第52話 睡眠薬で、ぐっすり
「どうするの。コーデリア王女と結婚するんでしょう?」
「あの王女は」ロジャーは遠い目をして語ろうとしたが、
「何よ。面白くてキュートで大金持ちの王女様と結婚出来て幸せよね、ロジャー?」
キャロルが遮る。だがこれで挫けるロジャーではない。
「あれは今朝のことでした。おれは王女に会うや否や、婚約証明書にサインしようと張り切っていた。勢いで済ませちまって、さっさとこんなところから脱出しようとしてたんだ」
「何を語り出したの、ロジャー」
「その時です、『わたし、恋人の期間も楽しみたいわ』、王女はそう言いました。王女は恋人期間をおいたあと、正式に素晴らしくロマンチックなプロポーズを経て婚約したあとは、フィアンセ時代を数か月、経験したのち、結婚に至りたい、そういうのです。
具体的に述べよう。
まず、おれは花束を持ってデートに誘う設定だそうだ。それから夜に窓に石をぶつけて彼女を呼び出す場面も用意してあるとか。それからポエムの一つも作って歌い、庭園でダンスをし、ちょっとばかり嫉妬して喧嘩になってからの泣いて詫びて交際が復活する予定だという。
おれがでっかいダイヤの指輪を手にしてひざまずくと、長台詞を吐いて求婚するそうだ。婚約期間中も何度か一緒にパーティーに出席して、冷やかしに笑顔を振りまく点も忘れちゃならない。
……とまあ、ここまでしっかりあの王女様の脳内では脚本が出来上がってるようだったな。しかも、おれはソル帝国人だというのに、恋人になったのちはジャルディネイラに滞在しないといけないらしい。というわけで、今朝、婚約のサインをせずに終わったことを今、神に感謝してます」
胸に手を当て彼方を見上げるので、キャロルはもう何も突っ込まないことにした。
「あの王女は」
「コーディと呼ぶんだったわね?」
「そう呼べと命じられた。もうずっとしゃべってる。付きまとってくる。しつこい。だから悪魔に身代わりを頼んだ」
「断られたのよね?」
「牙出して怒りやがった。だからおれは考えた。そうだ、睡眠薬を飲ませよう。それで王女が寝たのを確認して脱出、庭の散策に出てちょうどよい東屋を見つけたもんで頭を抱えて悩んでいたところに君が来た、これが真実なり」
「待って、ロジャー」
「待つよ。で?」
「今のは何? 睡眠薬?」
「悪魔が怒って姿を消し、王女がしつこくからんでくるので、おれは飲ませた。睡眠薬入りのティーを」
「ティーを、じゃなくて、あなた」
「甘いティーを」
「甘くても苦くても関係ないわ。睡眠薬?」
「ぐっすり」
キャロルは立ち上がった。信じられない思いでロジャーをゴミのように見つめる。
「王女に毒を飲ませたの!?」
「毒じゃないって。睡眠薬だ。副作用もなく、安心安全。ただぐっすり眠るだけのやつ」
「だとしても、どうしてそんなものを持ってるの。あなた、もしかして不眠症だった?」
「まさか」と即答したロジャーだが、
「いや不眠症だ。君が恋しくて不眠症だ」
言い換える。キャロルは蔑んだ目をしたまま、ゆっくりベンチに座った。
「あなた、とんでもないことするわね。毒なんて持ち歩いてるの?」
「毒じゃないといってるだろ。薬箱に入ってる睡眠薬だ」
「本人の許可なく勝手にそんなもの飲ませるなんて極悪人だわ」
「だって、うるさかったから」
「ロジャー!!」
「数時間で目を覚ますよ。そんなに怒鳴ることかなぁ。毒じゃないぞ、熟睡する薬だぞ?」
「ああ、もう嫌になるわ。ねえ、薬箱なんてものを、あなたが持ってるとは知らなかったわ」
「常備してるよ。いろいろ面倒な奴に飲ませる必要が……繊細なぼくは薬を手放せなくて」
「王女以外に飲ませたことあるの? まさかわたしに……」
「君に変なもの食わすわけないだろ。あれだよあれあれ。戦地だといろいろあんだよ。ほら自白してもらいたい時とか、拷問……話し合いがうまくいかない時とかにリフレッシュしたりー、そのー、あのー。解毒薬も必要だから、たくさんあるし、あと包帯とか、切り傷に塗る薬とか、ここらの地域だと蚊や蛇も出るし、な?」
「薬箱が必要なことはわかったわ」
「そうなんだ。戦場は剣や鉄砲だけじゃないからな。万が一のためにいろいろ持ってるんだ」
「そうなのね」
