26 黒き悪魔
「改めて、『Aランク:ブロア砂漠における害虫駆除依頼』を受けてくれてありがとう。まずは、これまでの状況を説明しようか」
シャリフ皇太子はそう言うと、挨拶を終えた私たちは彼に案内され、奥の区画から一つ前の、大きなテーブルのある区画へ移動した。
席に着くと、控えていた人が、氷の入った水をコップに注いで差し出してくれた。
冷たく爽やかな風味。ほんのり感じるレモンの酸味が心地良い。乾いた喉が潤うのを感じた。
全員が一息ついたのを見計らい、一番奥の席に座るシャリフ皇太子の後ろに立っていた男性が、地図の置かれた場所に歩み出た。
彼は私たちを
「シャリフ皇太子殿下の補佐をしております、ガルディル・イル・トーツディです。アンナ様、ヘインズワード様、セオドア様、お久しぶりでございます」
「ガルドも久しぶりね」
アニーが真っ先に反応した。
「あなたは、シャーリーと違って、すいぶんと印象が変わったわね。……というか、大人しくなったわね? 『アンナ様』なんて他人行儀はやめてちょうだい。昔みたいに、またアニーと呼んでくれると嬉しいわ。もちろんヘインズもね」
「そうだぞ、俺たちは一緒に『死の森』を探検した仲だろう」
テッドが口をはさむ。
「『セオドア』なんて呼ばれるの、久しぶりすぎて鳥肌が立ったわ。テッドに戻してくれ」
ガルディルことガルドとも、三人は旧知の仲のようだ。久しぶりとはいえ他人行儀な様子に、特にアニーとテッドから非難が噴出する。
二人の勢いに一瞬ガルドは言葉を詰まらせたものの、すぐに諦めたように苦笑いを浮かべた。
「……あなたたちと過ごした三年間は、私にとっては黒歴史というか……特に、『死の森』の件なんて、トラウマで思い出したくもないんですけどね」
どこか投げやりな口調でそう言う彼の顔に、ほんの少しの照れが滲んでいるように見える。
「十年も経てば、立場も環境も変わるものです。それに合わせて振る舞うのが『大人』というものですが……。まあ、あなたがたが相変わらずなのは分かりました」
丁寧な言葉遣いの裏に、どこか嫌味の湯女ニュアンスが混じる。
でも、これもかつての学友たちにとっては親しみの証なのだろう。アニーもテッドも、彼の言葉に全く動じた様子はなかった。
「とにかく、今はシャリフ皇太子の補佐を務めています。私から、これまでのいきさつと、現状について説明させていただきます」
少し肩の力を抜くように息をついたガルドは、私たちに向かって語り始めた。
☫ ☫ ☫
事のはじまりは、一昨年の大雨だった。
実に数百年ぶりともいわれる大雨に見舞われた、ロックドロウ南部のオアシスを含む地域は、もともと雨の少ない砂漠地帯も含まれていたこともあり、最初は、住人たちもこの大雨を歓喜をもって歓迎していた。
首都のオアシスにはこれまで以上に水が溢れ、炎の国のヴァルティナ山脈からの熱風に砂漠と化していた地域にも、草が戻っていった。
また、元々バッタ自体はオアシスでもたまに見かけていたものの、彼らは孤独を愛し、群れることは基本的になかった。むしろ、高く飛ぶことから、この国では『幸運の象徴』ともされていた。
しかし、大雨が止んでから数か月後、静かだった砂漠の地中から大量のバッタが孵化し、ほどなく住人たちは困窮することとなる。
最初の被害は、特に人間の少ない、大雨で草が戻った地域からだった。
人間の手から離れたこの地域で、バッタたちは、新たに芽吹いた新芽を貪るように刈りつくしていった。
しかし、もともと草が枯れて放置されていた地域でもあったため、一部の人間はバッタの繁殖に気付いていたものの、自分たちに被害がないからと放置してしまった。……これが不味かった。
元々単独で生活するバッタは、期せずして大量繁殖すると、密集が引き金となって『孤独相』から『群生相』に相変異する。
『群生相』になると、食欲が増して繁殖スピードも加速し、さらに小さな群れ同士が合流して、食料を求めて移動し始める。
見た目も褐色や緑だったのが、黄色や黒に変化し、人間の食糧である穀物を荒らしだす。
この事実を、調査を打診した雷の国の研究者からの報告で知ったのは、いよいよ大雨で戻ったはずの草原地域が刈りつくされ、オアシスの外側に位置する、穀物地域にまで被害が出始めたときだった。
あの大雨から一年近く経った頃で、そのころには既に、『群生相』に相変異した
ものすごいスピードで、穀物に被害をもたらす飛蝗をしり目に、対策を急ピッチで立てていく。
しかし、ついに、首都のあるオアシスへの侵攻を防ぐために、穀物地帯を放棄せざるを得なくなった。
『土の乙女たち』による魔法での地形変化や、シャリフ皇太子のタカを筆頭とした、首長一族の鳥たちによる進路妨害などで、旧穀物地帯に何とか飛蝗共を押しとどめることに成功したが……。ついには、飢えた飛蝗共の一部に、魔物化が見られるようになった。
