5 ロイドという、少年
「ニコラ、この子がさっきアニーが言っていた子だ。名前はロイド。彼から色々話を聞くと良い。あと、ロイドはこの船の雑用係をしている。ニコラはこれから、ロイドの仕事の手伝いをするように。この船は、働かざるもの食うべからずだからね」
ヘインズはそう言って、ある部屋の前でニコラをロイドという少年に引き合わせた後、「じゃ、俺は花達の世話があるから」と言って早々に去っていった。
ロイドのいる部屋に辿りつくまでにチラリと見えた船内は、田舎で育ったニコラにとって驚くことばかりだったけど、ヘインズの最後の言葉が一番衝撃的だった。
ヘインズってあの見た目でお花とか育ててるんだ……あ、もしかして、あの最初にいた場所で綺麗に咲いていた花もそうなのかな、意外。
そう思いながら、去っていくヘインズの後ろ姿を見送り、紹介された少年の方に視線を向ける。
先程までいた場所から離れ、船内を奥に進んだ月当たりの小さな部屋に彼はいた。
開け放たれていたドアの中を覗くと、モップや雑巾、バケツといった掃除道具が、ニコラのいる部屋の入り口から向かって左隅に置かれているのが見える。
部屋には他に、右手奥の方にベッドが置かれ、ベッドに備え付けられた本棚には所狭しと本が積まれていた。
ロイドと呼ばれる少年は、ベッドを背もたれにして、この部屋の上方窓から柔らかな明かりが差し込む場所で床に座って本を読んでいた。
年はニコラより確かに少し上の、十二,三歳くらいだろうか。
黒いサラサラの髪に、ここでは初めて見るニコラと同じ白い肌。
そして、左目の下に涙ボクロが小さくふたつ並んでいるのが見て取れる。
見えるのは横顔だったけれども、それでも彼が端正な顔立ちをしているのが分かった。
すると、ふと、彼は読んでいた本から顔を上げてニコラの方を見た。
「てかお前、だれ?」
こちらを見つめる瞳が、光に照らされて宝石のように紫色に輝いている。
「あ、私はニコラといいます。さっき、この船に乗せてもらうことになりました」
「ああ、エディ達が話していたの、お前のことか。それで? ヘインズ達に拾われて、お前もこの船で暮らすことになったんだ? で、雑用の仕事を俺に教えてもらえと」
ロイドはそう言いながら、ニコラにはもう興味がないと言わんばかりに再び手元の本に視線を戻す。
「はい……あ、あと魔法についても聞くように言われました。あなたも強い適性があるから、と」
「……魔法?」
『魔法』という言葉を聞き、ロイドは再びニコラに視線を向ける。
それは先ほどまでとは違い、ジロジロと物色するような視線だった。
「なにお前、そんなに魔法の適性があんの?」
そう
彼は床から立ち上がってニコラの前に立ち、ペンダントをじっと見つめて……一瞬、顔が曇った気がした。
「……俺はロイド。まず、雑用の仕事は基本的に午前中にしているから今日はもう終わった。仕事のことについては、明日の朝にでも改めて教えてやる。で、魔法についてだけど、強い適性があるって言っても俺は光魔法のことはよく知らない。俺が使えるのは土魔法だ。てかお前、そもそも魔法についてはどれくらい知ってんの?」
ロイドはペンダントから視線を外し、体勢を起こしてニコラとまっすぐに向き合う。
「あ、正直、全然知らない、です……魔法に強い適性があるって知ったのもついさっきだし、これまで魔法とか、存在自体知らなかったから……」
おどおどと答えるニコラから視線を落とし、ロイドは頭から足の先まで静かにニコラの全身をゆっくり確認する。
「……まあ、見たところお前、田舎の村出身だろ。それなら、魔法を知らなくても仕方ない。面倒だが、ヘインズ達にも言われているようだし、まあ、魔法のことも少しくらいは教えてやるよ」
ロイドはそう言うと、ニコラに背を向けて部屋の奥に歩を進めていった。
ベッドに備え付けられた棚の前に立ち止まり、少し思案した後、詰まれていた本の中から二冊取り出してニコラに差し出す。
渡された本に視線を落とすと、それらの本の表紙には『始祖の乙女と七つの国』と『実用魔法・入門』と書かれていた。
「これは魔法を含めた世界の成り立ちが描かれた絵本と、初心者用の魔法の入門書だ。お前にはまずはこれくらいが丁度いいだろ。その本貸してやるから、空いた時間にでも読んで勉強してこい。分からないところがあったら教えてやるから」
差し出された本のうち、一回り大きくて薄い絵本の方の表紙と裏表紙を見てみる。
そして一枚ページを開いてみた。
絵本の最初のページには、『始祖の乙女』という一人の少女が世界に降り立った場面が描かれている。
ロイドは本の中身を確認するニコラの様子をじっと眺めていた。
その視線に気付き、本から顔を上げるとロイドと目が合う。
そして、ふと、アニーが他にも彼について言っていたことを思い出した。
「あの……アニーから、あなたは私と境遇も少し似ていると聞きました。私は水の国で『水の乙女』候補に選ばれて、家を出ることになって……」
そこまで言って、静かに話を聞いてくれていたロイドの瞳から、スッと光が消えるのが見えた。
一瞬にして不穏な空気が流れ始め、途中で思わず口を
ああ、これは触れてはいけなかったことなのだろうと悟るももう遅い。
その場がしーんと静まり返る中、表情を強張らせてロイドの反応をひたすらに待つ。
随分長く感じる沈黙の後、ようやくロイドが言葉を発した。
「……俺と境遇が似ているとアニーは言ったのは、強い魔法適性のせいで親や故郷と離れることになったという点だと思う。ただ、その事実は同じかもしれないけど、そこに至った過程は多分、全然違う。お前はまだ魔法のことを知ったばかりで分かっていないだろうが、強い魔法適性を持つことは必ずしもいいことばかりじゃない。俺は……強い適性なんて、別に欲しくなかった」
ロイドは顔を歪め、絞り出すようにしてそう言った。
できた陰に、彼が背負う心の傷が少し見えたようで、知らずに聞いてしまった自分を恨む。
いつの間にか穏やかに照らしてくれていた光は傾いて部屋は橙色に満ち、影が落ち始めていた。
恨むような、それでいて何かに縋るような、低くか細い声で話していたロイドの紫色の瞳は、夕焼けを受けてチカチカと赤く燃えていた。
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