31 ブロア砂漠における害虫駆除②

 エクスプロージョン爆発しろが四回目ともなると、飛蝗たちの群れは、当初のおよそ四分の一以下にまで小さくなっていた。

 ノアラークから散布される殺虫剤の効果もあり、ギチギチギチと不快な音を立てていた飛蝗の動きも、次第に鈍りはじめていた。鳥たちの巧みな追い込みもあり、生き残りの飛蝗たちは、中央にいる巨大な飛蝗へと徐々に収束していく。

 

 そのひときわ大きな飛蝗は、作戦の開始から今に至るまで、不気味なほど静かだった。

 ただじっと、その大きな瞳で、作戦本部のあるテントの方を見つめている。

 

 額から、暑さとは違う汗が流れてくるのを感じた。


(この魔力の残りからすると、エクスプロージョン爆発しろはあと一発……いや、頑張れば二発いけるかもしれない)


 と、自分に言い聞かせる。

 けれど、この疲労感は何だろう。今まで感じたことがない急激な魔力の消耗。体の中の力がどんどん抜けていくような、そんな感覚があった。

 それでも、残されたエクスプロージョンは、あのひときわ大きな飛蝗に打ち込まないといけない。そうしなければ、この作戦は成功しない。そう私は確信していた。


 戦場の緊張感が薄れ始め、鳥たちの一部は、追い込みの任務を終えて戻り羽を休めている。その雰囲気に影響されてか、私もふうっと一息つく。

 そして、作戦本部のあるテントの中に戻って、冷えた飲み物でのどを潤し、汗を拭おうと後ろを振り返った。


 ……その時だった。


 これまで仲間たちがやられていても、微動だにしなかったひときわ大きな飛蝗が、集中力の切れた私の視界の隅で「ニヤッ」と笑ったような気がした。


 それは一瞬の出来事だった。

 

 飛蝗は地面にめり込むほど脚を曲げて体を沈ませ、次の瞬間には、一キロ以上もの距離を飛び越えて、テントの入り口に足をかけていた私に向かって、大きな口を開けて飛びかかってきた。


「ッ……ニコラ……後ろ!!」


 その異常な動きを目撃したアニーの叫び声に、反射的に振り向く。

 けれど……間に合わない。巨大な飛蝗は既に、目の前に迫っていた。大きく開けた口からのぞく牙が、私の喉元に差し掛かる。

 と、その時、視界の斜め後方からイーヨの鋭い爪が飛び出した。


「ガンッ!」


 襲い掛かってきた飛蝗は、イーヨの脚に弾かれるようにして私の横顔を掠め、テント内の地面に激突した。

 横から突如、飛蝗に蹴りを食らわせたイーヨは、その勢いを殺すように羽を大きく広げ、私の前にふわりと降り立った。


「イーヨ……!」


 小さく土煙が舞い上がる。

 土煙の消失と共に、徐々に、黒い大きな物体の形がはっきりと浮き出てくる。

 

 地面からよろよろと起き上がった飛蝗は、人間の赤子ほどの大きさがあった。

 ガチガチガチガチと牙を鳴らし、私たちをさも忌々しいといったようににらみつけてくる。


 ふと、飛蝗の片方の瞳に、騒ぎに慌ててテントの奥から姿を現した、シャリフ皇太子の姿が映った。


 飛蝗の動きが一瞬止まったかと思えば、飛蝗はグワっと顔をシャリフ皇太子の方に顔を向け、先程よりも数段禍々まがまがしい様子でシャリフ皇太子を威嚇いかくし始める。


 飛蝗は羽を震わせて、ギジジジジジと音を立て始める。

 その音は脳裏に響くような不快な音だった。

 

 段々と大きくなるその音に、シャリフ皇太子が堪らず眉をひそめて後ろに少し引いた瞬間、飛蝗はまたググッと脚を大きく沈み込ませて、シャリフ皇太子に飛びかかった。


バースト破裂しろ!!!!」


 とっさに放った魔法が間に合った。

 宙に飛び出していた巨大な飛蝗の体が、内側から「パァン!」と乾いた音を立てて破裂する。

 その破片が地面に散らばり、ようやく私は安堵の息をついた。


「はぁ……助かったよ」

 

 シャリフ皇太子は、咄嗟とっさに飛蝗を避けようとしたのか後ろにバランスを崩し、尻餅をつく形で座り込んでいた。

 飛蝗の残骸を見て、私もシャリフ皇太子から一拍遅れで、ヘナヘナヘナと床に座り込む。


(ああ……エクスプロージョン爆発しろはもうあと一発だな。でもあの大きな飛蝗を仕留められて良かった……)


