第9話 淵に輝く希望

『全船、減速しろ。見えてるか? アズマ』

「見えてるし聞こえてます」


 トラベラーズ・レスト3号船から発進した救出船団にノーマッドで同行していたアズマは、繋ぎっぱなしになっていた通信越しにトビアスへと呼びかけ、レバーを手前に引き戻す。青空に紅い粒子が舞い散る中、白い箱型の飛空船が他の船に足並みを揃えた。薪が爆ぜるような小さな破裂音が船外から響き、上側のシートにちょこんと座ったミユが不安げに辺りを見回す。


『火の粉みたいだろう? 漂ってる赤い光は、微細な異世界転移が起きてる証拠なんだ。一帯が亜空域化する前に見られる。向こうの世界とこっちの世界との境目が壊されてる音ななのさ』

「怖いですね。いきなり船とか人間が抉れたりしないんですか?」

「ひぅっ」


 男の言葉に、幼女が膝をぴたりと閉じて首を竦めた。通信越しに老人の笑い声が上がる。


『そうなったって話は聞いたことがないな。学者先生に言わせると、俺達や飛空船みたいな物体は密度が高すぎるらしい。このレベルの転移現象じゃあ干渉できないんだと』

「安心しました」

『さてと。他には何が見える?』

「切り取られた……住宅街っぽいですね。垂直に倒れてますけど」


 そう言いながらアズマは操縦桿を右に倒し、先行する船団がそうしているように、そそり立つ土地を横目に前進する。空に浮かぶ陽光を遮るほどの大きな板状の岩塊。そこにはひび割れた舗装路が張り付き、街灯や街路樹、そして家屋が真横に建っていた。ノーマッドがその脇を通り抜けた時、二階建ての家が1軒、悲鳴じみた破砕音と共に半ばからひしゃげ、千切れ、こちら側の世界の重力に負けて雲海へ落下していった。家具をばらまきながら沈む瓦礫を目にしたミユが、吐息を震わせる。


「ここに住んでた人、どうなっちゃったの……?」

「分かりません。ただ、もうしてあげられることは残ってなさそうですね」

「……うん」

『ああ、見つけたぞ。良く見ておきな』


 船団が巨大な岩塊の反対側へ回り込んだその時、トビアスが声を上げた。紅い光が舞い散る空に、駆動結晶の青い光が2つ見える。噴き出す輝きが、直径10メートルほどのドームを滞空させていた。


『救命船だ。救難信号の発信源ってわけだ。間に合って良かった』

「大事なお知り合いでも乗ってるんですか?」

『うん?』

「そうでなきゃ、あの島みたいに大きい船を放っておいて、救助に加わったりはしないと思ったんですけど。違いました?」


 少しの沈黙の後、トビアスは息を吐き出した。


『その可能性も考えたが……そうでなくとも、緊急事態にはワシ自らが出向くようにしとる。トラベラーズ・レストみたいなクラス5の飛空船は、細やかな操船を必要としないからな』

「そういうものですか」

『さあ、回収を始めるぞ。今後の為にも、よく見ておくのが良い』

「……分かりました」


 老人の声に頷いたアズマはレバー脇の摘みを捻り、操作系を「CRUISE」から「VTOL」へと切り替える。ノーマッドの四隅に取り付けられた斥力エンジンがノズルを真下に向け、箱型の船体を空中に留めた。楕円球型の輸送船が前進しつつ船腹を上下に展開し、救命船のほぼ真横に着ける。輸送船から伸びたロボットアームが2隻を掴んで船内に収容した。少しした後、通信越しに近付いてくる足音がノーマッドの操縦席に届く。


『トビアス船長! まさか、船長に来て頂けるなんて!』

『久しぶりじゃないか。とんでもない目に遭ったもんだ。空賊か?』

『はい。我々は先遣隊だったんですが、クラス2の戦闘船5隻に奇襲を受けて……輸送船を、1隻やられました。残った船は、本隊と合流している筈です』

『命があって何よりだ。もう心配ないからな』

『はい! 本当に……本当に、有難うございます!』

「助かって良かったね」

「……そうですね」


 通信機越しに会話を聞かされたアズマは、声を弾ませるミユに相槌を打った後溜息をついた。彼はトビアスの思惑が分かっていた。老船長は、社会に貢献するよう促しているのだ。船を手に入れた異世界転移者として、彼が考える「よいこと」の為に、アズマとミユがありついた「幸運」を役立てるべきだと言っている。

