41 終わらぬ、連鎖

「ふう……何とか避難は終わったかな」


 シムーン砂嵐に吹き荒れ始めた外の景色を見送り、ガチャンと扉が閉められた宮殿のドアを見つめてシャリフ皇太子が小さく呟いた。

 閉ざされたドアに手を掛け、誰にも気付かれないように肩から大きくため息をつく。

 

 それは、ひとつ重責じゅうせきを終えたかのようだった。

 避難に遅れた人がいないか探して方々を駆け巡り、大声を張り上げていたために乱れていた息を落ち着かせる。


 後ろを振り向くと、宮殿のエントランスは避難してきた人々であふれていた。


 落ち着いたように、床に座り込んでシムーンが通り過ぎるのを静かに待つ者。

 初めてシムーンを経験するのか、ひとつひとつの音に怯えなおも不安そうな表情を浮かべる者。

 もう外は関係ないとばかりに、仲間と話に夢中になっている者。


 人々は思い思いに時間を過ごしているようだった。


「シャリフ皇太子、サラバート国王陛下がお呼びです」


 そんな人々の様子を遠くから眺めていたシャリフ皇太子に、ガルドが声を掛けた。

 彼はひと足先に宮殿に向かい、避難してきた人々を受け入れる準備をしていた。


 国王陛下の用件は、おそらくは本日で終わる予定だった蝗害の状況と、突然発生したシムーンについての話だろう。

 

 シャリフ皇太子はガルドと目を合わせて小さく頷き、「ちょうどいいな」と言う。

 そしてラクダから降りて以降、シャリフ皇太子の斜め後ろのポジションでずっとついてきていたニコラの方を振り向いて言った。


「ニコラ嬢、申し訳ないが一緒に来てくれるだろうか。このあとの最後の仕事に君の協力が必要なんだ」



 ☫ ☫ ☫



「シャリフよ、よくぞ戻ったな。さてさて……外も騒がしいが、まずは飛蝗バッタ共の首尾について聞こうか」


 宮殿の奥、輝かしい調度品に溢れ大きく開けた部屋の奥に、この土の国・ロックドロウの首長であるサラバート国王陛下はいた。

 背の高さを優に超える大きく豪華な椅子に腰かけた国王陛下が、いかにも威厳のある声を落とす。

 

 国王陛下はシャリフ皇太子と共に部屋に入り、後ろで同じように控えていたニコラ達にも一瞬一瞥いちべつしたものの、特に興味がないといったような様子だった。

 先頭で膝をつき、こうべを垂れていたシャリフ皇太子が顔を上げ、うやうやしく発言する。


「……飛蝗共はここにいる者たちの助力もあり全滅しました……自らが招いたこのシムーンによって。シムーンが過ぎた後は飛蝗共の死骸と地中の卵を回収して、この蝗害は終わりです」


「そうか、そうか! ようやく終わったか! まことでかした! 突然発生したシムーンには正直、驚いたが……そうか、このシムーンは飛蝗共が起こしたものだったのか。だが、それもあと四,五時間ほど我慢すれば過ぎること……異国の者たちよ、尽力感謝する!」


 シャリフ皇太子の返答に上機嫌になったサラバート国王は破顔し、ようやくニコラ達の方を向いて言葉をかけた。

 周囲に控えていた者たちからも歓声が上がりはじめる。


「……陛下、一つ質問よろしいでしょうか」

「なんだ? 申してみよ」


 周囲は変わらず歓喜に包まれている。

 そんな中でのシャリフ皇太子からの申し出に、サラバート陛下はほころんでいた口元を僅かに正す。


 シャリフ皇太子の表情は硬く、まるでその存在は周囲からポッカリと隔絶されたかのようだった。

 

 誰にも聞こえないような、小さな息を吐く。

 そして、さきほど蝗害の終わりを告げたその口で、騒々しい雰囲気にあらがわないような、かといってそれを退けるような、強く澄んだ口調で言う。


「……この蝗害、飛蝗共を操っていた者がいることが判明しました。その者は『女王』と呼ばれていました……陛下、私にはがいるのではないですか? その者は、そう。この宮殿の西に住んでいるのでは?」


 その言葉に、陛下の顔色が一気に変わった。


 周りの者たちも一拍遅れで異変に気付き、先程までの歓喜から一転してふわっと声が消えていく。

 だが、シャリフ皇太子は周囲のあまりの変化にも臆することなく言葉を続けた。


「西の外れの塔は、その昔、罪を犯した王女が幽閉され自害した場所だと、私が物心着く頃には既にまことしやかに言われていました。王女の怨念が彷徨さまよい、今でも王女の悲鳴が聞こえる曰く付きの場所だと」


 誰もが静かにシャリフ皇太子の言葉に耳を傾けている。

 感情が抜け落ちたかのような国王陛下の冷えた表情に、徐々に張り詰めた空気が流れ始める。


「いつしか陛下の命で近づくことすら禁止されましたが、一度、ガルドや年の近い兄弟たちと共に塔のふもとまで近づいたことがあるのです。塔はつたで覆われ、入り口は塞がれたのかありませんでした。『なんだ、ただの古い塔じゃないか、何をそんなに怖がっていたのか』などと幼い私達が口々に言い合っていた時、塔から悲鳴が聞こえてきたのです」


 シャリフ皇太子はそう言いながら、過去の記憶に思いをせているようだった。

 その表情は暗く、わずかばかりの後悔をにじませているように見える。

 

「……私たちはその声に慌てて塔から逃げ、それ以降近づくこともなく、その後すっかり塔のことなど忘れていたのですが……今回の蝗害で『女王』の存在を知った時、その塔のことを思い出したのです。あの時聞こえた悲鳴は、ではなかったのか、と」


 シャリフ皇太子の言葉を受け、時が止まったかのように静まり返る空気に、果てしなく長い時を感じた。

 ニコラやアニー、テッドを含めたその場にいた誰もが、シャリフ皇太子と、シャリフ皇太子に問いかけられた国王陛下の様子を固唾かたずを飲んで見守っている。


「……シャールカをここに」


 ようやくサラバート国王が口を開いた。

 その言葉に、静まり返っていた周囲の集団の中から一人の女性が歩み出てくる。

 

 国王陛下の表情からは、先ほどまでの歓喜に満ちた様子は消えていた。

 もう、最初にニコラ達に向けていた興味のなさそうな様子で、どこも捉えていないような、光の消え失せた虚ろな目をこちらに向けて言う。


「シャールカに着いていくがいい。その者がお前の望みに導いてくれる」

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