29 炎魔法は、諸刃の剣だった

「素晴らしい……いや、以前のままでも十分だったんだが、まさか、さらに向上するなんて思いもよらなかった……これが天国か……」


 炎の国を出発すること数日、完全復活したニコラはノアラークで以前のように、午前中はロイドと共に雑用係の仕事をこなし、午後はボブの医務室でこり治療と魔法の修行をするという生活を送っていた。

 

 そしてこの度、サラマンダーの加護によって炎魔法の使用が可能になったニコラは、ボブの助言を得てこれまでのこり治療に炎魔法を応用し、患部を温めながらこりの治療を行うということに成功していた。

 

 光魔法のみでこり治療を行っていた時も、筋肉等の緊張をほぐす過程で血管が拡張するからか、じんわりと温かく感じるということはあったのだが、炎魔法を加えたことでより血行が促進され治療効果も格段に向上したようだ。

 以前から治療を行っていた首や肩、腰だけでなく、このという効果を求めて特に目への治療希望が増えた。

 

 ちなみに、これはニコラの魔法の教科書である『実践魔法・入門』で一番最初の炎魔法であるホット温かくなれの魔法を使用している。

 ホットの魔法は一般的に寒いときに体を温めたり、冷めたお茶を温めたりするときに使用するものだったが、光魔法との相性がすこぶる良かった。

 

 おかげで、肩等に慢性的な痛みを抱えるとともに眼精疲労も多いノアラークの面々からは、ニコラは以前以上に女神のように讃えられ、連日、治療希望が後を絶たなかった。

 次々とこなす治療に、腕前がメキメキと向上するとともに、懐具合もかなり潤い彼らから多くの知識を得る結果となっていた。


 ニコラは出発前夜に、サラマンダーから加護を得たことをアニーとヘインズには早々に報告していた。


 二人はその報告に目を見開き、時が止まったかのような静寂が流れた後、やっと再起動したかと思えば事の経緯を矢継ぎ早に質問してきた。

 サラマンダーとアイディーンとのやり取りにも一応は理解を示し、一応は納得してくれたようだが、どうも予期していた通り、いやそれ以上にサラマンダーから加護を得たという事実は大事であるらしい。


 実は炎の魔法の適性持ちは、世界的に見てもかなり多かった。

 

 ノアラークの中でもアニーとサリー、そしてテッドの3人に炎魔法の適性がある。

 しかし、一般的に言われる炎の加護というのは、得てして弱く汎用性も低い。

 

 加護のおかげで仕事が少し効率的になったり、魔石の補助があってようやく少し炎魔法が発現できるようになったり、という人が大多数だった。

 そんな中、炎の精霊王であるサラマンダーの加護を得たニコラの適性は、当然のことながら別格であった。


 ただ、炎魔法の実践は逃げ場のない狭い船内では基本できないので、まずはすでに体得しているこり治療に応用してみるのが良いだろうということになり、ニコラは治療の合間にボブに相談してみることにした。

 

 「何だか、少し見ない間に治療が向上している気がするね。皇城にいる時に練習でもしたのかい?」なんて呑気に言うボブに、「あ、サラマンダーから加護を得たんです」と何の気なしに返事をすると、ボブは座っていた椅子から勢いよく転げ落ちた。


 床にうつ伏せで硬直していたかと思えば、ぐわっと頭を上げ目を見開いてニコラを見つめ、鼻息を荒くして匍匐前進ほふくぜんしんでこちらににじり寄ってくる。


「炎の精霊王の加護を得たのかい!? キミは本当に僕の想像を超えていくね、素晴らしい! ああ、これでまた医学の新たな可能性を知ることができる! ありがとう、ありがとう……」