キャロルの目から怒りが引いたのを見て、ロジャーはさらに続けた。
「怖いんだよ、毒を盛られたりする」
「まあ」
「でもおれは平気だ」
「どうして?」
「小さい頃から毒をちょっとずつ摂取してきたおかげで、どんな毒も効かないから」
どや、と胸を張ったが、もらえると期待した賛辞はなく、キャロルの表情は引きつっている。
「冗談よね、ロジャー?」
「何が? おれに毒は効かんよ。残念ながら睡眠薬も。酒もあまり酔わなくなったな。うん」
「それは、その、軍人は全員なさる訓練なのかしら? 毒を少しずつ摂取して克服するの?」
「いや。おれは毒をよく飲まされたから、例外的にこの体を手に入れた、ふふんっ」
「えっ」
「えっ、てそんなに固まらなくても」
「誰に毒を、そんな、……本当?」
「飲んだ飲んだ。毒まみれよ。公爵の座を狙う奴がたくさにたから、仕方なかったんだ。なあ、この話、広げるのか?」
予想外にキャロルが食いついてきたので、ロジャーはドギマギしてきた。
軽く自慢しただけのつもりだったのに、キャロルはやけに深刻に受け止めている。
「わたし、びっくりしてるの。公爵の座って何? 狙ってなるものなの」
「そりゃあ、親も殺されたし、ガキのおれなんてすぐ始末できると思ったんだろ」
「待って待って、ロジャー」
キャロルは耳を塞いでから、少々黙りこくる。
ロジャーは大人しく待っていると、キャロルはゆっくり顔を上げた。
「ご両親は事故だったのでしょう?」
「いや。事故に見せかけての……あれ? 知らなかったのか?」
「まったく」
「あっそ。まあいいや」
「よくないわ」
「昔の話だ。君と結婚する前の」
「わたし、何も知らなくて。あなた、大丈夫なの?」
「何が?」
「命を狙われて……」
「ああ、それね。今は何も問題ない。解決した。敵は殺した。あっ、えーと、お亡くなりに?」
慌てて言葉を変えたが、キャロルは蒼白になっている。
「まあ。まあそうなの」
「昔の話だって。うん。で。えーと何の話してたっけ?」
「王女に毒薬を」
「そう毒薬を……って、睡眠薬だっつの」
「でも」
「寝るだけ」
「だからって。せっかく停戦中なのに問題にならないの?」
「バレなきゃいい」
「悪魔さんが気づくわ」
「……おぅ、まずかったかな」
「当たり前でしょう」
「だってずっと付きまとってくるんだ。うるさいんだよ。殴るわけにもいかんだろ」
「殴ったらもっと問題よ」
「眠ってるだけだ。床に放置してないぞ、ちゃんとソファに寝かせたもんね」
「ねえ。わたし思ったんだけど」
キャロルは恥じらうように少し視線を下げていった。
「あなた、王女に、いかがわしいことしようとしたと思われるんじゃない?」
「……なんてこった。いやこの際、婚約するつもりだったわけだし……」
目が泳ぐロジャー。
「まあ、どちらにせよ問題ない。すぐ部屋を出て、こうして東屋に避難してるわけで、目撃者もいないし、おれが盛ったなんて証拠はない気がする、たぶん」
「あとからあなたが来たのよね?」
「ん?」
「さっきわたしがあとから来たようにいったけど、わたしがここに座ってたら、あなたがあとから来たのよ?」
「いや違うんだ」
「何が違うの」
「おれが先にいたんだ。そうしたらその隙間から」
ロジャーはジャスミンの葉が茂る背後を指差した。
「君が歩てくる姿が見えて。なんとなくばったり出くわしても気まずいかと思って」
と、裏手のほうを示し、
「そこにいったん隠れてたんだけど、キャロルがそこに座ったもんだから」
「あなた、いたの?」
「その隙間から見てた」と指差す。
キャロルは振り返った。ジャスミンのツルが伸びて東屋の半面を覆っているが、葉をすかせば中の様子は見えるだろう。
「まあ、知らなかったわ。覗きが趣味なのね」
「ちょっと様子を確かめただけだ。で、こっちに回って」
ぐるっと前のほうへ腕を動かし、
「裏から回って、今、来たように見せた」
「どうしてそのまま帰らなかったの」
「君がやけに悲しそうで」
ロジャーは同情するように眉根を寄せた。
「気になって放っておけなかったんだよ」
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