第7話 壊れかけの世界

「ここが、居住スペースだ。ここがレストランで、残りはホテルになってる」

「おぉー」


 スイングドアを抜けた先。木製のフローリングや壁、点在する丸テーブルにスツール、あちこちに吊り下るランタン型の照明やがっちりとした造りのカウンターや、棚型に組み込まれたドリンクディスペンサー、そして古びたピアノを見渡したアズマが笑みをこぼす。


「すごい! なんか、それっぽい!」

「だろう? ワシがデザインした。好きな映画によく出てくるスタイルでな」

「うんうん、すごい……あれ?」


 アズマの言葉に、トビアスが唇の片端を持ち上げ白髭を揺らす。そんな中、柱に指を擦りつけたミユが小首を傾げた。


「でもこれ、木じゃないよ? 絵は描いてあるけど」

「……そりゃ、建物に本物の樹を使うなんて許可が出るわけなかろう?」

「どうして? おうさまの言いつけ?」

「環境問題とかですか?」

「むぅ、ま、その辺も話すさ」


 2人から同時に別の問いを投げかけられた老人がカウンターに回り込み、掛けるよう手振りで示す。アズマがカウンター前のスツールに腰掛けると、ミユもすぐ隣に飛び乗って笑顔で男を見上げる。テンガロンハットを脱いだ老人が幼女を見下ろし目を細めた。


「まだ開店時間じゃないんだが、異世界人たるお前さんたちを歓迎したい。お嬢ちゃん、パフェは好きかな?」

「ぱへって?」

「えーっと、アイスクリームとかフルーツとか使った、甘くて冷たいお菓子ですね」


 アズマに説明されたミユが、トビアスに勢いよく頷く。


「ミユ、食べてみたい!」

「有難うございますトビアスさん。でも僕ら」

「分かっとる。払えんのだろ? 気にするな! さて、ちょっと待ってくれよ。おろ? 入れもんはどこにやったかな」


 アズマの言葉を遮り、戸棚型のカバーを押し上げて作業を始める老人。程なくして、ワイングラスを1つミユの前に置いた。アイスクリームに砕けたチョコレートと、カットされたイチゴが乗っている。立ち昇る冷気と甘い香に、幼女が空色の目を見開いて小さな口を半開きにした。


「ふああぁ……!」

「ミユさん、素手はちょっと!」

「すまんすまん。忘れとった。ほい、これだ。あ、水も要るな。どうも慣れんことをすると段取りが良くない」


 いきなり指を突っ込もうとしたミユに、トビアスがプラスチックのスプーンを差し出す。それを受け取り、握りしめた幼女が震える手でグラスの中身を小さく掬い取り、恐る恐る口に運ぶ。そして見守っていたトビアスとアズマの前で自身の柔らかな頬を包み込み、きつく目を閉じた。


「んんんーっ!」

「美味しいですか?」

「おいひぃ!」


 素っ頓狂な幼女の叫び声に、トビアスが胸を張る。


「いやぁ、良かった。今は補給が心もとないんだが、船団が来た後、もう一回食いに来てくれ。もっと美味いもんを出せるからな」

「お兄ちゃん! はんぶんこしよ?」

「ええ? いやいや、どうぞどうぞ。ミユさんの物ですから」

「そうだな! お前さんにはこっちだ」

「僕のもあるんですか?」


 ミユにつられて笑顔になったアズマの前に、ナッツが5粒入った小皿が置かれる。まばたきした男が、老人の前で下がりかけた口角を維持する。


「おっ……どうも、有難うございます」

「朝早いし子供連れだから、ノンアルコールで構わんよな?」

「ええ、はい。もともとお酒は苦手で」

「大の男がか? ふむ、まぁ良い。健康に良いもんじゃない」


 肩を竦めたトビアスがカウンターにジョッキを置く。白い泡と金色の液体を見たアズマは、ひとまずナッツを口にする。


「うーん、ほのかにコンソメ味。これってプリンタで作ってるんですか? 粒が全部同じ」

「おお、そっちの世界にもあるのか? 良いもんだろ? 一部の自然マニアは本物に拘るが、ワシに言わせれば本物より便利で安全だ。味も最初っからついとる」

「なるほど……美味しいのは間違いないですね。あ、ビールはそのまんまなんだな」


 唇についた泡を舐め取るアズマに頷き、惜しむように少しずつパフェを掬い取るミユに微笑んだ後、老人は男へ向き直った。


「さて、本題に入ろう。神王様のことは知っとるか?」

「はい。1000年前、チートっていうなんかすごい能力を持ってこの世界にやってきたっていう子供ですよね」

「そうだ。神王様はワシらの世界をそっくりそのまま造り替えてしまった。様々な恩恵をもたらされたのだ。たとえば今、会ったばかりのワシとお前さんが何事もなく話せてるのもその1つ」


 アズマに頷いたトビアスが言葉を続ける。


「共感覚ネットワークと言ってな。人間が発する音と光からダイレクトに情報を読み取らせるんだ。それまで見たことも聞いたこともない言葉も、何度も聞いている内に学習できる。このおかげで誰とでも、何の苦労もなく喋れるようになった」

