SIDE ナターシャ①

 ――また、生まれてきてしまった。


 物心ついた時から、この塔の、この部屋にひとりで住んでいた。

 部屋から出たことはこれまで一度もない。

 窓には鉄の格子がはめられ、唯一の出入り口である扉は二重になっていて、常に外から鍵が掛けられていた。


 だから、窓から見える外の景色、規則正しく運ばれてくる食事、私の身の回りの世話や教育をしてくれるお世話係と呼ばれる女性……。

 それらが私の世界のすべてで、窓辺にやってくる鳥たちが、唯一の慰めだった。


 そんな、私の小さな世界に訪れた転機が、これまでの人生で三回あった。


 ひとつめは、いつからか時折おじさんがこの部屋にやってくるようになったことだ。

 そのおじさんは、ある日突然やってきた。

 無言で私に暴力をふるい、満足すれば自然とどこかへ帰って行く。

 

 暴力を受けたところがただひたすら痛くて、最初の頃はなぜこんな仕打ちを受けるのかなどと考えたりもした。

 が、どうにもならない日常として、次第に何も思わなくなっていった。


 ふたつめは、私が五歳ごろのある日、自分より少し上くらいの子供たちが、この部屋の足元にやってきたことだ。

 彼らは私のお世話係の女性と、時々ここへやって来るおじさん以外で、初めて見た人間たちだった。

 

 急に外から聞こえてきた声に驚いて、初めてつま先立ちで外の世界を見た。初めて見る景色に、高揚感を覚える。

 同時に、彼らを視界にとらえた際に、私がいる場所が随分と高いところにあることを知った。

 そして思った。


「どうして彼らは外にいるんだろう……。どうして、私はここにいるんだろう……」


 と。

 私は外で自由に過ごす彼らを、窓の格子越しにずっと見ていた。

 はじめは新鮮な気持ちで眺めていたのに、楽しそうな声に、だんだんと私の感情は揺らいでいった。


「私だけ、何故……?」


 この言葉が、心の中でどんどん大きくなっていく。

 ついに堪えられなくなって、私は思わず大声で叫んだ。彼らは驚いて、蜘蛛の子散らすように逃げて行ってしまった。

 が、『外に自分以外の人間がいる』という事実が衝撃的で、その日以降、私は一日の多くを、窓の外に小さく映る建物や人々の様子を見て過ごすようになった。


 みっつめ

 私が実は、この国の『王女』であること。

 時々やってきては暴力を振るってくるあのおじさんが、私の父であり、この国の現在の国王であるということ。

 そして、私にはたくさんの兄弟姉妹がいて、彼らは外の世界で自由に生きていること。

 ……あの、随分と昔に塔の下に来た子どもたちはみんな、私の血を分けた兄弟だった。


 私は特別なのだとシャールカは言う。

 

 生まれる前から、私を妊娠していた母の周りに様々な生き物たちが集まりだし、生まれた時には建物をぐるりと取り囲むほどだったそうだ。

 その様子があまりにも異様だったために、私は生まれてすぐにこの塔に預けられたのだと。

 

 こういう現象は、農民や奴隷といった下級層の者に稀に見られ、生まれた子供は、強い魔法適性を持っていることが多いらしい。

 私が連なるという首長一族は、そもそも魔力適性が高めの者が多いから、私の魔力は、この国で群を抜いているであろうとのことだった。

 

 これまでのお世話係の女性たちは、食事や基本的な教育は与えてくれるものの、私とは一線置いて接していた。

 だが、シャールカは、私のことを『この国で唯一で、特別な方』と認めてくれ、『こんなところに閉じ込められて、おいたわしい』と心に寄り添ってくれ、『せめて心の慰めとなれば』と外の情報をたくさん教えてくれた。


 私は次第に、シャールカに信頼を寄せるようになっていくようになる。

 そしてある日、これまで心の奥底に閉じ込めていた、色々な感情をシャールカに打ち明けた。


 寂しさ、憤り、困惑、嫉妬……。

 止めどなく溢れてくる、どす黒い感情を、シャールカは全て受け止めてくれた。

 涙を流しながら私の肩を抱き寄せ、「私が一生あなたのそばにいます」と彼女は私に言ってくれた。


 心が軽くなった気がした。


 自分はもう、一人ではない。

 そう思うだけで、これまで十何年も見てきた景色が一変したような気持だった。

 

 相変わらず受ける父からの暴力も、これまで以上に無心で流せるようになり、外に感じる賑やかな雰囲気にも、素直な心で受け止められるようになった。


 そんなある日、シャールカが何か像なようのものを持ってきた。

 

 本でも見たことがないような姿かたちのものだったが、曰く『これは神様の像で、心を込めてお願いをすれば願いが叶う』らしい。

 シャールカという理解者を得た私には、もうこれ以上望むものはなかった。

 ただ、シャールカを失ってしまうことが、私にとっては一番の恐怖だったから、私はこれからもずっと一緒にいれるようにと、その像に願った。


 それからだった。時折、外にいる夢を見るようになったのは。


 最初は、ただただ楽しかった。

 

 見上げる太陽。

 澄んだ青空に、奥まで続く果てしない砂漠。

 足元に広がる広大な草原。

 

 そこを私は自由に飛び回り、草や地面に抱かれ、心ゆくまで外の空気を満喫する。

 夢を見た日は一日中活力に満ち溢れ、清々しく過ごせるようだった。

 だから、この外の夢を、私は毎日心待ちにしていた。

 

 ところが、日に日に夢の中で、自分以外の何かが周りに増えていった。

 だんだん窮屈に感じるようになってきて、だんだん食べ物もなくなって、お腹が空くようになってきて……。


 ……ある日、私の体は突然変化した。

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