DEBA'

青いひつじ

第1話


私は今、夜の空の中を歩いている。



こういうと聞こえはいいかもしれないが、ここには、星もなければ、頼りにして歩く小さな光ひとつない。


途方もない、真っ暗な世界であった。





私は友人に、ある実験に協力してほしいと呼び出された。

内容は、真っ暗の空間の中で道を辿っていき、随所に置かれたものを手で触り、それが何かを答えていくというシンプルなものだった。

実験というよりは、ちょっとしたゲームのようである。

実験名は"DEBA' "というらしい。




「来てくれてありがとう。それでは早速始めよう」



友人は白衣を羽織り、銀縁の眼鏡をかけ、いかにも研究員らしかった。

案内されたそこは、あまりにも無機質で寂しい、白い正方形の箱のような建物だった。

扉を開けると、ひんやりとした空気が体を伝った。



「ロープが張ってあるので、それを掴みながら道を辿ってください。触れたものが何か分かれば、その場で答えてください」



私は暗闇に吸い込まれるように一歩を踏み出した。

扉が閉まると、すぐに箱の中は真っ暗になった。

かすかな光ひとつなく、言葉通りロープだけが頼みの綱だった。




私は、慎重にゆっくりと進んだ。

2、3分歩いただろうか。

奥の方で何かが輝いているのが見えたので、少し急ぎ足でロープを辿った。


近づいてみると、それは金色のポワンとした柔い光を放っていた。

夜空に浮かぶ月のようだった。

暗闇の中でも分かるほどのこの輝きは、きっとかなり高価なものに違いないと、指の腹で優しく触れ確かめた。


なぞると、取っ手のようなものが2つ両サイドに付いていた。

上の部分はラッパのように開いており、全体は筒の形をしていた。




「分かったぞ。これは、金の壺だ」



「正解です。そのままお進みください」




上から友人の声が聞こえた。

なんだ、簡単じゃないか。

これの何が実験だというのだ。

こうなれば、ただ付き合うだけも馬鹿馬鹿しいので、私は夜の空を探検している設定でこの瞬間を楽しむことにした。

私は再度ロープを掴み、夜空の中を前へとゆっくり進んだ。



また2、3分ほど歩いたところで、私の左手小指に何か触れた。

金の壺とは違い、それは暗闇では見つけることができなかった。

これまた慎重に指でなぞると、表面はザラザラボコボコとしていて、長く上の方まで続いていた。

所々横に伸びており、その先端には植物が生えているようだった。


これは、木の枝だと私は考えた。

とても細く、少しでも力を入れると折れてしまいそうだったので、すぐに手を離した。




「分かったぞ。これは木の枝だ」



「正解です。そのままお進みください」




友人は、分かるはずないと思い私を実験に呼び出したのだろうか。

だとしたら、随分と下に見られたもんだ。

いや、まぁいい。彼も論文のための研究結果を集めようと必死なのだ。

こちらが少し大人になってやろう。

そんなことを考えながら、私はまたロープを掴んだ。



どれくらい歩いただろうか。

きっと、先ほどよりは歩いていると思う。

ゆっくりと進む私のつま先に、カリッと何かが当たった。


確かめようと手を伸ばすと、それはひんやりと冷たかった。

爪が触れると、キーと嫌な音を立てた。

縁の方をなぞると大きさは窓くらいあった。

ツルツルとした表面。これはきっとガラスである。

それも、とても薄いガラスだ。

私は割らぬように触るのをやめた。




「分かったぞ。これは、ガラスの板だ」



「正解です。そのままお進みください」




そろそろこの実験も終盤に差し掛かっているだろう。

私は、今までよりも少しだけスピードを上げ前へ進んだ。


何かが、横を過ぎ去った気がして手を伸ばしたが、触れることはできなかった。

気のせいだったかと思い、私はそのまま進んだ。



2、3分歩き続け、私はその勢いのままゴチンっと壁にぶつかった。



「いでっ」



ウィーンと機械音と共に扉が開いた。

隙間から漏れる細い一筋の光がどんどん太くなっていく。

あまりの眩しさに思わず両目を覆った。



「お疲れ様でした。

まぁここに座って少し休んでくれ。

今紅茶を出すよ」



友人は私の手を引いて、丸い椅子に座らせた。

私はまだ目を開けずにいる。

奥の方から甘いハーブの香りが漂ってきた。



「改めて、ご協力ありがとう。

さて、最後のものは何か分かったかな?」



「最後の答えは、薄いガラスの板だ。

厚さは実験で使うカバーガラスくらい薄かった。

大きさは、窓くらいあったと思う。

とても慎重に触ったから壊れていないはずだ」



「そうか」



友人は背を向け、パソコンで何かを入力し始めた。



「当たりだろ?実験は成功か?」



「それでは、もうひとつだけ。出てきたものの中で、何が1番高価だったと思う」



「金の壺じゃないか。あの輝きからしてこの辺で手に入る代物ではないと見たぞ」



「そうか」

 


私の答えに、友人は少し残念そうな顔を見せた。




「なんだその表情は」



「いや、意地悪な実験をしてすまない。

実は最後、ガラスの次にシャボン玉が君の前をユラユラと浮かんでいたんだよ。

しかし君は、気づかずに割ってゴールまで来てしまった。

なーに、無意識なんだからしょうがないさ」



「では、最後の答えは、シャボン玉だったというのか。そんなの見えないんだから、分かるわけないだろ」



友人はまた私に背を向け、パソコンで何かを打ち始めた。



「最後の答えは、触れることはできないけど、壊れやすく、時に人は無意識のうちにそれを壊してしまうもの」



「何だそれ」



「人間は、形ある高価な、または繊細なものはとても慎重に触れようと努めるのに、見えないものはどうしても無下に扱ってしまう」



「、、、、、」



「存在すら忘れてしまったり、分からなくなってしまうことがある」



「つまり、何が言いたいんだ?」



「それは、何億円もする金の壺なんかよりもずっと価値があって大切なものなんだ。形はないしけれど、確かに存在している」



友人は、先ほどの金の壺を床に落とした。

破裂音と共に欠片となってしまった。



「ものは壊れてしまえば価値なんてなくなる。しかしそれは、誰かが壊そうとしたって、本当の価値を失うことはないものである」




「一体これは、何の実験だったんだ?

君は私に何が言いたい」




「これは単なる実験だからね、最後の答えはシャボン玉だったんだけど」



友人は、シャボン玉をプーッと膨らまし、ユラユラと浮かぶそれを手で握り潰してみせた。




「現実世界では何に例えられると思う?」




私にそう問いかけ、またパソコンに視線を戻した。




「本当の価値をもつもの」



私は呟いた。



部屋には、キーボードを押す音だけが響いていた。







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DEBA' 青いひつじ @zue23

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