第6話 始まる逆恨み

本日の業務も順調に終わらせることができ、安定の定時帰宅40分前。


飲み終わったマグカップを持ちレストルームの奥にある流し台へ向かった。


ほんのりと香るコーヒーの苦味の混ざった香りが、私を包んでくる。


レストルームには、スマホと缶コーヒーをもっておさぼり中であろう人が数名おり、まぁまぁよく見る光景だ。


マグカップをすすぎ、簡単に水を切ったあと、自分のハンカチで外側を拭きながら流し台を立ち去ろうとしたその時、急に3人の女性社員に行く手を阻まれた。


1女「あなたが、吉崎さんね?」


「・・・・はい?」


1女「ここで会ったのも何かの縁だわね。あなた、百井さんだけでなく、水澤さんにまで手を出そうとお考えなのかしら?」


真ん中にいた名前も知らぬ女性社員1号が、謎めいたことを言い始めた。


(・・・・は?)


「・・・どういうことですか?」


2女「食堂で水澤さんと百井さんとランチしてたじゃない!男性二人に囲まれて、はしたなく笑っていたの知ってるんだから!いつまでもいい気になってるんじゃないわよ!」


(あぁ・・・察し。この景色とっても久々。本当に面倒ばかりで嫌になる。)


「・・・はぁ。後輩と友人と食事することがはしたないことですか?」


3女「!!っあなた!調子に乗るのもいい加減になさい?!」


私の返答が気に食わなかったのか、右側にいた3号が声を荒げて言い放った。


1女「二人とも落ち着きなさい。」


2女「でもっ!!」


1女「吉崎さん。単刀直入に言うわ。私たちからしたら、あなたの存在はとても目障りなの。あなたに百井さんはもったいないわ。だから、ぜひ自分の立場を弁えてほしいの。」


(でたよ・・・またか。弁えろってなに?そもそも、なんで私が巻き込まれなきゃいけないわけ?個人の恋愛感情に他人を巻き込まないでほしい・・・。しかもなぜそこに、水澤くんがでてくる?)


繋がらない点を必死で探すが、いくら考えても答えは出ないまま。


「・・・・。」


1女「そろそろ、諦めたらどうかしら?ご存知ない様だから、あの事教えて差し上げたら?」


(人が返答をする前にペラペラとお嬢様気取りで喋り出すこの女は一体誰なんじゃろか?)


2女「ふんっ。私土曜日に横浜へ出かけたの。そしたら偶然、私服姿の百井さんを見かけたわ。私服姿の百井さんはとってもカッコよかったのよ。いいタイミングで声を掛けようとしたけれど、よく見たら隣には品のある女性がいてとても仲睦まじそうに歩いていたわ。きっとあれはデートなさっていたんだと思うの。わかる?あなたとは大違いで、百井さんには既にお相手がいらっしゃるのよ!」


2号は私を頭の先からつま先まで目線を往復させながら、言い放つ。


(えーっと。この人たちは、百井の親衛隊?ファンクラブ的な?ん?…いや・・・・いやいやいや・・・そもそも土曜日の横浜て・・・私やん。そりゃ楽しいだろ、人の金で食べる食べ歩きほど楽しいもんはないだろ。あぁ焼き小籠包うまかったなぁ)


私はついつい先日の食べ歩きを思い出し、ヨダレが止まらなくなる。


「・・・・。」


1女「あなた!さっきから私たちの話を聞いているのかしら?」


「えぇ、一様聞いてますよ。」


3女「なッ!なんて生意気なっ!」


1女「あなた、自分の境遇を盾に百井さんや水澤さんを落とそうだなんて思わないことね。百井さんは誰にでも優しいのだから、例えあなたに優しくしたとしても、きっと同情からだわ。勘違いなさらない方がいいわよ?」


ぷつんッ––––––私の中で完全に堪忍袋の緒が切れた。


「あなた一線を超えたわね。さっきから言わせておけば・・・・勘違いも甚だしいぃ私はそもそ「おーい、そこ使わせてくれねーか?」」


私が怒りを爆発させようとしたその瞬間、聞き覚えのある声で割り込んできた男がいた。


ピンヒールで背が高くなっているケバ女3人の背後から、更にデカい熊井さんが顔を覗かせながら割り込んでくる。


「アレ?吉崎じゃないか?何やってんだこんなところで。」


「熊井さん・・・・」


私とケバ女3人を交互に見て察したのか、割って入ろうとしてくる。


「探してたんだぞ。例の件で話がある。あー、悪いが吉崎を借りてもいいか?」


「・・・・、えぇ構いませんわ。こちらからの話は済みましたので。それでは吉崎さん、またお話ししましょうね。」


そう言って、ケバ女3人はカツカツとピンヒールを鳴らしながらレストルームを出て行った。


「おい、大丈夫だったか?あんな少女漫画みたいなシュチュエーション久々に見たぞ!」


「はぁ、熊井さん・・・・。クソバットタイミングです。」


「え・・・・逆に?」


「そうですよ。売られた喧嘩は買うタイプなので私。はぁ・・・」


「お前・・・・逞しいな。」


「私、そんなにか弱くないです。メンタル鋼なんで。やられたら、やり返さないと気が済まないんです。・・・・・熊井さんのせいで逃げられたじゃないですか・・・・。」


「おぉ、なんかすまんな・・・。」


「・・・クソムカつく・・・・」


私は、治らない苛立ちをどうにか鎮めようとするが、ケバ女たちに言われたことが頭の中でグルグルと渦巻いて苛立ちは増すばかり。


冷静になろうと、テーブルにマグカップを置き、椅子に腰掛け、眉間をマッサージしながら考える。


(そもそもあの人たち誰?だめだ・・・・イライラが治らない・・・・)


