第5話 私の名前

 家から出ると、何とも心地の良い風が吹いた。何となく小さい頃に原っぱ遊んだ記憶が蘇った。


 遠くには山々がそびえ立ち、木々の群れ、青い柵、色鮮やかな花達や野菜が目に入った。


 振り返ってみると、木造建てのログハウスが目には入った。これが女神の家か。神様らしくないな。


 柵から出て、少し木々の群れの中を入っていく。


 ミンミンゼミが鳴いているから、季節は夏かなと思いきや、遠くでウグイスが鳴った。足元では、鈴虫がリンリンと歌っていた。


 夏春秋がいっぺんに訪れている不思議な感覚は、やはり神のいる世界だからなのだろうか。


 彼らの合唱に耳を傾けているうちに、森を抜けた。


 そこには赤レンガで建てられた駅舎が現れた。少し雑草やツタが壁などに侵食されている感じが、どこか懐かしく感じた。


「ここから先は私は行けないわ」


 女神は何故か悲しそうな顔をして言った。


「ありがとうございました。その……色々とご迷惑をおかけしました」


 私は頭を下げて謝った。女神は「いいのよ、全然! 気にしないで! 向こうの世界でしなければそれでいいから」と笑顔を見せた。


 すると、何かを思い出した顔をすると、ポケットから何かを手渡された。


 広げてみると、一枚の硬貨だった。柄は書いていないが、ピンク色で五円玉ぐらいのサイズだった。


「それは私と連絡できる唯一の手段。向こうの世界に行って、もし何かあったら町の外にある公衆電話にかけて。でも、たった一度しかかけられないから」


 そして、私の頭を撫でながらこう言った。


「あなたのこれからの名前はモロー。覚えておいてね」


 そう女神は言った瞬間、強い風が吹いた。思わず目をつむってしまい、再び開けると女神はいなかった。


 目の前には、さっきまで開かれていた小道が無くなって、草花や木々がこの先に行かせまいと通せんぼしているかのように鬱蒼と茂っていた。


 私は無言で一礼した後、駅の方に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る