第53話 ロジャーはダメだ、こいつはダメだ

「優しいフリしたって無駄ですからね」


 手を握ってこようとするのを跳ねのけたキャロルが鋭く指摘すると、ロジャーは大げさなほどギクリとした。


「何がフリだ、おれは心底優しいのさ」

「三冠王なんでしょ」

「良心、真心、デリカシーがない。でも君だけは特別だ」

「決め顔のつもりなら腹立たしいだけよ」


「おれはイケメンだろ」

「は?」

「おれはイケメンだろ」


「聞こえてるわ。驚きすぎて語彙力が死にそうよ」

「おれはイケメンだから王女も舞い上がってんだ」

「あらそう。良かったわね」

「でも君には通じないみたいだな」

「公平にいえば」


 キャロルはつまらなそうにいった。


「あなたはハンサムだわ。でも今はあなたの顔を見ても憎たらしいとしか思わないの」

「そのうちまた気に入るさ」

「一生、気に入らないわ。今は悪魔さんのほうが好みかも」

「あのキンキラキンの金髪の何がいいんだか。あっ」

 とロジャーは何か気づいたらしく声を上げ、

「ほほーん」とニヤニヤとキャロルを見る。


「何よ」

「さっき悪魔のほうがいいといったな」

「護衛に変身した時の姿ね」

「あれはマルシャン卿だ」

「そのようね」

「つまりだな」

「何よ」

「魔法使いちゃんのほうが好みだとはいわなかった。ほほーん」

「何よ、ほほーん、て」

「わかったぞ。この嘘つきめ」

「何? 失礼しちゃう」

「トレス侯爵と再婚するなんて嘘だったんだな。そんなつもりなかったんだろう」


 今度はキャロルがギクリとした。


「真剣な恋の場合」

 と、平静を取り繕っていう。

「軽々しく好みだと好きだとか口にしないものなのよ。特にあなたのような人との会話で安っぽく話題にしないの」


「まだいうか。君さ、あんな男が本当に好きなのか?」

「好きよ」

「あんな、悪魔を見てギャーギャー悲鳴を上げて跳び回る男が?」

「魔法に興味がある人なら、悪魔を見ればああなるものよ」

「理解があるんだな」

「あるわ」

「あんな狂った様子を見ても平気とは恐れ入る」

「大好きだわ」


 ムキになっていうキャロルに、ロジャーは余裕の笑みを浮かべる。


「嘘つきだなあ。だったらどうしてあんなに寂しそうにしてた。わかってるぞ。君はまだおれに未練があるんだろ」

「バッ!」


 キャロルは唖然として立ち上がった。


「ッカじゃないの。未練ですって。それはあなたのほうでしょう」

「そうだ。未練たらたらだ。でも大丈夫。離婚届は始末した、安心して夫婦を続けよう」

「もう一度、サインしてもらいますからね。それからジェイと結婚するの」

「よせやい、好きな男と結婚できる女の顔じゃなかった、あれは未練ある顔だ」


「目が腐ってるのよ」

「おれの視力は双眼鏡いらずだぞ」

「だったら頭が腐ってるのよ。わたしは悲しんでなんていなかったわ」

「へぇ、そうかい」

「そうよ。ねえ、ニヤニヤしないで。気持ち悪い」

「嬉しくってどうしてもニヤける」

「わたしはまったく嬉しくないわ」


 キャロルはハッと強く息を吐くと、彼女にしては荒々しくベンチに座りなおす。


「あなたって人は、ほんと身勝手だわ。どうせさっきの話も適当に嘘ついたんでしょ」

「何が? 噓つきは君だろ」

「毒よ。一瞬、同情したけど」

「王女に飲ませたのは睡眠薬だって」

「その話じゃなくて」キャロルはロジャーをにらむ。


「ご両親のことや、毒が平気だって話よ。嘘なんでしょう?」

「嘘じゃないよ」

「本当に毒を飲まされたりしたの? 公爵夫妻は事故で亡くなったのも本当だなんていわないわよね?」


「本当だよ。でも」

「ほら」

「え?」

「なんだか気まずそうよ。嘘だからでしょ」

「違うさ」

「じゃあどうして話をすぐ終わらせようとするの。わたし気になるわ。これでも公爵夫人だったのに何も知らなかったなんて」

「知らなくていいんだよ。終わったことなんだし」


「でも」

「ウィンウッド公爵ってのは魅力ある地位だから、狙うバカもいたって話さ」

「辛い子ども時代だったんじゃなくて?」

「まあね」

「まあ」

「……」


 キャロルの目は同情でいっぱいだった。ロジャーはこのまま悲劇のヒーローぶっても良いかもしれないと思ったが、一方でこんな形でキャロルの関心を取り戻すのは情けない気がした。それに、危険な境遇にいたことを知れば、彼の妻、公爵夫人の地位も、命を脅かされるほど危険だと思うかもしれない。それはまずい。彼女が怖がって逃げたら困る。


「何度もいうが」とロジャーは強調した。


「君と結婚する前の話だって。結婚する時には全部キレーさっぱり片付けて、悪い奴なんて一人もいなくなってた。本当だよ。今までだって何の不安もなく生活してただろ? このワインには毒が入ってるかも、なんて思って飲んだことがあるか? ないだろ」