名前すら名乗らない見ず知らずの赤の他人に家族の事を言われ余計に腹立たしい。

悔しさのあまり、涙が頬を伝う。


「ハッ。マジかぁ。私、情緒不安定すぎだろ・・・・。」


この程度のことで涙が出るだなんて・・・・情けない。泣いてしまっては相手の思う壺ではないか。


「え?お、おい。大丈夫か?何か酷いこと言われたのか?」


「・・・・は?・・・・ズズッ、会話の内容聞いてないのに助け舟出してきたんですか?」


「え、あぁ・・・まぁ、すまん。」


私はつい、熊井さんにキツく当たってしまう。


「はぁ・・・」


私は髪を解き背もたれに寄りかかりながら天を仰いだ。・・・・ズッ


(本当に・・・余計なことを・・・)


止まらぬ涙を拭いながら、苛立ちが更に増していく。どうにかしてこの感情を鎮めたい。


(帰ったら、久々にランニングしに行こう。マジで、無理すぎる。)


久々にこんなにイライラしてる自分がいて正直、驚いてもいる。


「なぁ、まぁあんまり思い詰めるなよ?」


不器用な熊井さんが落ち込んでいるのが表情を見てわかる。フォローしようとした結果が余計なお世話だったことに気がついたのだろう。


「グズンッ・・・・あたってすみませんでした。・・・・あと、ありがとうございます。」


「あ、あぁ。まぁ。」


気まずい空気が流れる中で、また新たに別の人物が近づいてきた。


「お疲れ様で・・・す・・・・え、何かあったんですか?」


問題の張本人だ。


「あー、あれだ。あ、おれじゃねーぞ?」


「はぁー、ズズっ。お前のセーだ、コンチクショっ」


私の苛立ちの沸点はとうに超えている。そもそもの原因はこいつなのだ。


「は?エ?!どういうこと?」


熊井さんが、見ていた状況を簡潔に話し、なんとなく察した百井は私の肩に優しく触れ、質問してくる。


「なぁ、また何か言われたのか?」


私は黙ったまま俯き、頭の中を整理する。


(そもそもなぜ水澤くんが出てきたわけ?百井とは確かに土日で色々あったから100%の否定はできないけれど、水澤くんは・・・・今日ランチしただけじゃん・・・・。それに横浜では別に特別おしゃれしたわけじゃないじゃん。

髪型が違ったくらい・・・な気がする。なんで?・・・・・・本当に・・・なんで?はぁ・・・ムカつく・・・・なんで私がそんなに責められなきゃいけない?)



––––––いくら考えても、らちが明かない。時計を見れば定時5分前。


帰って、ランニングしてお風呂沸かしてベランダで晩酌しよう。

私の行き場の無い怒りを収める時の方法はいつもコレ。


あのケバ女3人が誰なの分からない以上、消化不良で仕事に差し支えるのは避けたいし、今日のことは今日中に消化して、明日を迎えたい。


ガタンっ–––––


「…はぁ、クソだるい。…ズビっ…定時。疲れたから帰る。ズズっ」


「あ・・・おいっまてって」


パシっ–––––掴まれた腕を渾身の力で振り払う。


「後で家によっ––「来たら殺すっ」」



―――友人への拒絶。

悪いのは決して百井ではない事は分かっているつもり。

けれど、根本的な原因である事は事実。


感情をコントロールできない幼稚な自分にも腹が立つ。


百井は私のことを理解している。

だからこそ余計に苛立ちが治らない。

苛立っている時は、私の中で決めているルーティーンを邪魔されたくない。


会社の正面入り口の改札でIDを通し、どのルートを通ってランニングするかを考えながら家路へ急ぐ。


別のことを考えていないと、苛立ちが増していくばかり。


少し冷たい風が、私の頬を擦り髪をなびかせ、風に乗る髪をこめかみから耳へかけながら足元に目を向ける。

階段に差し掛かり1歩目を出したその時だった。


ドンっ!


