第8話 ちょっとした頼みごと
世界を癒して欲しい。トビアスにそう頼まれたアズマは、期待に満ちた目で自分を見つめるミユを一瞥した後、老人に向き直った。
「あの、トビアスさん。お話は分かりました。この世界がどれだけ危なっかしいか、どれだけ助けが必要か。けど……申し訳ないですけど、僕にもミユさんにも、そういうチートみたいな凄い力はないんです」
「そんなことない!」
「ええっ!?」
突然ミユが声を上げ、アズマが腰を浮かせた。胸を張った幼女が老人を見上げる。
「ミユは何もできないけど、アズマお兄ちゃんはすごいんだよ!」
「な、何を」
「透明な壁とか、お船とかとお話をして、全部言うことを聞かせちゃったもん! お兄ちゃんって何でも出来ちゃうの!」
「あれは音声認識機能を使っただけですよ。そういうインターフェースがあって……とにかく、誰でも出来ます」
苦笑しながら説明するアズマ。しかしミユは退かなかった。
「ミユは出来なかったし、字も読めなかったもん!」
「ミユさんはたまたま思いつけなかっただけで、僕はたまたま思いついただけです。字だって、ほら、共感覚ネットワークがあるんだから、直ぐ読めるようになりますよ」
「そんなことないもん! お兄ちゃんは、やさしくてすごい人なんだよ!」
「あれは機械が凄かったのと、運が良かっただけ。そうですよね、トビアスさん? この世界の操作は皆簡単にやれますよね? ……トビアスさん?」
名前を2度呼ばれた老人は、無言で男を見返す。そして目を泳がせ始めるアズマの前でわざとらしく溜息をつくと、ミユが食べ終えたパフェのグラスを洗い始めた。
「まあ、良いさ。気が変わったらいつでも教えてくれ」
「いや、あの、トビアスさん? 僕の話分かってくれてますよね? 僕に特別な力なんてないですからね?」
「しかし惜しいなぁ。チートを皆の為に使えば、CPを好きなだけ稼げるだろうに」
「……CPっていうのは、お金ですか?」
ちらりとアズマを見遣ったトビアスが頷く。
「クレジットポイントのことだ。大昔は金だの銀だのの金属を加工した貨幣とか宝石が出回ってたんだが、神王様がそういうのをバカスカ転移させなさったもんだから価値が暴落してな。以来、個人の信用とか他人への貢献をデータ化、数値化して取引に使うようになったんだが」
説明した後、老人が再び男を一瞥する。
「お前さんがチートで稼げれば、お嬢ちゃんにパフェより美味いもんを幾らでも食わしてやれるのになぁ」
「い、いやいや、出来るけどやらない奴みたいに言われるのは心外なんですが」
「あのパフェよりおいしいものがあるの!?」
「幾らでもある」
「わぁ!」
「ちょっと、ほんとに……!」
目を輝かせるミユと、重々しく頷くトビアスに何とか割り込もうとするアズマ。その時、鐘が打ち鳴らされる音が店内に響き渡り、緊張を押し殺した声が続く。
『トビアス船長、ブリッジまでお越しください』
「……とのことだ。済まんが、ここでゆっくりしててくれ」
「あっはい」
「おじいちゃん、さよなら!」
カウンターに手を突いて精いっぱい伸び上がった幼女に手を振り、老人はレストランを出て行った。溜息をついて残ったノンアルコールビールを飲むアズマ。彼の袖を引き、ミユが満面の笑みを浮かべる。
「皆に、やさしいお兄ちゃんがすごい人だって知ってもらわなきゃ!」
「僕は凄くも優しくも何ともないです。ただそうも言ってられないよなあ。稼ぐ方法を考えなきゃ」
男が肩を落とす。自信がない、何も出来ない。そんな発言を繰り返す者に、儲け話などやってくるわけもない。咳払いしたアズマは、ミユに頷いた。
「ここにいられる間に、どういう仕事があるのか調べます。ああ求職の前に、自分に何が出来るか考えないと。……歴史調査なんて需要あるかな? ないよな。じゃああの船のことを知るのが先だ。一旦ノーマッドに戻りますね」
「ミユもはたらくよ!」
「有難う、ミユさん。でも……おっと!」
「おおっと」
スイングドアを開け放った瞬間、アズマは戻ってきたトビアスとぶつかりそうになった。テンガロンハットを被った老人の背後では人々が慌ただしく走り回り、トラベラーズ・レスト3号船の言うなれば「甲板」を、コンテナを積んだ四輪車が行き交っている。幼女にスーツの裾を掴まれた男が頭を下げる。
「御馳走様でした。あと、お忙しい時に済みませんでした」
「救難信号をキャッチしてな。発信場所はここから西へ100㎞ほど行ったところだ。これからそこへ向かう。よければ一緒に来んか?」
「え、でも」
「悪い話じゃないぞ? 救助隊に同行するだけで報酬を出そう。3日分の宿泊代と、最新バージョンの空図と、5日分の飲料水と保存食。現場で役立ってくれれば追加でCPも払う」
「僕は……」
目を伏せたアズマへにやりと笑ったトビアスが、鼻息で白髭を震わせる。
「自分に出来ることは何もない、とでも言いたげだな。しかし、助けを求める者の様子を見に行くことさえ出来ないような人間とは思えん。どうだ、ワシは間違ってるか?」
老人に目を覗き込まれた男は、息を吐きつつ拳を握った。
「……分かりました。帰ってくるまで、ミユさんをここに住ませて貰えますか?」
「そりゃ構わ」
トビアスが応えかけたその時、ミユが激しく首を振った。
「ミユ、お兄ちゃんと行く!」
「それは良くないですよ。船は僕一人で動かせるんだから」
「でもお兄ちゃんが……戻ってこなかったら」
縋りつくような幼女の視線を受け、男は項垂れた。トビアスには悪人らしさの欠片も見えないが、誰しも利を追うものだ。価値を認められない子供が独り残されたら、一体どうなるか。それが分からないほどアズマは愚かではない。ゆっくりと頷いた。
「……絶対、1人では動かないで下さいね」
「うんっ!」
アズマの手を握って微笑むミユ。そんな2人に背を向けたトビアスは、自身の部下に大声で指示を飛ばし始めた。
程なくして楕円球型の輸送船2隻、扇に似た縦長の戦闘船1隻が六角形の人工島から飛び立ち、白い箱型のノーマッドが続いた。
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