「ないわ」

「ほら。安全だ。だから心配するな」

「心配はしてないけど」

「じゃあなんでそんなに眉毛が寄ってるんだ。何も悩むことないだろ」

「残念だわ」

「何が?」


「だってその話、皆さんご存じのことだったんでしょう?」

「ダニエルや家門の騎士団は知ってる程度だ」

「家の人は皆知ってたのね。わたしだけ知らなくて」

「おいおい、そんなことで落ち込むなよ」

「落ち込んでないわ。ちょっとショックだっただけよ」

「除け者にしていたわけじゃないよ」


 キャロルが膝の上に置いている手に、ロジャーは優しく触れた。


「君が耳にして怖がるといけないと思って黙ってたんだ。ほら、今だってそんなに……」と、そこでキャロルが手を引き抜き、ぴしゃりと言い返した。


「また嘘つくのね」

「何が嘘だ」

「黙ってた、だなんて。まるでわたしの繊細な心をおもんばかったかのように言うんだから笑っちゃうわ」

「実際、本当に」

「ほら、嘘」


 キャロルはロジャーへ憎らし気にあごを振る。


「さっきあなた、自分でいったのよ。『知らなかったのか?』って」

「んあ?」

「ふんっ。ご両親が事故じゃなかったとか、毒を何とかとか、そういう話。あなた、わたしが初めて耳にしたと聞くと、そう答えたじゃない、『知らなかったのか?』って」


「いったかな」

「いったわ。つまりあなたにとっては、わたしが知ろうが知らまいがどうでもよかったのよ。そうでしょう?」


 そうだ。まさにその通りだ。

 キャロルが知ろうが知らまいが、どうでもよかったのだ。


 けれどそれは過去のロジャー。

 キャロルの名前すら失念していた頃の失礼極まる頃の話。


 今のロジャーは、キャロルにかまってもらえれば尻尾振ってさらにかまってもらおうとするし、キャロルが不安そうにしたら、オロオロして落ち着かなくなる。これはもうどうしようもない。


「嘘じゃないよ」とロジャーは弁解した。

「嘘つき」キャロルは手厳しい。


「嘘だった。でも嘘をつこうと思って嘘をついたんじゃなくて、話の流れ的に嘘になってしまったというか騙そうと思った嘘じゃなくて素直についた嘘なんだよ」


「結局、嘘なんでしょう」

「結局、嘘だった」


 でしょうね、とキャロルは腕組みしてご立腹だ。ロジャーに耳と尾がついているなら、びびってぺたんと折れている状態である。


「王女にお伝えしなくっちゃ」

「……なぜここで王女が出てくる」

「コーデリア王女とあなたが結婚なさるからでしょう」

「しないよ」

「するのよ」

「おれは離婚してないもの。再婚なんてできないさ」


 してやったり顔で破った離婚届を見せてくるが、キャロルはちらと見ただけで、「離婚するわ」と突っぱねる。


「王女に何もかもお伝えします。あなたがどんな人かって。嘘はつくし適当に誤魔化そうとばかりするし、心にもない台詞をいっては相手をおちょくるのが好きだって。それから」


 キャロルは疲れたように息継ぎして続ける。


「もちろん、わたしからそんな話をされてもお信じにならないかもしれないわ。でもお伝えするのが正義だと思うの。あなたの夫になる人は極悪非道で人の心が微塵もなく、結婚後は悪魔に変身させて、自分は独身生活を続けるつもりだったようですよ、って。それでもあなたと結婚するというなら、とてもできたお嬢さんなんでしょう。良かったわね、幸せになってね」


 キャロルは立ち上がった。

 ロジャーも立ち上がっている。


「結婚後じゃなく、明日からでも変身してもらうつもりだったよ」

「婚約に応じたら即、悪魔を身代わりするつもりだった?」

「そう」

「あなたって人は」

「でもほら。離婚してないから」

「何が愉快なの」

「二度と早まらない。二度と離婚届にサインしない」


 キャロルはすねをけってやろうとした。軽いステップで逃げられる。


「じゃあどうするのよ」

「何が?」

「何が、ですって!」


 怒鳴るキャロルに、ロジャーは「まあまあ」となだめにかかる。


「怒った顔も素敵だけど疲れそうだからやめなよ」

「あなたといると疲れるわ。本当に疲れる」

「じゃあまたこちらに座って」

「あなたと話すことなんてないわ」


 ベンチに誘導するロジャーの腕を、クラッチバッグで叩くキャロル。


「どうするのよ。このままじゃまた戦争になるの? コーデリア王女を騙して毒を飲ましたあげく結婚はしないし、わたしと離婚もしないなんて。それでもソル帝国の公爵なの、陛下の甥なの!」


「まあ」


 ロジャーは肩をすくめた。


「おれを利用して何とかしようとするのが、そもそも間違いなんだよ」


 落ち着きすぎていて腹の立つ。キャロルはますます憤った。


「あなたって人は死神ってあだ名がぴったりね。今度は国を滅ぼすつもりなんだから!」

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