 ボブはそう言いながら足元で拝むように感謝しだす。

 そのあまりの気持ち悪さに、久しぶりだからとニコラに付き添ってくれていたロイドから、ボブは頭をさらに床に押し付けられニコラから引き離されていった。


「ああ、なるほど。炎の精霊王から加護を得て器が大きくなったから、結果的に治療が向上しているように見えたんだね。光魔法での治療に炎魔法を応用させるならば、炎の事象に付随する熱を利用したものが比較的簡単に取り入れられるだろう。治療効果をより高めることも期待できるよ」

 

 ようやく冷静さを取り戻したボブが、椅子に腰かけ紅茶をゆっくりと嗜みながらそう言ったのは数刻経ってからのことだった。

 意識を取り戻させるために何発かロイドに叩かれていた両頬が赤く色付いて痛々しかった。



 ⚓︎ ⚓︎ ⚓︎



「みんな、炎の国の依頼ではご苦労様だったわね。緊急依頼ということもあってかなり慌ただしかったけれど、もう疲れはすっかりとれたかしら?」


 操縦室に集まった面々を確認し、アニーがそう切り出した。

 急遽、炎の国を出国することとなって数日、炎の国のはるか上空に停滞していたノアラークだったが、ようやく次の目的地が決定したようだ。


「次の目的地だけれど、このまま炎の国を南下して土の国・ロックドロウに向かうわ。依頼内容は『Aランク・ブロア砂漠における害虫駆除』ね」


 そう言って、アニーは今回の依頼内容についてみんなに語りだす。


 土の国・ロックドロウの南部は一昨年、数百年ぶりとなる大雨に見舞われ、それに伴って『蝗害こうがい』が発生していた。


 綿花や農作物に大きな被害が出ており、国内の対処では追い付かなくなったらしい。

『蝗害』のような大規模の災害に対処できるのは、強い魔法適性持ちか、技術の粋を極めた雷の国の学者達くらいだった。


 しかし、彼らの国ははるか上空にあり、三年ごとにしか行き来することができない。

 そこで、強い魔法適性持ちか、たまたま地上に降りている雷の国の学者たちか、どちらか捕まえられないかと冒険者組合に依頼が持ち込まれたということだった。


「まずはこの依頼主であるシャリフ皇太子と合流することになったわ。どうも蝗害がかなり大規模で……現在、シャリフ皇太子自ら前線に出て陣頭指揮を執っているらしいの。合流場所は、首都のある南部のオアシスにほど近い砂漠地帯ね。およそ四日後には到着する予定だから、各々準備をしておいてちょうだいね」


 アニーがそう言うと一同は解散となったが、皆の表情は心持ち暗く、その後の口数もいつもより少ないように感じる。

 

 先日テッドに教えてもらったところによると、この『』というのはかなり深刻で、古来より天災として恐れられてきたものらしい。

 

 通常であれば単独で生息しているバッタであるが、今回のように大雨などで環境が生育に適したものになると卵を大量に産み、密集することで変異して飛蝗バッタとなり大群で行動するようになるとのことだった。

 

 その数は土の国で現在、近くにまで及んでいるらしい。

 飛蝗の天敵となる動物達の助けを借りて首都への侵攻を防いでいたものの、周囲の草も食い尽くされ、いよいよ防ぎきれなくなってきたということだ。


 ニコラは正直、虫が得意ではない。

 超過密な集団で行動し、進行上の物を食らいつくし、と呼ばれている飛蝗のことをニコラは想像するだけで恐ろしく感じていた。

 

 いつもより深刻な顔をして口数の少ない面々と、大量の虫への恐怖に体が震えそうになる。

 でもまあ、今回はこれだけ学者が揃っていることだし自分にできることは無いかと、早々に操縦室から出てボブの医務室に戻ってこり治療を再開させようとしていたニコラの元にアニーがやってきて言った。


「ニコラにお願いがあるのだけれど、あなたのを今回の蝗害対策の一つとして利用できないかと考えているの。この後、食堂で少し話をしたいから来てくれるかしら」


 考えただけでも恐ろしかった、その黒き悪魔に自分が対峙する可能性があるという事実を突き付けられ、ニコラは思わず硬直し時が止まるようだった。

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