第3話 最悪の結婚

 ルビイ大公国はソル帝国の従属国だ。


 その大公国の大公女キャロルとソル帝国の公爵ロジャーの婚約が決まったのは二人が共に十七歳の時だった。当時の計画では、翌年十八歳を迎える頃に婚姻のはずだったのだが、ソル帝国が近隣国と戦争を始めたため延期になった。


 先陣切って出陣したロジャーは、この戦でも大活躍して武勲をまた一つ増やしたわけだが、結局キャロルと結婚したのは休戦協定も落ち着いた数年後。二人は二十一歳になっていた。


 よって四年の婚約期間があり、その間に話も流れそうになりつつも無事結ばれた二人だが、その後に続いた結婚生活はあってないようなものだった。なぜなら大半の月日を二人は別々に過ごしていたからだ。


 そもそも婚約期間中から怪しい気配は漂っていた。


 キャロルがいる大公家のほうでは、彼女の肖像画を三枚も描いて贈ったのに、公爵からは一枚たりともデッサン画ひとつ贈られてこなかった。キャロル自ら、人となりを示そうと書き送った手紙も一方通行。本当に相手へ届いているのかすら、疑問に思うほど反応がなかった。


 それでもキャロルはロジャーとの結婚を楽しみにしていたのだ。


 彼女は愛されて育った。両親の大公夫妻は仲が良く、双方に愛人の類もなかった。四歳年上の兄は妹を溺愛し、六歳下の妹は姉を尊敬し、慕っていた。三人の兄妹は譲り合いの精神を持っており、ちょっとした喧嘩も微笑ましかった。


 だから結婚相手の不義理の極悪非道ぶりなんて、キャロルは想像したことがなかったのだ。


 今思えば婚約期間中にこの話はおじゃんになっていたら良かった。でもキャロルは、婚約中の数々の無礼は、未来の夫となるウィンウッド公爵がシャイだからだと思って深く考えなかったのだ。


 まだこの頃は「帝国の死神」という彼の異名はあまり広まっていなくて、伝え聞いた限りでは若くして公爵位を継いだロジャーは、とてもハンサムで勇猛果敢。皇帝の甥で信頼も厚い魅力的な婚約相手だった。


 ロジャーの母親は帝国の皇女で、先代の公爵はそんな彼女を深く愛していたそうだ。けれどもロジャーが十五歳の時、馬車の事故で二人とも亡くなっている。


 一人っ子のロジャーはその後すぐ爵位を継いだ。若すぎるという周囲の非難を追っ払うべく戦場に駆け出た彼はあっという間に結果を出した。それから負け知らず。彼の持つ騎士団は、制服とロジャーの髪色から「漆黒の騎士団」と呼ばれていた。黒ではない、漆黒だ。ここがポイントなのである。


 ……と、そんな生い立ちと評判は、夢見る乙女の想像を膨らませる。


 きっと少し寂し気で陰のある方だろう、そんな風に思いを馳せた。わたしが彼を笑顔にしてさしあげるわ、くらいの勢いである。この頃のキャロルは愛の中で育った娘らしく、愛情を分け与えることに熱心だったのだ。


 けれども「あれあれ?ちょっとおかしいぞ。わたしの想像とちがくない?」と夢砕け散るのも割と早かった。その足音は大公国から出発し、ソル帝国内に入った瞬間から聞こえ始めていた。


 乗り換えのため馬車を降りたキャロルを待っていたのは、花婿で漆黒の騎士であるロジャーではなかった。


 そこにいたのは黒髪ではなく茶髪の男で、彼はロジャーの代理、秘書官のダニエル・ベイカー卿だった。そして彼と侍女のサラをくわえた三人だけで馬車に乗り、残りの随行者は大公国に戻るよういわれ、キャロルは不思議に思いながらも大人しくパカパカ公爵領を目指した。


 そして到着後すぐ始まった公爵領内にある神殿での結婚式でさえ、大神官の前に一緒に立ったのは、このダニエル・ベイカー卿だった。ミモザの咲く木の下で、結婚証明書にサインしたのもダニエル・ベイカーだった。キャロルはダニエル・ベイカーと結婚したのかと勘違いするほど、ずっとダニエル・ベイカーがロジャーの代理を務めて本人は姿を現さなかった。


 それでも夜にはロジャーは城に戻ると聞いていた。


 公爵のウィンウッド城はお里のルビイ大公城よりも大きくて荘厳で圧倒的だった。でもちょっとさびれかけてもいた。灰色の石造の壁面や床は湿っぽく寒かったし、何か誤魔化すようにかけてあったカーテンや絨毯も湿っぽく臭かった。


 それでも使用人の態度は悪くなかった。歓迎を示そうと熱心なのはよくわかった。でもやっぱり花婿の不在が影を落としていて、どことなくみんな申し訳なさそうだった。


 花嫁キャロルはまだまだ夢見る気持ちを持ち続けていた。夜になると、やっと旦那様のロジャーに会えるのだと思ってわくわくした。肖像画ですら見たことがないロジャーだが、それでもハンサムだと思い込んで待ちわびた。


 キャロルは念入りにお風呂をすませ香油を全身に塗り込むと、初夜に向けフリフリのナイトドレスを着用した。そして緊張の面持ちでベッドに腰かけた。脳内シミュレーションで赤面し、枕を投げ、殴り、深呼吸して待機を続ける。


 夜は長いとはいえ、やたらずっと静かだった。


 いつまで待っても、ドアの向こうから素肌にはだけたガウンを着たハンサムなロジャーが入ってくることはなかった。緊張だけが募っていく。キャロルは窓際のテーブルまで行き、そこに用意してあったシャンパンを飲んだ。


 それからワインボトルにも手を出した。それでも誰も来なかった。カチャリともカタリともしなかった。いつの間にかソファで寝ていたらしく、キャロルは侍女サラの声で目を覚ました。陽はすっかり昇っていた。


 結局、キャロルがロジャーと顔を合わせたのは、それから数か月のことだった。


 その日、帝都から公爵城に帰ってきたロジャーを、キャロルは玄関ホールで出迎えた。ロジャーは想像を超えてハンサムだった。キャロルが細部まで思い描いていた理想の男性像にばっちり合格して上回っていた。


 背が高く服の上からでもがっしりしているのがわかる均等の取れた体型。漆黒と名高い黒色の髪と知的な灰色の瞳。少し不機嫌そうに顔をしかめているのも良いと感じた。彼を笑顔にできたら、きっと誇らしくなるわ、とキャロルは思った。彼女はあきらめていなかった。仲睦まじい結婚生活を送れると信じていた。ロジャーはシャイだし仕事熱心だし女性にウブなだけで、きっと優しい人なのだ。


 それなのに。


「誰だお前?」


 がらがら、ぴしゃーんっ。


 手袋を外しながらいったロジャーの一言に、キャロルは耳が爆発したのかと思った。やっとのことで呼吸を整えて再び笑顔を作って夫を迎えようとしたのだが、その時にはもうロジャーは自分の部屋に引き上げていた。

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