第5話 離婚届にサインして!
ロジャーはソレを真っ二つに割くと投げ捨てると、それだけでは気がすまないとばかりに靴でグシャグシャねじるように踏んづけた。
「なぜこんなものが送られてくるんだ!!」
「離婚したいからでございます、閣下」
リンゴ領主公邸、臨時の執務室。
秘書官ダニエルは、ロジャーの吊り上がった目に半笑いで距離をとり、ヤレヤレと嘆息していた。届きました、と見せてすぐ破られたソレは、公爵夫人キャロルのサインがしっかり入った離婚届だった。
「これは偽物のサインだ!」
それがロジャーの言い分だ。妻は絶対に自分と離婚したがるはずがない。だからすべては敵国の陰謀、偽装書類だと。
「いいえ、閣下。そちらは本物です」
「なぜお前にそれがわかる」
「文字を見ればわかるかと。あと信頼できる筋からの情報によりますれば、キャロル様はウキウキるんるんで、離婚届にサインしたとのことです」
でも破ってしまいましたね。ダニエルは大げさなほど困った顔をする。キャロル様に伝えて、再び新たなサイン入り離婚届を送ってもらわなければ。まさかあのグシャグシャのゴミになった紙を継ぎ接ぎするわけにもいかないのだから。余計な仕事が増えてうんざりのダニエルである。
「では」と彼は仕切りなおした。
「閣下。今度はこちらにサインしてください」
そういってピシリと机に置かれた書類に、ロジャーはうっかりサインしかけた。日頃からあまり細かく文字は読まないタイプなのだ。要するにダニエルに丸投げである。が、この日はぴくりと手が止まる。
「なんだ、この紙は」
「離婚届でございます」
ぐしゃっ。
「だから離婚しないといってるだろ!」
「ですが閣下。離婚したがってないのは閣下だけでございます」
としても、だ。
ロジャーはたとえ孤軍奮闘してでも離婚に応じるつもりはなかった。断固拒否する。何度書類が送られてこようが破り捨てる覚悟がある。
その結果、キャロルは五度、サイン入りの離婚届をロジャーに送った。そして上記のやり取りが繰り返され、ダニエルが「誠に申し訳ありませんが……」で始まる再送を願う手紙を送る。
そうして離婚話が浮上してから、あっという間にひと月が経過していた。
「あの人は何を考えてるの?」
ウィンウッド公爵城のフロントガーデン。
バラの見頃が終わり、今はサマーガーデンに向けてラベンダーがもりもり咲いている中、キャロルはティーカップ片手にダニエルからの再送求む、の手紙に目を通していた。
「どうして公爵は離婚を嫌がるわけ? 自分の生活は何も変わらないのに。名前だってそのまま、領地だってそのまま、称号だって変わらないでしょう?」
一方で自分——キャロルは変わる。名前も住む場所も称号も。
ウィンウッドの名はなくなるし、ソル帝国の公爵夫人からルビィ大公国の大公女に戻って故郷で暮らすことになるだろう。けれどロジャーはどうだ。
彼は結婚前と後で何も変わらない。ロジャー・ウィンウッドはロジャー・ウィンウッドだし、公爵の称号は公爵の称号のまま。住む場所だって変化ない。どうせ未婚時代も新婚時代も好き勝手していたのだ。離婚後も好き勝手暮らすだろう。
「奥様が変わりますよ、キャロル様」
侍女サラの指摘に、ハーブティーを飲んでいたキャロルは微笑んだ。
「そういえばそうね」とカップを置く。
「でも新しいお相手は若い王女様でしょう? 何がご不満なの、贅沢な人ね」
「閣下はキャロル様に未練があるのかもしれません」
「まさか」
へっ、と笑ったキャロルの表情といったら。
「サラ、そんな話は冗談にもならないわ。あの人がわたしに未練があるですって? バカおっしゃいな。きっとわたしの顔どころか名前すら記憶してないわよ。たぶん離婚話が出て、やっと自分が既婚者だったと思い出したはずだわ」
「そこまでひどくは——」
あった。でも真実がいつも人の心を慰めるとは限らない。
実はサラ。今回の事情に接したロジャーの様子を耳にしていたのだが、さりとて事細かに事実を主人に伝える必要はないと、言葉を濁す。
「妻が変わったからって、あの人の態度が変わるとも思えない」
キャロルは指折り数える。
「まともに領地の城には帰ってこないし、便りもない。気まぐれで帰ってきたかと思ったら、あいさつもなく一緒に食事することもない。うっかり廊下で妻と遭遇しようものなら侵入者扱いで、『お前誰だ』の繰り返しよ。それとも王女様相手だとそうはいかないから嫌がるのかしら?」
その可能性はある気がする。キャロルは大公国の大公女だが、ルビイ大公国はソル帝国の従属国だ。でも次のお相手である王女は、つい最近までバチバチの戦争を繰り返していた王国である。だからこその平和条約で、だからこその離婚と再婚なのだが。
「敵国の女と結婚したくない?」
それは十分あり得た。好きなドリンクは敵将の血液だといわんばかりの戦闘狂ロジャーだ。なんせ異名が「死神」である。自分の再婚が平和に繋がるとしても、そうするくらいなら敵国に乗り込んで自分が王位に就くほうが簡単だというだろう。
「面倒な人。でもわたしが彼の心情をおもんばかる必要はないものね。よし、決めた。今のわたしが黙って大人しくしていると思ったら大間違いよ」
キャロルはすっくと席から立つ。
「サラ、旅の準備をしてちょうだい」
「どこへ行かれるのですか?」
「リンゴよ」
果実ではない。戦闘地帯にすぐそば、ロジャーがいるリンゴの街である。
「こうなったら直接行って離婚届にサインさせましょう!」
かくして二日後、キャロルと侍女サラは、少数の護衛を連れて公爵領を出発した。道中、興味を引かれる街や景観に出くわしたが、魔石の動力で馬力の上がった馬車は駆けに駆け車輪を回し、半月後には無事、リンゴの街に到着したのである。
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