32 ブロア砂漠における害虫駆除③

 十分ほどで辿りついた首都の中は、シャリフ皇太子の心配していた通り混乱していた。


 街中に見られる豪華な建物の入り口は、全て閉ざされ、間に合わなかったと思われる各家の使用人たちや、土の国を偶然訪れていたのであろう冒険者や商人たちといった人々が、迫りくるシムーンに戸惑い、パニックにおちいっていた。

 

 シャリフ皇太子は、すぐ後ろに続いていたガルドに目配せをすると、ガルドは小さく頷き、私たちが乗っているラクダを追い抜かして、街の中でもひときわ大きな建物に向かってまっすぐ駆けて行った。

 シャリフ皇太子はその後、混乱した人々の多くが右往左往する大通りに到着すると、乗っていたラクダを止めて立ち上がり大声で叫んだ。


「私はこの土の国・ロックドロウの皇太子、シャリフ・イル・ブーンディーだ! 避難に迷う者たちよ、宮殿に集まれ! 宮殿がすべて受け入れる。急げ!」


 シャリフ皇太子は、混乱し発狂する人々がこちらに気付くまで、何度も言葉を繰り返した。

 やがて、その場にいた全員が声に気付いて耳を傾け、宮殿に向かって走り出していったのを見届けると、シャリフ皇太子は次なる場所へとラクダを進める。

 その後、シャリフ皇太子は取り残された人々がいる場所を次々と訪れ、シムーンが首都に迫るギリギリまで、大声を張り上げながら宮殿への避難を呼びかけていった。


 ☫ ☫ ☫


 「ふう……何とか避難は終わったかな」


 宮殿に到着し、外で吹き荒れるシムーン砂嵐を見送りながら、シャリフ皇太子は小さく呟いた。閉ざされた宮殿のドアに手を掛け、肩から大きくため息をつく。

 それは、ひとつの重責を終えたような、安堵の息だった。避難に遅れた人がいないか心配して方々を駆け巡り、大声を張り上げていたために乱れていた息が、ようやく落ち着く。

 

 後ろを振り向くと、宮殿のエントランスは避難してきた人々であふれていた。


 落ち着いたように、床に座り込んでシムーンの通り過ぎるのを静かに待つ者。初めてシムーンを経験するのか、ひとつひとつの音に怯え、不安そうな表情を浮かべる者。もはや外のことなど気にせず、仲間と話に夢中になっている者。

 人々はそれぞれに、時間を過ごしているようだった。


「シャリフ皇太子、サラバート国王陛下がお呼びです」


 そんな人々の様子を遠くから眺めていたシャリフ皇太子に、ガルドが声を掛けた。彼はひと足先に宮殿へ向かい、避難してきた人々を受け入れる準備をしていた。

 シャリフ皇太子はガルドと目を合わせて小さく頷き、「ちょうどいいな」と言う。そしてラクダから降りて以降、シャリフ皇太子の斜め後ろのポジションでずっとついてきていた私の方を振り向いて、言った。


「ニコラ嬢、申し訳ないが一緒に来てくれるだろうか。このあとの最後の仕事に、君の協力が必要なんだ」


 宮殿の奥、豪華な調度品に囲まれた広い部屋に、土の国・ロックドロウの国王・サラバートが座っていた。

 背の高さを優に超える椅子に腰掛けた国王陛下は、威厳ある声で話す。


「シャリフよ、よくぞ戻ったな。さてさて……外も騒がしいが、まずは飛蝗バッタ共の首尾について聞こうか」


 国王の言葉に応じて、シャリフ皇太子は先に進み、私たちもその後ろに続いた。国王は一瞬私たちを見たものの、特に興味がないといったような様子だった。

 シャリフ皇太子は国王の前で膝をつき、慎ましく頭を垂れると、顔を上げて恭しく答えた。


「……飛蝗共は、ここにいる者たちの助力もあり、全滅しました……。自らが招いた、このシムーンによって。シムーンが過ぎた後は、飛蝗共の死骸と地中の卵を回収して、この蝗害は終わりです」