 だからこそ救出劇を見せ、聞かせようとした。それがありありと分かるからこそ、男は幼女ほど事態を喜べないのだ。


『そういえば……クレハはどうしたんだ? あいつのシュライクは、今どこにいる?』


 トビアスの問いかけの後、たっぷり10秒間の沈黙が降りた。


『クレハさんは、たった1人で空賊の船5隻を撃墜してくれました。あっという間で……』

『はははっ! それでこそだな!』

『その後……転移してきた壁みたいな忌々しい岩に、衝突したんです。あんなの、避けられるわけ……』


 今度は老人が黙り込む。上部のシートから降りたミユが、戸惑った様子でアズマを見上げ、声を落とす。


「クレハって人、落っこちちゃったの?」

「みたいですね。不幸な事故でしょう」


 アズマが言った後、ミユは透明なコクピットの床に膝を突いて、真下に広がる赤い光を纏う雲海を覗き込んだ。


『すみません、トビアスさん! 我々もきちんと戦えていれば、もしかしたら……!』

『謝ることはないさ。船団の護衛を引き受けた以上、クレハも覚悟はしてたろうよ』


 自分に関わりない善行を見せられ、自分がどうにも出来ない悲劇を聞かされすっかり嫌気がさしたアズマは、シート横のポケットに入れておいたパッドを手に取る。その画面に丸窓がついた球体の画像が表示された。


「お兄ちゃん」

「悲しいけど仕方ないんでしょうね。戦う仕事っていうのはどうしても……」

「お兄ちゃん!」

「はっ? はい?」


 強く呼びかけられ、男は幼女を見下ろした。真剣な表情で床に顔を思い切り近づけていたミユが、勢いよくアズマを見返す。


「青いの、光ってるよ!」

「えっ」

「ずーっと下! 見て!」


 幼女の小さな人差し指が示す先を見下ろし、男は目を細める。壁のごとく空中にそそり立つ岩塊。その真下に落ちた黒い影の中、確かに青い光が瞬いていた。救命船を空中に留めていた光と同じ輝きだった。


「ほんとだ……トビアスさん!」

『どうした?』

「船の光が見えます! 異世界転移してきた岩の直ぐ下! 影になっているところです!」

『何だと!?』


 アズマが報告した後、通信を老人の舌打ちが拾った。


『駄目だ。低過ぎる』

「雲の表面スレスレだと思いますが、いけませんか?」

『ああ。この高度でさえ制御が難しいんだ。下では通信が使えんし、万一低空で駆動結晶が不安定化したら取り返しがつかん』

「……この高度でさえ?」


 トビアスの言葉を反芻した男が、微動だにしないノーマッドの船内で顎に手をやる。そんなアズマの右腕を、ミユが強く引いた。


「助けてあげよう! このお船は、もっとすごい風からも逃げ出せたでしょ!?」

「でもあの光、クレハさんと関係ないかもしれませんよ」

「でも、たしかめなくちゃ!」

「確かめに行くと、僕らまで危なくなるかも。それでも助けにいきたいんですか」


 無表情のアズマに問われたミユは短い間俯いていたが、直ぐに顔をあげて頷く。


「助けられるなら、助けなくちゃ。ミユたち、特別なんでしょ?」

「特別? さあね。でも……良いですよ。世界を癒すなんてのは出来ないけど、不運な1人を助けられるなら」


 かつて家族を助けるために己を犠牲にした2人は、そう言って頷き合った。アズマがレバーを手前に引くと、VTOLモードのノーマッドが高度を落とし始める。


「トビアスさん、降りてみます」

『よせ、アズマ! 死にに行くようなもんだぞ!』

「危なそうなら逃げてきます。シュライク、でしたっけ? クレハさんの船の見た目、教えてください」

『……船首が2つついた、全長9メートルの、黒と赤の飛空船だ。良いか、無茶をするなよ! お前さんたちはこの世界にとって』


 通信が唐突に途絶える。風音が強まる。聳え立つ岩塊に沿ってノーマッドは高度を下げ続け、ついには垂直にそそり立つ住宅街跡地の下へと潜り込んだ。そこで目にしたものにミユは歓声を上げ、アズマは思わず口元をゆがめた。


「良かった! あったよ!」

「見つけたけど……すごい所に引っかかってるな」


 異世界転移してきた岩塊からはがれた状態で浮かぶL字型の岩片。そこに、黒地に赤色でペイントされた、肉食獣の牙を思わせる双胴船首の飛空船がはまり込んでいた。トビアスが言った通りの特徴を確認した後、男は左側のパネルについたダイヤルを回す。


