10 医学と、光魔法の師匠

「あの、私ニコラといいます。光の魔法に適性があるようで……私に魔法を教えてください」


 翌日、午前中の雑用の仕事も終わって昼食を取った後、ニコラは船内で唯一の医師というボブの元を訪れていた。

 ちなみに後ろには、心細いから今日だけでも一緒に来てほしいと、お願いされて渋々ついてきたロイドもいる。

 今朝、部屋に迎えに来たロイドは、昨日を引きずる様子もなく至って普通だった。


 ボブは例にもれず褐色の肌に、ふんわりと柔らかそうな茶色いパーマがかった髪の毛で、丸い眼鏡をかけた青年だった。

 ボブはニコラとロイドの姿を確認すると、物腰柔らかに二人の訪問を快く受け入れ部屋に招き入れる。

 

 部屋の大きさはニコラの部屋の三,四倍ほどで、資料や本が多いもののそれらは本棚にきちんと整理整頓されていた。

 本棚以外に何やら液体や粉末の入った瓶がたくさん収められた棚もあり、横たわることのできる大きなベッドも置かれている。

 

 知らないものばかりで物珍しくキョロキョロと部屋を見回していると、こちらを向く何かが視界に入った。

 それは人の骸骨の模型で、目が合い息が止まるかと思うくらいビックリする。


 ボブは部屋中心部に置かれたテーブルにニコラとロイドを案内し、二人が座るとお茶を出してくれた。


「アニーから話は聞いているよ。はじめまして、ニコラ。僕はボブだ。この船で医師をしている。この部屋は医務室を兼ねていてね、僕はだいたいこの部屋か隣の私室にいるよ。当分人が来ることもないだろうから、ゆっくりするといい」


 ボブはそう言って自身も椅子に腰かけた。

 お茶の入ったカップに手を伸ばし、一口すすってふうと小さく漏らす。


「それで、光魔法についてだったね。僕も医師の端くれだし、一応少しは光魔法の心得もあるから色々と教えてあげられると思うよ。炎の国につくまで時間もあるしね」


 ボブはにこりと自信ありげに笑う。

 その穏やかな表情と態度に、緊張が少しほどけるようだった。

 

「さて……さっそくだけど今日から勉強を始めてみようか。今日は軽く、僕たち医師と光魔法についてでも話そう。ああ、これは一般知識として役に立つだろうから、ロイドも一緒に聞いていきなさい」


 もういいか? と様子を見て部屋を出ようとするロイドの雰囲気を察し、ボブはロイドに向かってそう声をかけた。

 穏やかな微笑だが、その眼鏡の奥は笑っておらず威圧感を感じる。

 

 ロイドはボブの様子に観念したのか、少しため息をついて頭を搔いたのち、いつでも出れるようにと浅く座っていた姿勢を正して椅子に深く座りなおした。

 ボブはその様子に、満足そうにうなずいて話を進める。


「いい子だね、では始めようか。まず、一般的に人の治療を行う職業は二つある。僕のような医師と、治癒師と呼ばれる人々だ。そして、これら二つの職種は根本的に性質が異なるんだ」


 医師、はさすがに知っている。

 暮らしていた村には、大きな町で医師をしていたというおじいちゃんが引退してから村に戻ってきて、体調が悪い際には良く診てもらったものだ。

 

「医師は魔法によらず、薬や手術のような主に技術的な面から患者の治療を行う。医師が治療に用いる手技はすべて医学という学問に集約される。それらを収集し理解する能力と患者に実践する環境と勇気があれば、医師は誰でもなれるものでもある」


 ふむふむとボブの言葉に耳を傾ける。

 あのおじいちゃんの家も確かに本がそこかしこに置かれていたし、村で唯一の治療を行える者ということもあって、常に不調を抱えた人で溢れていた。


 人を治療すると言えば、この医師しかニコラの頭には浮かばない。

 もう一つの職業、『治癒師』とはなんだろう?

