんだけど。クレハお姉ちゃんは、お船を動かすのがとっても上手なんだよね?」

「ああ。敵を撃つのも上手いよ」

「じゃあ、ミユとアズマお兄ちゃんのお友達になって欲しいな!」


 笑顔の幼女に請われたクレハは、眉根を寄せて紅色の視線を落とした。


「悪いが、それは無理だな。アタシは護衛やら空賊退治やらの依頼であちこち飛び回ってる。長居は出来ない」

「そうなんだぁ。やっぱり、お兄ちゃんが選んでくれる?」

「あっ……はい。うーん……」


 腕組みしたアズマが唸る。幼女と男を見た女は肩を竦め、ポケットからもう1枚のカードを取り出した。


「CPの方が良さそうだな。じゃ、2億入れるよ」

「待ってください! 直接お金、じゃなくCPを貰えるのも、とっても有難いんですけど……出来れば、自分で稼げるようになりたいと思ってるんです」


 男に言われ、クレハは手を止め相手を見上げる。


「クレハさんって、とっても有名な方なんですよね? 誰ですかって訊いた時、何言ってんだコイツみたいな顔されてたし」

「ああ」

「だったら、近々仕事を始めなきゃいけないと思っているので、有名なクレハさんの、その……ご紹介を頂ければ、相手に信頼されやすくなるかなって思うんですが、難しいですか?」

「難しいね」


 即答されたアズマが頬を掻き、その様子を見たクレハが目を細めて言葉を続ける。


「難しいけど、不可能じゃない。それにアンタの願い事は気に入った。何が出来るか調べてやるよ」

「有難うございます」

「念のために訊いとくが、あの箱みたいな飛空船とボールみたいな小型船は、アンタ達のものなんだよな?」

「そう、ですね。はい」

「ん、よし」


 やおら立ち上がったクレハが背筋を伸ばし、挨拶もなく颯爽と歩き出し、そのまま部屋を出ていった。ドアが閉まると同時に、脱力したアズマが壁にもたれる。


「……凄い人だったな」

「クレハお姉ちゃん、かっこよかったね!」

「確かに」

「ミユもかっこよくなりたいなぁ」


 ベッドから飛び降りた幼女が、クレハを真似るように背筋をピンと伸ばし、可能な限りの大股で部屋を歩き回る。そっくり返ってよちよち歩きするミユに笑いかけたアズマが、クローゼットを開けた。


「そろそろ朝ごはんの時間だし、着替えましょうか」

「うんっ! ね、ミユもクレハお姉ちゃんみたいにかっこよくなれる?」

「勿論、なれますよ」


 アズマの言葉に、満面の笑みを浮かべたミユが彼の腰に頬をすり寄せた。

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異世界旅行は幼女とともに Tacopachi @soliton3

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