 と、ニコラは座り込んだままの体勢でやっと大きなため息をついた。体中のこわばりが解けると同時に、疲労が押し寄せてくる。

 それでも、巨大な飛蝗を仕留めたという達成感だけが、今の私を支えていた。

 

 思わず上の方を向いて深呼吸していた私の肩に、飛蝗の強襲きょうしゅうから私を救ってくれたイーヨが留まった。

 イーヨを確認し、少し微笑みながらイーヨの喉元あたりに手をやる。


「さすが麗しのレディだね。助けてくれて、本当にありがとう、イーヨ」


 と、ニコラは最大限の感謝を込めながら、イーヨを優しくでた。


 一番危険だった、ひときわ大きい飛蝗をどうにか始末できた。

 急な緊張感から解放されたせいか、周囲には、穏やかで、それでいて少し気だるげな雰囲気がただよい始めていた。

 そんな時、テントの入り口から乾いた風が吹き込み、私の髪をそっと揺らす。


「……風が、吹いてる……」


 私から数秒遅れで、自分の耳元の髪を揺らす風に気付いたシャリフ皇太子が、そう小さくそう呟く。

 その瞬間、シャリフ皇太子の表情が変わった。

 目を大きく見開き、勢いよく立ち上がると、入り口付近でへたり込んでいた私をかわしてテントの外に飛び出していく。私はもちろん、周囲の者たちも慌てて後を追った。

 

 外では、残された飛蝗たちが、それぞれに「ジイイイイイ」と羽を震わせる不快な音に溢れていた。

 それだけでなく、その振動に呼応するかのように、先ほどまでの晴天から打って変わって風が吹き荒れはじめ、徐々に、茶色く濁った砂埃が渦を巻いて上空へと舞い上がっていくところだった。


シムーン砂嵐だ!! テントに逃げろ!!」


 誰かが大声で叫んだ。

 シムーンが誕生する様に硬直していた人々が、声に反応して一斉に動き始める。

 前線の方にいた土の乙女たちの黒い集団も、テントに向かって駆け戻ってくる姿が見えた。

 

 飛蝗たちのいる、まさにその場所で発生したシムーンは、またたく間にその規模を大きくし、飛蝗たちを丸ごと飲み込んでいく。

 ジイイイイイという飛蝗の羽音が減っていくたび、シムーンの轟音が大きくなっていった。


 私は慌てて辺りを見回すが、状況は刻一刻と変化していた。

 飛蝗の音がほとんど聞こえなくなったと思ったら、シムーンは私たちのいるテントに向かってゆっくりと移動し始めた。

 

「ま、まずい……!」

 

 不意に、体がふわりと宙に浮く。シャリフ皇太子が私を抱え上げ、テント脇に待機していたラクダに飛び乗ったのだ。

 シャリフ皇太子に続いてガルドと、慌ててアニーとテッドも、ラクダに乗り私たちの後を追いかけてくる。


「え、えっ!? ちょっと待って! 何が……」

 

 ラクダに乗せられて戸惑う私に、シャリフ皇太子が遠くに見えるオアシスを視界に収めながら言った。


「シムーンは、摂氏五十度を超える熱風を伴う砂嵐だ。生身のまま飲み込まれれば、どんな生物も窒息してしまい、生きてはいられない。それが、魔物化した飛蝗であってもだ」


 説明を聞いて、思わず喉がゴクリと鳴る。

 あの大きなシムーンは、残された飛蝗たちを、根こそぎ狩りつくしていくに違いない。


「だから、今一番問題なのは、飛蝗共ではなく、シムーンが向かっているこの方向……私たちの守る最終防衛ラインの後ろに、首都のあるオアシスがあることだ。飛蝗共め、とんでもない置き土産を置いて行きやがった! 急いで人々を避難させなければ、死人が出る……!」


 私たちが蝗害から守ろうとしている、人々の生活、命。

 それらを、一瞬で飲み込んでしまうかもしれない存在がシムーンだった。その恐ろしさが、ようやく実感として胸に迫ってくる。

 

 しかし、それにしても私が一緒にいるのは、どうしてだろう? と疑問に思って、シャリフ皇太子の顔をなおも見上げる。

 すると、私の様子に気が付いたのか、チラッと視線を落としてきたシャリフ皇太子と目が合った。

 

「……この地に住む者たちは、シムーンの対処法を知っている。だが、君たちは違う。これからちょうど宮殿に向かうから、君たちは私と共に行動し、宮殿に避難するといい。それに……できれば、ニコラ嬢には少し手伝ってもらいたいこともある」


 シャリフ皇太子はそう言うと、再び視線を前方に移した。

 私たちの視線の先には、もう、土の国の首都のあるオアシスの姿がはっきりと見えていた。

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