24 炎魔法②

「正直、飛蝗バッタには一般的な炎魔法は、あまり効果がないと思うの。だから、少し難易度は高くなってしまうけど、より威力の強い『爆発系炎魔法』をニコラには習得してもらいたいと思っているわ」


 操縦室でアニーに声をかけられた私は、一緒に食堂へ移動して詳細を聞くことになった。気を利かせてくれたサリーが、ケーキとお茶をそっと差し入れてくれる。

 アニーの横にはヘインズとテッドも座っていた。

 今回の蝗害対策はアニーとヘインズに、陸上の生物が専門のテッド、そして私の四人が中心となるらしい。

 

 期せずして主要メンバーに組み込まれてしまった私は、目の前に置かれた、いつもなら喜んですぐに食べきってしまうような魅力的なケーキにも、食指が動かなかった。

 お茶の水面に映る自分の姿ばかりを、ぼんやりと見つめてしまう。


 話を聞くと、テッドが飛蝗の行動調査や進行予測を行い、ヘインズが蝗害対策として効果が期待できる殺虫剤や生物農薬の調達と散布を行い、そして最後に私が、爆発魔法で飛蝗を物理的に駆逐していくという計画らしい。

 

「……でも、殺虫剤や生物農薬だけで、何とかなるんじゃ?」

 

 思い切って質問してみたけれど、アニーの答えは否定的だった。

 

「殺虫剤は環境に与える影響が大きいし、生物農薬は効果が出るまで時間がかかる上、予測不能な副作用が出る可能性があるのよ。だから、確実性の高く、環境への影響も少ない、爆発魔法をメインにしたいのよ」

 

 逃げ道を完全に塞がれてしまった私は、渋々、私が唯一持つ魔法の教科書である『実践魔法・入門』を開いた。

 だが、そこには、アニーの言う爆発魔法の記載はない。

 

(これ、もしかして、本に載ってないなら残念ってことで、免れるんじゃないかな?)

 

 そんな未練がましい淡い期待を抱いていたけれど、それもすぐに打ち砕かれた。

 アニーが私の様子を見ながら、スッと、私の目の前に分厚い『実践魔法・初級』『実践魔法・中級』『実践魔法・上級』の三冊を差し出してきたのだ。目の前に積まれた三冊の厚みに、目が点になる。

 

(断たれた……悪あがきもダメだった……)


 と、落ち込んでいると、アニーが両手を握りしめてきて言った。


「少なくとも初級のバースト破裂しろ、できれば上級のエクスプロージョン爆発しろを習得してもらうことになるわ。それも、シャリフ皇太子と合流するまでの、四日の間に……。一緒に頑張りましょう」


 それからの四日間は、まさに地獄の特訓の日々だった。

 ボブに事情を説明して、こり治療の方はお休みさせてもらった。治療を求める実験体たちの悲鳴のような声が、遠くから聞こえた気がしたけれど、私は構っていられなかった。


 午前中の雑用係が終わると、すぐ、アニーの元で炎魔法の理論やイメージを叩きこまれる。目標とする爆発系炎魔法の習得に向けて、一足飛びで実践と修正をひたすら繰り返していった。


 爆発系炎魔法の理論とイメージを、自身の中に落とし込むのには時間がかかった。

 しかし、光魔法での経験があり、炎魔法への適性も魔力も十分だったおかげか、こと実践に至っては、思いのほか順調に進んで行った。そして、炎の国から土の国に移動し始めてから四日後、ついに私は、上級の爆発系炎魔法であるエクスプロージョン爆発しろに手が届いた。


「爆破の規模の調整がまだだけど……ここで試すわけにもいかないものね。まあ、実践で何とかしていきましょう」

 

 あとはシャリフ皇太子と合流するだけだと、私たちは一息ついた。

 久しぶりの休息に、少しだけ安堵していたけれど、その余裕はすぐに消え去ることになる。


 ノアラークが合流地点の上空に差し掛かかり、窓から地上を見下ろした瞬間、私たち全員が言葉を失った。

 そこは、個が集団を成して波のように蠢く、黒き悪魔の海だった……。


 それはまるで、地獄絵図のようだった。

 

