SIDE ナターシャ②
とにかく体が熱くて、飢えていた。
身体が軽くなり、遠くを見渡して食べ物のある方へ集団で押し寄せていく。その繰り返しになった。
生きるか死ぬかの殺伐とした雰囲気に、私の心も荒んでいく。
夢から目が覚めても、得体の知れない何かに捕まったような恐怖を感じるようになった。
時間がたっても、何も変わらない。
むしろ、自分以外の何かは増え続け、飢えは加速し心が摩耗していく。
『もうあとは、遠くに見えるあの大きなオアシスに行くしかない……』
そういう状況になった時、地面が揺れ、鳥がたくさん襲ってくるようになった。
どんなに頑張ってオアシスに行こうとしても、いつも色々な邪魔が入ってたどり着けない。
次第に、私は苛立ちを覚えるようになって、それは夢の中だけにとどまらず、日常生活にも影響していった。
少し前まで、あんなにも心安らかに日々を過ごしていたのに……。
何かに追われるような焦燥感を常に感じ、満たされず、些細なことでも苛立ちを感じるようになった。
もう乗り越えたと思っていたのに、未だにたまにやってきて暴力を振るってくる父に、再び怒りを感じる。
そして何より、そんな父の姿を知らないであろう兄弟姉妹たちが、外で呑気に暮らしていると思うと、理不尽さに醜い嫉妬を募らせた。
持て余す感情に、私は困惑もしていた。
しかし、刺々しくなっていった私の態度にも、変わらずシャールカは私のすべてを受け入れてくれた。
……だから、私はこの激情に身を委ねてしまった。
体の奥底から、何かが
抱える激情と共に、力がみなぎってくる。
私の持てる全てで、あのオアシスに今度こそたどり着く……。
そう思って夢から目覚めた日、窓から見える砂漠地帯の奥の方から、突然、爆発が起こり轟音が響いた。
部屋の窓から爆発によって舞い上がった粉塵が見え、その衝撃波に、塔全体がピシピシと
その光景を見て……私の体の中で、何かがごっそりと減っていく感覚がした。
膨れ上がった怒りや憎しみが、急激にしぼんでいく。
同時に、冷や汗が額を流れてきた。
……まさか、私がずっと見ていた
急に体が震えだしてきた。
自分がこれまでしてきたことを思い出し、呼吸が浅くなり、目の前が暗くなってくる。
ガタガタと震える私の体を、ずっと後ろで静かに見守っていたシャールカが、優しく抱きしめた。
そして、そっと……耳元で囁いた。
「何があろうと、私はあなたの味方です」
その言葉を聞いて、私は気を失ってその場に倒れてしまった。
身体がまた、変わっていく感覚がする。減ったと思っていた怒りや憎しみが、少しずつ戻ってくる。
太陽の温かい日差しと共に、外から何かが、私の体に入ってくるようだった。
今日が最後だと思った。
いつも以上に鳥たちが邪魔をしてきて、地面が大きく裂け、そこで大きな爆発が起こる。
爆発が起こるたびに、また私の中の何かが減っていったが、私はそれらに気を取られずに、ずっと機会をうかがっていた。
あの、爆発を起こしている少女……。彼女が一番危険だ。
彼女の集中が削がれて視線を外した時、チャンスだと思った。
脚にすべてを集中させ、一直線に口を開け、彼女の喉元めがけて飛んでいく。
しかし、またしても鳥から妨害を受けた。
本当に
そう思っていると、慌ててこちらに顔を出した人間に、私の意識がすべて持っていかれた。
これは私の兄弟。
私が父から暴力を受け一人塔の中で過ごす間、私のことなど知らずに外で自由に生きてきた、私の兄。
認識した瞬間から頭が沸騰するように憎しみが込み上げてきた。
少女のことなど忘れて飛びかかってしまい……そこで目が覚めた。
慌てて起き上がり、もつれそうになる足を叩いて窓に寄り外を見る。
外では大きな
私はきっと、あの少女にやられたのだろう。
そして、あそこにいた兄は、
私の存在に気付き、ここへやってくるのも時間の問題だろうと悟った。
シムーンがこのオアシスを襲いだしてから少しして、やはりシャリフはやってきた。
夢の中で
そう覚悟しつつも、初めてこの部屋を訪れる客に気丈に、そして優雅に振舞っていたのに、シャリフは「助けに来た」などと
今更一体、どの口が言うのか。
取り繕う気も話す気も失せて視線を外し、椅子に腰かける。
いったい、何十年ここで待ち続けただろう。私の存在に気付いた誰かがやってきて、ここから連れ出してくれたら……と思わない日はなかった。
今更来ても……もう遅い。
どんなに綺麗ごとを並べても、私の人生が終わったことなんて、火を見るより明らかだった。
それよりも、もう、謀反人として処刑され、自由になりたい……。
そう、やっとここから出られるんだ。
そう気付いてしまえば、シャリフの手を取り生き永らえることは、もはや今以上の地獄でしかなかった。
どうにかして逃げないと。と、チラッと扉の方を見る。
扉の手前にはシャリフがいて、奥にも何人かいるようだった。
なんとか気を引いて、道を開かないと……。
風が部屋に入ってくるのに乗じて、服に隠れた痣を
「父からの暴力に恨んで」などと
後は後ろにいた数人……と、シャリフの言葉に乗じて扉の方を見た。
その時、私の視界に入ったのは、こちらに向かってくる何やら懐かしい感覚のする少女と、その後ろに着いてくる男女と、さらにその後ろで……
彼女はこちらをチラリと見て……これまで見たことがないような、他人の顔をして、私の視界から消えていく。
「一生、そばにいる」
「何があっても、私はナターシャ様の味方」
今まで繰り返し囁いてくれていた数々の言葉が、脳裏でこだまする。
私の中の、シャールカへの絶対的な信頼が崩れる音がした。
……嘘だった。私はやはり、生まれてから今までずっと一人だった。
そう自覚した瞬間、全てがどうでもよくなった。
震えていた身体が止まる。落とされた言葉を払い、勢いよく、開け放たれていた扉の方を見る。
目の前に広がる、一直線に開けた扉への道が、まるで輝いているように見えた。
私はその輝きを捉え、この人生での全てのしがらみを捨てて走り抜けた。
シャリフお兄様、ここに来てくれて本当にありがとう。
私はやっと、この世界から逃れることができる……!
シムーンに遮られた視界と目をくらますような強い風に抱かれて、私は喜んで塔から飛び降りた。
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