「へえぇー。どうやったんですかね? なんかこう、脳にインプラントを埋め込むとか?」

「いや、ワシはその手の機械を好かんから入れてないが、こうして話せている。何でかは分からん。神王様のいわゆるチートというのは、未だにその殆どの原理が解明されとらんのよ」

「へえぇー! すっごい」


 2粒目を齧りつつ、アズマが気の抜けた声で相槌を打つと、トビアスが渋い表情で溜息をついた。


「だが良いことばかりでもなかった。いや神王様のなさったことは殆ど良いことだった。ワシの好きな映画も、あの御方が持ってきたもんだ。しかし嫁いだ女どもがなぁ」

「あー、ちょっと、知ってます。神王様が行方不明になった後、とんでもない相続争いをやったって」

「ん、んっ……もっ?」


 大事にパフェを食べていたミユが、スプーンをくわえたまま2人の大人を見上げる。


「夫がいなくなった途端、女どもはチートの奪い合いを始めた。最悪だったのが、チートの1つが、異世界転移を操るものだったってところだ」

「異世界から物を持ってきたり、異世界に物を持っていったりする現象を、兵器として使ったってことですか?」

「まさにそれだ」

「うわぁ」


 自分と同じく渋い顔になったアズマの前で、トビアスが重々しく頷く。


「もちろん、神王様がいらっしゃった頃から異世界転移は頻繁に行われていたらしい。そのおかげで、この世界は異世界との境界線が曖昧になっている。しかし、だからこそクオーツ・ドライブが機能する」

「船を動かす動力ですよね?」

「うむ。世界間潮汐力を空気の振動を介して伝達させて、共鳴現象を引き起こしエネルギーを抽出する。小さいものならそのライト、大きいものなら斥力エンジンまで、そいつで動いとる。……とにかく、神王様はその辺りを上手いことやっとったそうだ」


 吊り下がっているランタンを指さしたトビアスが一旦言葉を切り、コップの水を1杯飲み干して長く息を吐いた。


「だが女どもはお構いなしだった。相手の持つチートを奪い、奪えなければ壊した……空間ごとな。そうして、異世界転移の力が……暴走したんだ」

「暴走?」

「勝手に、転移現象が起こり始めたのさ。あちこちに訳の分からんものが出現したり、真っ赤な光を放つバカでかい穴が何もかもをバラバラにして吸い込んだり。今じゃ、そういう場所は亜空域と呼ばれとる」

「赤い、光か……」


 老人の言葉に、アズマが視線を落とした。初めてこの世界にやってきて、ミユと共にノーマッドに乗り込んだその日、彼は目にしていたのだ。分厚い雲の渦に取り巻かれた、真紅の光を撒き散らす虚空の大穴を。


「で、その穴はワシらの祖先の足元でも生まれていたらしい。何度も何度も、な。そしてある日……崩れた。いきなり地面が無くなったんだ」

「それが、大崩落?」

「うむ。それで全人類の9割が死んだ」


 トビアスの単純明快な説明にアズマは絶句し、摘んでいたナッツを落とした。


「で、現在に至るというわけだ。人類は飛空船で世界を彷徨いながら、辛うじて生き延びとる。建物に樹を使えん理由も分かっただろう?」

「はい。あの……それじゃあいつ、異世界転移に巻き込まれるか分からないんですよね?」

「だからこそ調査船団が必要なんだ。彼らが刻一刻と変わり続ける空の状況を追いかけ、空図をアップデートしてくれているからこそ、ワシらは生活できている。このトラベラーズ・レストも、元々は彼らの拠点として生まれたものだ」

「おいしかったー!」


 綺麗にパフェを食べ終えたミユが顔を輝かせてトビアスを見上げた。


「おじいちゃん、ありがとう!」

「おお、気に入ってくれたか。嬉しいよ」

「御馳走さまです、トビアスさん。どうやってお支払いすれば良いですか?」


 アズマに訊ねられた老人は、カウンターに手を突いて男の顔を覗き込んだ。


「簡単だ。お前さんたちが転移した時に受け取ったもんを、この世界の為に使って欲しい。ほんの少しで構わん」


 黙りこくったアズマの前で、トビアスは話を続ける。


「隠す必要はない。お前さんたちが乗ってきた船は、着ているスーツは、神王様がチートでお創りになった最初期のものだ。その頃、神王様の持ち物を使うには特殊な認証が必要だったとアーカイブにある」

「トビアスさん、僕らは」

「あの御方はまず、この世界で自分に敵うものがいないと分かってから、気前よく恩恵を下さるようになったという。そういう古代の遺物を、お前さん達は何でもないかのように! だから、あるのだろう!? チートが!」


 声を張り上げた老人は、ミユの怯えた表情を見下ろして口を噤んだ。そして深いため息をついた後、アズマを見つめる。


「頼む、転移者よ。ワシらを助けてくれ。この、壊れかけた世界を癒してくれ」

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