「これ、生きてるのかなぁ……ああ駄目だ、通信は届かない。そもそも、何が故障してるんでしょうかね」

「ミユ、分かるよ! このお船と同じ。青い石がずれちゃってるの! ほら、あそこ!」

「ああ、駆動結晶がどうとかって……」


 船体の半ばに走った亀裂から覗く青白い光を見た男が、幼女を振り返る。


「僕が行きます。ノーマッドの時は、どうやって直しました?」

「んっとね、金色の輪っかの中に、音の真ん中があってね、そこに青い光る石をこうやって……」


 押し込むような手振りと共に懸命に説明するミユに頷いたアズマは、シートから立ち上がった。


「とにかく、近づかないといけないみたいですね。乗り換えましょう」






 ノーマッド船内の1階に鎮座した、直径5メートルほどの球体。そこについた大きな丸窓を開け放つと、そこには狭隘な操縦席があった。次第に揺れが大きくなる中、アズマはノーマッドの後部ハッチを開く。光と共に熱風が吹き込み、2人の着る白いスーツのファンが回り始めて、首から上を不可視の膜で覆った。


「ミユさん。すみませんが、僕は駆動結晶の扱い方を知らないんです」

「だいじょうぶ! ミユがやるよ! このお船だって元気になったもん!」

「……あてにしてます。この「ハンディ」なら、シュライクの傍まで行けますから」


 作り手にハンディと名付けられた球形の小型船に乗り込んだアズマは、続いて乗り込もうとしたミユを狭い席のどこに座らせようかと迷い、迷っている内に幼女が男の膝の上に乗って、丸窓を閉めた。


「操作方法は変わらない筈……っ!」

「きゃあ!」


 ふらつきながら台座から浮かび上がったハンディ。それが船外に出た瞬間、横殴りの強風に煽られて大きく右側へ流される。底部の斥力エンジンから光を吐き出す球体は何とか双胴の飛空船まで辿り着いた。


「ぎりぎりまで、近づいて……展開、と」


 操縦桿から手を離したアズマが、シート両脇のハンドルを掴んで目の前まで引っ張り出す。ハンディの両脇パネルが開いてロボットアームが突き出し、3本指を持つ両手が船体の亀裂と、そこから覗く駆動結晶へ伸ばされた。男が膝に乗った幼女を見下ろす。


「それで? どう、元に戻せば?」

「んっと、ここ、音が聞こえないから。窓、開けても良い?」

「分かりました。任せます。えっとですね。このハンドルを握って、人差し指と中指と薬指をくぼみに押し付けて……そうです!」


 ロボットアームの操作をあっという間に覚えたミユに頷き、アズマは丸窓を押し上げる。押し黙った幼女が機械の手で駆動結晶を船体に押し戻し、位置を微調整していく。


「思ったんですが、船が完全に止まってても再始動出来るんですか?」

「うん。ここ、風がすごい吹いてるから。風が入れば音が聞こえて、音が聞こえれば流れが見える。だいじょうぶだよ」

「……流石ですねぇ」


 ミユの言葉をひとかけらも理解できなかったアズマがしたり顔で頷いたその時、シュライクの船腹から青い光の輪が広がって、ハンディが押しのけられた。悲鳴を上げたミユにしがみつかれつつ、アズマが窓を閉める。

 双胴の飛空船が僅かに浮き上がった次の瞬間、後部に備わった4基の斥力エンジンが轟いた。金切り声にも似た駆動音と青白い閃光と共に、先ほどまでシュライクがはまっていたL字型の岩片が吹き飛ばされ、真下の雲海へと落ちていく。


「お兄ちゃんっ!」

「上手くいった! 僕らも逃げますよ!」


 再始動したシュライクが蒼穹へ舞い上がる中、どうにかハンディをノーマッドに収容したアズマは、しがみつくミユを背負い直して梯子を昇り、よろめきながら操縦席へと走る。そして眼下の赤い光が強まり、輝く大穴が生まれるのとほぼ同時に、ノーマッドの船首をほぼ真上に向けて操作系をCRUISEに切り替える。

 すべてを飲み込む亜空域が異世界転移した大地を平らげる中、白い箱型の船は落下する瓦礫や岩塊を避け、青空で輝く太陽へと突き進むのだった。

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