11 魔法に、目覚める

「また明日、昼食を取ったらここにおいで。その時は『実践魔法・入門』を一緒に持ってくるといい。本を見ながら実際に魔法の練習をしていこう。あ、できれば最初の方をあらかじめ少し読んできてね」


 部屋から出る時、ボブはそう言葉をかけられた。ニコラの手には先ほどもらった辞書が収まっている。

 ボブはニコラとロイドにそれぞれ笑みを浮かべながら出入り口で軽く手を振り、自身の部屋の中に戻っていった。


「ロイド、今日は一緒に来てくれてありがとうね」


 自室への帰り道、ニコラは先ほどボブに迫られて固まっていた時のことを思い出して改めてロイドにお礼を言った。

 ボブ。大人しそうな穏やかな見た目で、熱い人だった。

 ボブの狂気を帯びた目の輝きを思い出して、ブルっと体を震わす。


「ああ……だが、ボブはニコラに強い関心を抱いているようだ。心配だから念のため明日も一緒に行ってやるよ。お前が初めて魔法を使うところも見てみたいしな。というか、ボブは明日までに『実践魔法・入門』を読んで来いと言っていたが大丈夫そうか?」


 先程、「『実践魔法・入門』は読むのに少し難しい」と言ったことを気にしているのか、ロイドが少し心配そうに問いかけてきた。

 まあ、ロイドはその本を貸してくれた時、ニコラが文字を問題なく読めるものと思って渡してきたようだったから、自分の配慮が足りなかったのではないかと気にしているのだろう。


「うん。さっきも言った通り少し難しいけど、辞書ももらったことだし少しは自分で頑張ってみるよ。心配してくれてありがとうね」

「……わかった。もし分からないところとかあったら明日の仕事の時にでも教えてやるから頑張れよ」


 安心させるために微笑みつつ言うと、ロイドは少し顔を赤くしてそう返した。

 ちょうどその時、二人はニコラの部屋の前に辿りつく。

 じゃあな、と自分の部屋の方へ向かうロイドを、ニコラは姿が見えなくなるまで見送った。



 ⚓︎ ⚓︎ ⚓︎

 


 自分の部屋に入ると、窓から部屋を満たす光は少し暗さを含み、夕方に差し掛かる頃を示していた。

 

 机に向かい椅子に腰かける。

 手に持っていた辞書を机の上に置き、その手で机に備え付けられていたランプを触って明かりを付けた。

 

 これも、光魔法の魔石が使われたものらしい。

 穏やかな明かりはほんの僅かずつ、でも確実に活力を回復させているようだった。


 一息ついた後、ロイドに借りたまま机の上に放置していた『実践魔法・入門』を手に取り最初のページを開いた。


 最初のページには目次が記されていた。

 まずは全魔法の基礎となる、魔法の概念や理論、そして魔力操作について書かれており、その後は各章にてそれぞれの魔法の実践方法が書かれているようだ。

 ニコラはボブからもらった辞書を片手に、ページを読み進めていく。


 魔法とは、『魔素』と『生命エネルギー』を融合して『魔力』を作り、『意志』によって発現する現象であるとのことだった。

『魔素』は自分の外の空気中に存在し、『生命エネルギー』は自分の中で作られる。

 

 これまでさんざん言われていたというのは、体内に蓄積できる魔素量が多いということだった。

 たくさんの魔素を蓄積できれば、その分、強い魔法を発現できる。


 そして、魔法の発現に使用する『魔力』の量は、『魔力操作』という訓練によって効率化することができるらしい。

『魔力操作』はまず、体の中を巡る『魔力』を自覚することからはじまる。


『魔力』を自覚するには瞑想などでひたすら体内に意識を集中するか、何かのきっかけで無理やり意識させるかのどちらかで、一般的でかつ最も簡単なのは、『魔道具』を利用して強制的に魔法を発現させることだった。

『魔道具』は魔石が組み込まれた道具のことだ。


 ここまで読んで、『実践魔法・入門』から目の前に置かれたランプに視線を移した。

 ランプはこの部屋で唯一の魔道具だ。

 

 おもむろにランプに手を伸ばし、明かりを消した。

 本を読んでいる間に太陽はさらに傾いていたようで、部屋は一瞬にして薄黒色の暮色に染まる。

 

 ニコラは窓越しに沈みゆく夕陽を見ていた。

 この世界は『魔素』というものに溢れ、自分の想像もつかないようなという事象が本当に存在しているらしい。

 自分が見ているこの景色にも、自分がいるこの部屋にも『魔素』なる物質が満たされているのだと思うと、なんだか不思議な気分だった。


 少しして、再びランプに手を伸ばした。

 指先含め五感にすべての意識を集中させて、再びスイッチを押す。


 ――カチッ。


 その瞬間、目の奥がチカチカと光った。

 何かが、自分の指先を通り抜けてランプの中心に集まっていった感覚がする。

 再び灯ったランプの明かりは、先ほど本を読むために付けていた時と全く別物のように見えた。


 ランプの中心から明かりを通して、小さな何かがふわふわと帯を成して放出されているように見える。

 そこにそっと手のひらをやると、帯状の何かは手のひらからこぼれるように広がり、じんわりと温かく、ゆっくりと肌表面から体内へ吸収されているようだった。

 温まっていく範囲が、手のひらから次第に全身へと広がってきて、ゆっくり、ゆっくりと、温かい何かが体の中を巡っていく。


 それが全身に満たされたとき、先ほどまで、自分には難しい内容に悪戦苦闘して酷使していた目の奥が、顔の緊張が、背中部分を中心とした全身の強張こわばりが、徐々に解きほぐされていくような感覚をおぼえた。

 自然とニコラのまぶたは閉じていき、その心地よい感覚に身を預ける。


 ……これが魔法、光魔法か……。


 この日初めて、ニコラは『魔法』と呼ばれるものを明確に自覚した。

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