56 運命の出会いは、すぐそこに
――泣かないで、私の愛しい子。
この世界にはもう、私は必要ないの。
種も植えた。新たな命も芽吹いた。あなたという守り手も得た。
あとはただ、健やかに成長していくだけ。
世界の舵取りは、すでに運命にゆだねられた。
私にできることはもうない。私は、私の世界に戻るだけなの。
ただ、あなたは私の分身。魂の奥深くで繋がっている。
遠く離れていても、いつまでも見守っているから。
だから……。
……。
……。
……違う。
これは、違う。
これは……
☸︎ ☸︎ ☸︎
目を覚ますと、そこは見慣れた自分の部屋の、ベッドの上だった。
「私、何か夢を見ていたような……」
と、ぼーとする頭で考える。
けれど、どんなに思い出そうとしても、それはどんどんと記憶の彼方に消え去っていくかのように、脳内から
もはや何を思い出そうとしていたのかさえ分からなくなって、思考を諦める。
起き上がり、窓の方に目を向けてみると、外はもう暗い。
机の上に置かれたランプだけが、部屋の中を温かく照らしてくれていた。
……そうだ。
私、草の国の聖域の湖畔で、あのうずくまって横たわる死骸に、何か呼ばれているような気がして……。
声のする方に行こうとしたんだけれど、近づけば近づくほどに痛くなっていく頭に耐え切れずに、意識を失ってしまったんだ……。
もうすっかり痛みのなくなった頭を、ゆっくりと擦りながら思う。
……
倒れる間際、ロイドに体を支えられたはずだ。
「お願い」と、その時、確かに頼んだ。
声はもう、何も感じない。そのことに気付いて、心の奥がキュッと締め付けられるようだった。
けれど、ロイドがきっと答えを教えてくれるはず。
そう、確信めいた直感を胸に、ニコラはゆっくりとベッドから立ち上がって自分の部屋を後にした。
静まり返った廊下。
人の活動の気配すらも感じないノアラークの船内を、音を立てないようにゆっくりと進む。
少しして辿りついたロイドの部屋のドアからは、少し明かりが漏れていた。
「……ロイド、起きてる?」
軽くノックをして、語り掛ける。
すると、少しして部屋のドアがゆっくりと開いた。
「……もう起きて平気なのか?」
「うん。大丈夫。急に倒れちゃってごめんね」
「ああ、それは問題ない。大丈夫なら良かった」
「ねえ、ロイド。ところで、あの後、何かなかった……?」
そう会話しながら、招かれるままにロイドの部屋に足を踏み入れると、机の上に布に包まれた何かがあるのに気が付いた。
ふとロイドの方に視線を向けると、目が合い静かにうなずいている。
「ああ。あれが、あそこで見つけたものだ」
ロイドの言葉に、フラフラとそれに近づいてみる。
ゆっくりと布を取ってみると、それは浅黒い紫色をした、卵だった。
そっと触れてみると、それはヒンヤリと冷たく、中のモノは既に止まっているように思える。
「一応、綺麗に洗って温めてみたんだけどさ、冷たいままだし、多分、無理なんじゃないかなって……」
背後からそう声が落ちる。
確かに、あの時感じていた頭の痛みや心の中に流れ込んできた激情は、もはや何もなかった。
ただただ静かなままだ。触れた手の先は、ロイドの言うように、既にこと切れているように感じる。
……でも。
諦めきれない自分がいるのは、何なのか。
静寂に包まれた部屋の中で、卵と対峙する。
手のひらから、何か感じ取るものは無いかとつぶさに探る。
と、小さな、小さな、何かに触れた気がした。
まだ……間に合う?
心がふわっと浮足立つ。
それなら……この子も、生き物であるのなら、もしかして……。
「……ねえ、ロイド。この卵のこと、他の皆は知っているのかな?」
「ん? いや、多分知らないんじゃないかな。ニコラが意識を失ったことに皆大慌てで、先に医務室に運んで治療を行ったんだ。皆、ニコラを心配して、一緒にノアラークに引っ込んで、代わる代わるに様子を見に来ていた。しばらくたった後に、俺が一人でまたあそこに確認に行って、これを拾ってきたんだ」
「……じゃあさ、これから見ることは、皆には内緒にしてくれる?」
そう言って、卵を優しく撫でていた手に、もう片方の手を加えて、両手で優しく包み込む。
スッと目を閉じ、体内の魔力に意識を集中させる。さっきまで眠っていたこともあり、体内の魔力は満タンだ。
「え、一体、何をする気だ……?」という、ロイドの少し焦る声が遠くから聞こえる。
これは、リュシカの時の、苦い経験を経て学んでいた魔法。
光魔法で発現が確認できている中でも、最も上級な魔法と言われ、『光の乙女』であっても発動できるのは日に一回なのだという。
本で勉強はしていた。そして、今の自分には、とても手の届かないところにあるということも分かっていた。
恐らく、私にはまだ知識もイメージも足りていない。けれど、何だか今回に限っては、
「……上級魔法、
そう唱えた瞬間、手の中から光が放たれる。
輝く光の粒が、波のように揺らめきながら卵の周囲を包んでいく。
ぶわっと目に見えない温かな何かも漏れ出て、光の粒と共に頬や髪を撫でる。
二重にも三重にも重なる光の帯。
それが卵の表面に隙間なく積み重なっていったと思えば、すうっと全て中に入っていき、卵の内側から光が
――トクン。
目がチカチカとするような光がおさまり、部屋が元の明るさにまで落ち着いたとき、手のひらに何かの振動を感じた。
両手の中に納まるそれは、先ほどまでの浅黒さがなくなり、みずみずしい赤みが差している。
――トクン。
それは本当に小さな鼓動だったけれど、溢れだす生命力に喜んでいるかのような、力強い振動だった。
後ろで、その様子を見ていたロイドが、息をすることも忘れて呆然とこちらを眺めているのを感じる。
体の中の魔力が、ごっそりとなくなった感覚がしていた。技術不足を、魔力で補ったからだ。
今度は、魔力切れで意識が朦朧としはじめ、体が鉛のように重く感じる。
立っていられずに、床にしゃがみこんだ。
たまらず瞼を閉じて、息と共に深く深く沈んでいく感覚に身を委ねる。
遠ざかりつつある意識の底で、誰かがそっと囁いた気がした。
……やっと会えたね。
私の、愛しい子。
運命のノルンは最後に微笑む(旧:転生少女のヴァルキュリア) となりのOL @haijannu
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