「そうか、そうか! ようやく終わったか! 本当に、大きな仕事を成し遂げた! 突然発生したシムーンには、正直、驚いたが……そうか、このシムーンは飛蝗共が起こしたものだったのか。だが、それもあと四,五時間ほど我慢すれば過ぎることだろう。異国の者たちよ、尽力感謝する!」


 シャリフ皇太子の返答に上機嫌になったサラバート国王は破顔し、ようやく私たちの方を向いて言葉をかけた。

 周囲に控えていた者たちからも、歓声が上がりはじめる。


「……陛下、一つ質問よろしいでしょうか」

「なんだ? 申してみよ」


 周囲は依然として歓喜の声に包まれている。

 そんな中でのシャリフ皇太子からの申し出に、サラバート陛下はほころんでいた口元を僅かに正す。


 シャリフ皇太子の表情は硬く、まるで彼の存在だけが周囲から隔絶されるように感じられた。

 誰にも聞こえないような、小さな息を吐く。そして、さきほど蝗害の終わりを告げたその口で、騒々しい雰囲気にあらがわないような、かといって、それを退けるような、強く澄んだ口調で言う。


「……この蝗害、飛蝗共を操っていた者がいることが判明しました。その者は『女王』と呼ばれていました。……陛下、もしかして私には、がいるのではないですか? その者は、そう。この宮殿の西に住んでいるのでは?」


 シャリフ皇太子の言葉に、サラバート国王の顔色は一瞬で変わった。

 周りの者たちも一拍遅れで異変に気付き、先程までの歓喜から一転して、声が消えていく。

 だが、シャリフ皇太子は、その変化にも臆することなく言葉を続けた。


「西の外れの塔は、その昔、罪を犯した王女が幽閉されて自害した場所だと、私が物心着く頃には、既にまことしやかに言われていました。王女の怨念が彷徨さまよい、今でも王女の悲鳴が聞こえる、曰く付きの場所だと」


 誰もが、静かにシャリフ皇太子の言葉に耳を傾けていた。

 そして、感情が抜け落ちたかのような国王陛下の冷えた表情に、徐々に張り詰めた空気が流れ始める。


「いつしか、陛下の命で近づくことすら禁止されましたが、一度、ガルドや年の近い兄弟たちと共に、塔のふもとまで近づいたことがあるのです。塔はつたで覆われ、入り口は塞がれたのかありませんでした。『なんだ、ただの古い塔じゃないか、何をそんなに怖がっていたのか』などと、幼い私たちが口々に言い合っていた時、塔から悲鳴が聞こえてきたのです」


 シャリフ皇太子はその言葉を発しながら、どこか遠くを見つめ、過去の記憶に思いを馳せているようだった。

 その表情は暗く、わずかな後悔を浮かべているようにも見える。

 

「……私たちはその声に慌てて塔から逃げ、それ以降、近づくこともなく、その後すっかり塔のことなど忘れて過ごしてきました。しかし、今回の蝗害で『女王』の存在を知った時、あの時の悲鳴を思い出したのです。あれは、ではなかったのか、と」


 シャリフ皇太子の言葉を受け、時が止まったかのように静まり返る空気に、果てしなく長い時を感じた。

 その場にいた誰もが、シャリフ皇太子と、シャリフ皇太子に問いかけられた国王陛下の様子を、固唾かたずを飲んで見守っている。


「……シャールカをここに」


 ようやくサラバート国王が口を開いた。

 その言葉に、静まり返っていた周囲の人々の中から、一人の女性が歩み出てくる。

 

 サラバート陛下の表情からは、先ほどまでの歓喜に満ちた様子は消えていた。

 もう、最初に私たちに向けていたのと同じ、興味のなさそうな様子で、どこも捉えていないような、光の消え失せた虚ろな目をこちらに向けて言う。


「シャールカに着いていくがいい。その者が、お前の望みに導いてくれる」

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