 何百億匹いるという飛蝗たちは、地表には収まりきらず空中をも飛び回り、その勢いは、上空に浮かぶノアラークにも届きそうなほどだった。

 甲板に集まったみんなも、眼下に広がる壮絶な光景に言葉を失っていた。


「あ、これはヤバイ」


 みんながこの世のものと思えない光景に息を飲む中、甲板の最前面で、身を乗り出して地上を確認していたテッドが声を発した。


「あの飛蝗どもの中に、一般的なサイズより二回りくらい大きいのがちらほらいるな……。こいつら、しかかっている。早急に対処しなければ、とんでもないことになるぞ」


 ――魔物化。

 その言葉に、私の全身が硬直した。

 『魔物』……それは、この世界において、恐れられる存在だった。


 『魔物』とは、『精霊』が動物などに受肉したものだ。

 『魔物』は得てして、受肉前と比べて体は大きくなり非常に攻撃的で、動物がそもそも有している性質が、異常なほど強化される。しかも、受肉した『精霊』によっては、魔法まで操るようになるらしい。


「魔物化した飛蝗は、普通の飛蝗に比べてより高く飛び、繁殖力が強化されて、さらに爆発的に増えていく。下手したら肉食化する可能性もある」

 

 テッドの追加情報が、容赦なく私の心に襲い掛かる。


 虫なんて、ただでさえ苦手なのに、それがさらに大きくなって、しかも狂暴化するだなんて……。頭がくらくらして、足元がふらついてきた。


 蠢く飛蝗の波に、私の身も心も、飲まれそうになる。

 

(依頼主には申し訳ないけど、このまま飛んで帰りたい……)


 この場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた、その時だった。


「ピューーーーー!」


 甲高い音が突然、耳を突き抜けた。

 反射的に音のする方を見ると、数百羽にも及ぶほどの鳥たちが空に現れた。そして、隊列を組むように飛びながら、あの、黒き悪魔の海へぶつかっていく。

 

 鳥たちは、飛蝗の集団に飛び込んでは飛び出たりを繰り返し、まるで飛蝗の進行を妨害しているみたいだった。

 それだけじゃない。よく見ると、特に魔物化しはじめた、大きくなった飛蝗を優先して捕食しているみたいだ。


「あれはきっと、シャリフ皇太子の鳥たちね」


 アニーが静かにそう呟く。その声に、私の視線も彼女の方に向かう。


「シャリフ皇太子と合流するつもりだったけど、状況はかなり悪そうね。まずは、魔物化した飛蝗を減らしましょう。ニコラ、『エクスプロージョン』は使えるかしら?」


 アニーの問いかけに、心臓が一瞬っでギュッと縮こまる。

 もう逃げられない……。そう思って、頷いて肯定の意を表した。

 

 虫は本当に苦手だ。それがさらに大きくなっているなんて、考えただけで鳥肌が立ってくる。

 でも、このままだと、魔物化した飛蝗はさらに狂暴化して、もしかしたら人を襲うかもしれない。

 怖いし気持ち悪いけれど、でも、鳥たちが必死で飛蝗を食い止めているのに、私が逃げるわけにはいかない。


 やるしかない……ここで叩く!


 飛蝗の群れの中でも、ひときわ大きな飛蝗を見つけて、体内の魔力に意識を集中させる。私の中の、魔力を引き出していく感覚が、体中を駆け巡る。

 そして、鳥たちが飛蝗の群れから一度、大きく離れるのを確認し、私は深く息を吸い込んで言った。


エクスプロージョン爆発しろ!!」


 その瞬間、カッ! という眩しい光が視界を襲い、その後、追うようにして耳を劈くような轟音が鳴り響いた。

 炎が広り、飛蝗の群れの、およそ五分の一ほどが爆炎に飲まれる。


 数秒遅れて、熱を含んだその爆風がノアラークに届いた。

 私は体を守る様に身をかがめ、熱風を全身に受けながら、「ちょっとやりすぎたかも……」と考えていた。

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