 

「一方、治癒師は光魔法の使い手で、魔法によって患者の治療を行う。治癒師の能力は完全に光魔法の適性の強さに依存している。光魔法の適性は得難い才能だ。医師とは違い、光魔法への強い適性があるならば治癒師を目指すのがいいと言い切れるよ。それが一番、自分の身を守る手段になる」


「治癒師……私になれるんでしょうか?」


 ボブの話を聞いて疑問だった。

 光魔法に強い適性があるといっても、そのことを知ったのはつい最近だし、それまでは特にそんな能力を自覚することもなく生活していた。

 今も、治癒師として人の治療を行う才能があると言われても、どうやって治療を行うのか全く想像できない。

 

 しかし、ボブはふふっと笑みを深くして、こちらを見つめながら言う。


「先ほども言った通り、治癒師のすべては光魔法の適性だ。だから、光魔法に強い適性がある君は、すでに治癒師の卵であるともいうことができる。ほんの少しのきっかけで、治癒師としての一歩を踏み出すことができるよ。そしてそのきっかけを与える名誉を恐れ多くもいただいたのが、このノアラークで唯一の医者である僕ということだ!」


 ……なんだか少しボブの様子がおかしくなってきた。

 胸に手を当てて天を仰ぐように目を閉じ、何やら感動に胸を震わせながら「このような機会をいただけるとは、この船に乗った甲斐があった……」などとつぶやいている。


 そして、ハッと目を開き、椅子からおもむろに立ち上がってこちらに寄ってきたかと思えば、膝をつけて手を差し出し言った。


「ニコラ、一緒に光魔法の……医学の高みを目指そう!」


 その目は、完全にニコラを研究対象として狙いを定めた目だった。

 その圧の強さに思わずフリーズする。


「ボブ、落ち着いて! ニコラがビックリして固まってるから!」


 肉食動物に狙われた草食動物のごとく、ボブの視線から目を離すこともできずに固まっていたニコラの後ろから、ロイドがボブに言葉を投げた。

 ロイドは勢いよく、ニコラの手を握るボブの手をはたく。

 

「おっと、レディに対して失礼をしたね。いやあ、ごめんごめん。医学の研究がはかどると思うと、つい興奮してしまって……」


 ボブはそう言うと、危害を加える気はないと言わんばかりに両手を肩ぐらいの高さに上げ、ゆっくりと自分の席に戻っていった。

 優雅な所作でお茶を自身のカップに注ぎ、一呼吸入れる。


「まったく、これだからここの人間は油断ならない。途中で部屋を出なくて本当に良かった。ニコラも気をつけろ。雷の国の人間は、自分の研究のことになると目の色変えるから……」


「おいおい、そんな変質者みたいに言わないでくれよ、ロイド。悪かったって言っているだろう? そう、最近の医学の分野では、もっぱら魔法と医学の融合が流行っていて、僕も雷と光の魔法でいろいろ試しているところだったから、ニコラが現れて少し興奮してしまっただけだよ。もう落ち着いたから大丈夫さ」


「どうだか……おい、ニコラもそろそろ戻ってこい。残念なことだが、光魔法に詳しいのはこの船にはボブしかいないんだ。ボブから身を守りつつ勉強していくしかないんだから、しっかりしろ!」


「あ、ありがとう。ロイド」


 ロイドに体を揺さぶられて、ようやく我に返った。

「はは、ロイドは意外と面倒見がいいんだね」という他人事のような声が前から聞こえてくる。


「まあ、大丈夫だよ。本当に。ニコラは僕の弟子としてちゃんと教えるさ。治癒師の能力は光魔法がすべてとは言ったが、魔法への理解と訓練によって、治療の質を高めていくことができる。人体への理解だったり、医学の知識が大いに役立つだろう。ちなみにニコラは文字が読めるかい?」


「あ、簡単なものなら……ロイドからこの前、始祖の乙女の絵本と『実用魔法・入門』っていう本を借りて、絵本は問題なかったけど、もう一冊の方は少し難しいかなくらいです」


「そうか、じゃあ君の読み書きのレベルは雷の国の初等科はじめごろの子くらいだね。文字が読めない可能性も考えていたから、教えやすくてずいぶん助かる。それなら、この辞書をあげるよ。いつぞやの商人の荷物にあったもので、僕はもう使わないから」


 そう言ってボブは立ち上がり、壁際にある本棚の一番上に置かれていた辞書を差し出した。

 辞書にはたくさんの文字が所狭しと並び、それぞれ単語の読み方や意味、そして似た意味を持つ単語だったりが書かれている。


「師匠である僕から、弟子であるニコラへの最初の贈り物だよ」


 ボブはそう言うと、こちらに向かって善良な顔をしてニコリと微笑んだ。

 この瞬間、ニコラの弟子入りが決まった。

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