それらはいつ、首都のあるオアシスに届いてもおかしくない。今まさに、その切羽詰まった状況であるということだった。
説明されたあまりの悲惨さに、私だけでなくアニーやヘインズ、テッドの表情は暗く落ち込んでいた。
このままでは、いつか押し留められなくなった飛蝗たちがオアシスに到達し、土の国は壊滅的な被害を受けるだろう。
「我々としては、あの爆発魔法を使ったニコラ嬢に、どうしても協力をお願いしたい。ここにいる者たちは、あの魔法を自らの目で見ているからね。もういつ、飛蝗共が自分たちを飛び越えて、家族の住むオアシスに到達するかというギリギリの状況下にいた我々には、あの光景はまさに、待ちに待った救世主の降臨そのものだったよ」
ガルドからの説明に静まり返った空気の中、テーブルに肘をつき、顔の前で手を組んでいたシャリフ皇太子が、静かに、けれども強い意思を持って言葉を放った。
「……ええ、こちらとしては最初からそのつもりよ。だからこの場にニコラを連れてきた。ただ、私たちとしてはニコラに強要はしたくない」
皆の代表として、アニーがそう答える。
そこには、先ほどまであった旧友の気安さ等は無かった。
「二つ条件があるわ。まずは、ニコラの意思を尊重すること。そして、ニコラの身の安全を、シャーリー……シャリフ皇太子のあなたが、責任を持って保障することよ。なお、もしニコラの同意が得られなかったとしても、私たちには他にも手段があり、あらゆる対策を講じて土の国に協力すると約束するわ」
「ああ、承知した。ニコラ嬢へ交渉する権利を与えてくれたこと、感謝する。身の安全についても、私の命を賭して守るとここに誓おう。……どうだろう、ニコラ嬢。この土地は君にとっては何のゆかりもない土地だ。だが、多くの人々が生活を行っている土地でもある。どうか、我々に君の力を貸してくれないだろうか」
シャリフ皇太子はそう言うと、席を立ち、私の前に来て深々と頭を下げた。
「どうか……」という、小さな呟きが聞こえてくる。
気が付けば、ガルドを含め、周囲に控えていた人々だけでなく、テントの外でこちらの様子を窺っていた人々に至るまで、私に頭を下げていた。
非常に空気が重い……。
が、それだけ飛蝗との戦いが熾烈で、追い詰められているということなのだろう。
「……頭を上げてください。もちろん、協力します。虫は苦手ですが……人々が犠牲になるのは、私としても耐えられません」
私がそう返事をすると、シャリフ皇子は頭を上げ、私の両手を握って「ありがとう」と、振り絞るように言葉を発した。
周囲からも安堵の声が、続いて、歓声が上がりだす。
「先ほども約束したように、ニコラ嬢の身の安全は私が命を賭して保証しよう」
シャリフ皇子はそう言うと、「ピィーー!」と指笛を吹いた。すると、色めき立つ雰囲気を切り裂いて、一羽のタカが室内に入ってきた。
タカは室内を小さく旋回した後、私の肩に優しく降り立つ。ノアラークの甲板で、『キール』と呼ばれていたタカより、一回り大きい。
「紹介しよう。この子はイーヨ。私の麗しきレディだ。アニーが危惧している通り、この国は他国にはない文化が根付いている。アニーたちはその褐色の肌で、すぐにこの国の人間ではないと分かるから、誰も手を出さないだろうが……ニコラ嬢の容貌は、我々に近いからね。私の大切なイーヨを傍に付かせよう。イーヨが一緒にいれば、私の守護があるのだと誰しもが分かり、ニコラ嬢に手を出すような馬鹿は出ないだろう」
肩に降り立ったイーヨを見ると、視線が交わった。彼女の瞳には、穏やかさと強さが宿っていた。
イーヨは、シャリフ皇太子の言う『麗しいレディ』という言葉にふさわしく、つややかな毛並みと女王のような威厳を持った気高く美しいタカだった。
横に座るテッドが「イーヨも久しぶりだ! 綺麗になったなあ」とおもむろに手を伸ばしたが、羽で勢いよく叩かれている。
「イーヨもニコラを気に入ったようだね」
ニコラとイーヨ、とついでにテッドの様子を見ながら、シャリフ皇太子は元居た場所に座りなおして、朗らかに言った。
「まあ、イーヨが付いているなら、概ね大丈夫でしょう」と、アニーも納得した様子だ。
和やかな空気が流れ、これで話も一旦おしまいかと誰もが思っていた。
そんな雰囲気を切り裂いて、テーブルに座り直したシャリフ皇太子が、顔の前で再び手を組み、まっすぐにこちらを見つめて言った。
「ところで、ニコラ嬢とは別で、魔法適性の高い……それも『土魔法の適性』を持った子がいるよね? できればその子にも協力を仰ぎたいんだけど、会うことはできるかな?」
シャリフ皇太子のその一言に、その場の空気は一瞬で凍り付いた。
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