人生近道クーポン券 1 (起業家)
帆尊歩
第1話 起業家
「社長、ダメだ、今月の支払いの金がない」親友でこの会社を一緒に立ち上げた、専務のタダシが切迫した声で言う。
「社長、退職者が止まらない。今月十名、業務が回らない」恋人のアカリがタダシに呼応するように言う。アカリは人事担当だ。
その他、総務担当のキヨヒコ、営業担当トオル、顧客担当ショウゴ、全て大学の仲間だ。
大学四年の時、この会社を立ち上げた。
最初は順調で、三年で業績を伸ばし、社員数も五十人を超えた。
ところがここに来てつまずいた。
「ごめん、ちょっと一人にしてくれないか。考えさせてくれ。頼むタダシ」
「うん、分った。でもそんな時間はないぞ」
「ああ」
「みんな今日の会議は終わりだ。社長に考える時間を与えよう」
「そうだな」そしてみんな会議室を出ていった。
さてどうしたものか。
そもそもオレに起業なんて無理だったんだ。
この三年は、たまたまうまくいっただけだ。
いっそ、その窓から飛び降りるか。
イヤイヤ。
これくらいで死ねるか、まだ二十五だぞ。
では逃げるか、どのみち倒産だ。辛い思いをするくらいなら。
「お困りのようですな」
「えっ」ふり向いたオレの前に痩せぎすで、みすぼらしいオヤジが立っていた。
「あんた誰だ。どこから入って来た」
「わたし、どこにでも入れるんです。ああ、申し遅れました。わたし、こういう物です」と名刺を出してきた。
死に神とある。
「死に神?」
「はい。お困りのようなので、本日はこのクーポン券をお持ちいたしました」
「クーポン券?」
「はい、人生近道クーポンです」
「なんだそれ」
「これからあなたは、様々な人生を歩む。辛いこと、悲しいこと、死ぬほど苦しいこと、這いつくばって、砂をかむような思いをすること」
「救いようがないな。少しは楽しいことだって」
「もちろん嬉しいことや、楽しいこともあるでしょう。でも死に神の私から言わせれば、人生なんて一寸先は闇、苦しいことの連続です。死ぬ間際に、良い人生だった、なんて言えるのはほんの一握り」
「いや、もっといるだろう」
「いえいえ、そいう人は負け惜しみです。辛いことの連続を正当化しているだけ。どのみち人間なんて、死ぬまでしか生きられないんですから。辛いことなんて感じないで、最後の時を迎えたいと思いませんか」
「どういうクーポン」
「こちらのクーポンを使えば、あなたはご臨終の一ヶ月前にジャンプします。そこまでの辛いことは感じず、人生を終了出来ます」
「ちょっと待って、じゃあオレはみんなの前からいなくなるの」
「いえ、お仲間からは、あなたはそのままです。これからも、あなたはここにいる。ただあなたの意識だけをジャンプさせます。辛いこと、苦しいことも飛び越えて、人生を近道することが出来ます」
「じゃあ、もしうちの会社が立ち直って、大企業になって、楽しい人生を送っても、死ぬ一ヶ月前からの感覚しかないと言うこと」
「そうですね。でもこの会社を立て直せると思います?これから倒産して、あなたは社長だから債権者の矢面に立ち、地面で土下座をして、莫大な借金を背負い、一生辛い生活をする。そんな事、経験したいですか」
「対価は?」
「さすがビジネスマンですね。でも大した物では有りません。死後魂を頂くだけです。無論ご満足頂けなければ、魂は頂きません。」
「満足したけれど、魂はやらないと言ったら」
「ああ、そこはご心配なく、あなたが満足していれば、自動的に魂はわたしのもとへ、後悔した場合は来ませんが、まあそいうことはありませんから」
「わかった。もらう」
「はい、毎度ありがとうございます」
体が痛い。
人生近道クーポンで人生をジャンプしたと言うことか、と言うことは後一ヶ月で死ぬのか。両腕に点滴が入っている。
病気なのか。
「あら、あなた、お目覚め。今日は体調が良さそうね」老婆がオレに話しかけてくる。
だれだ。
アカリか。
少しづつ記憶が戻る。おれの人生はどうだったんだ。
「あなた、今日はタダシさん達、ミラクルファイブの人達が来るのよ」
「ミラクルファイブ?」
「あら今日は記憶混濁を起こしているの。あの劇的V字回復をさせたチームを、誰が言ったかミラクルファイブ、まああなたを入れたらシックスだけれどね」その時になって記憶が戻って来た。
そうだあれから会社は立ち直った。
「でも、あの頃は楽しかったわね。大変だったけれど、働けば働くほど業績がついてきた。会社も大きくなって。覚えてる。上場しとたとき、あなたシャンパンをかぶったこと」
「ああ、覚えてる」記憶はあるが、実感はない。
「お金にも余裕が出来たから、定期的にバーベキューとかしてね。本当に楽しかった。今はもう年を取って、そんな事も出来ないけれど。あの頃が一番良かった」
それから仲間たちがオレの見舞いに来て、楽しかった思い出を語り合った。
オレには記憶はあったが、実感がなかった。
死に神め、はめやがった。
オレは、魂はやらないと心に決めた。
人生近道クーポン券 1 (起業家) 帆尊歩 @hosonayumu
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