「っえ!――ぅわ"!」


誰かに押されてバランスを崩した私は、思いっきり階段を踏み外したが、咄嗟に手すりを掴んだおかげで4‥5段踏み外すだけでことは済んだ。


(痛ったー・・・・誰よ・・・。)


明らかに両手で押された感触が背中に残っており、押された強さから少しの悪意を感じた。


それと同時に人間本気で驚くと、案外鈍い声が出るもんなんだと実感した。


そして、手すりを掴んだ左手首に少しの痛みを感じ、手をさすりながら後ろを振り返る。


まぁ、誰もいるわけがなく。


「だ、大丈夫ですか!?」「きみ!待ちなさい!!!」

一部始終を見ていた数名の社員が心配そうに声を掛けながら、散らばった私の荷物を拾い駆け寄ってくれた。

そのうちの一人が、私を突き落としたであろう犯人を見たのか追いかけてくれたようだ。


社員証をしまうためにカバンの口が全開だったので、中身が全て地面に散らばってしまっていた。


(漫画とかグッズが入ってなくて本当に良かったぁ。)


「あっ、ありがとうございます、すみません。」


そういって受け取りながら痛めてしまった手首さすりながら受け取り、立ち上がろうとする。


―――ズキっ!


痛みのする足へ目を向けると右足のふくらはぎの外側頭を全体的にがっつりズル剥けていて、びっくりするほど血祭りになっている。


「うわっ、えぐ・・・・」


(これで電車乗ったらヤバそう・・・)

「大丈夫ですか?立てますか?よかったら使ってください。」


さっきパスケースを拾ってくれた社員が心配そうにハンカチを差し出してくれた。


「あっ!ありがとうございますっ、やっ、でも大丈夫です!汚してしまうので。見た目ほど酷くはないんです、ははは・・・」


せっかく差し出してくれたが、とてもきれいなハンカチだったので、血まみれにするのも申し訳なく流石に断った。


「え、先輩?・・・どうしたんで・・・っ!大丈夫ですか?血めっちゃ出てるじゃないですか!」


「え、あぁ水澤君。・・・あはは、ちょっと踏み外しちゃって・・・」


「違いますよ。さっき誰かに突き落とされたんです。私、後ろ姿だけですが見ましたよ!今、別の方が追いかけてくれてます。」


「突き落とされたって・・・と、とにかく病院行きましょ!」


「い、いいって!大丈夫!ほんっとに。見た目ほど酷くないから!」


「何言ってるんですか!先輩!あ、なら会社の医務室行きましょう!それ、絆創膏1つで治る傷じゃないですよ!」


医務室なら・・・いいか・・・。

ある程度の設備がそろっているはずなのでこの程度なら治療出来るであろう。


「あ、う、うん。・・・」


とりあえず、移動するにもこの滴っている血をどうにかせねばと思い、自分のハンカチをひろげてそっと被せた。


「いて・・・」


みるみるうちに、タオル生地のハンカチが血で染まっていく。


「それじゃ足りないですよ。これも使ってください。」


そう言ってさっきのハンカチの女子社員が自分のハンカチで優しく血を拭ってくれた。


「あっ、もうしわけない・・・。せっかくのハンカチが・・・」


「何言ってるんですか、こういう時に使わずにいつ使うっていうんですか。」


「うぅ・・・ありがとうございます。」


「そうですよ。とりあえず、僕のも使ってください。軽く縛ってから行きましょう。」


「う"、はい。」


「あ、おねーさんよかったら名刺交換してくれませんか?後ほどお礼もしたいので。」


水澤くんは私が言うよりも先にハンカチの女性に声をかけた。


「お礼なんていいですよ。困った時はお互い様でしょう?でも・・・もし警察が絡んでとかの話になるなら、私が見たこともちゃんと証言として役に立つだろうから、名刺は渡しておきますね。私、今井洋子(イマイヨウコ)といいます。営業職なので商談中以外は大体連絡取れるのでいつでも連絡ください。」


そう言って、私と水澤くん両方に名刺をくれた。


今井さんはどうやら隣のビルの外資系企業にお勤めのエリートらしい。


初対面でも解る、滲み出る品格と美しさがエリートを物語っている。


「ありがとうございます。頂戴します。僕は水澤俊と申します。僕も営業をしていますので何か機会があればよろしくお願いいたします。」


「頂戴します。」


「すみません。私は内勤なので名刺がありませんのでご挨拶だけで・・・。吉崎菜々美と申します。改めて、ハンカチありがとうございました。」


「いいえ。跡が残らないと良いわね。」


「じゃぁ、僕先輩を医務室まで運びますね。」


「えぇ、お大事に。」


水澤君が肩を貸してくれて片足を引きずりながら医務室まで運んでくれた。


医務室までの道中、退社時間も相まって注目を浴びてしまい、エレベーターにはすぐ乗れたが、また噂が飛び交いそうだ。


犯人らしき人物を追いかけてくれた男性が途中で戻ってきたが、途中で見失ってしまったらしい。


その人とも名刺を交換し後日改めてお礼に伺うと伝えた。


「よし、とりあえず治療は終わったよぉ。これ紹介状ね。」


「え?紹介状ですか?」


「うん。足の傷は数日でカサブタになるだろうけど、手首がねぇ。折れてはないだろうけど、ここだとレントゲン取れないからさ、ちゃんとした病院に行ってギブスはめてもらおうね。多分ヒビは確実に入ってるだろうから。」


「…え。」


「先輩・・・・。やっぱりさっき救急車と警察呼ぶべきでしたよ・・・。」


「・・・・はははh・・・あんまり大ごとにしたくないからさ・・・。」


「もぉ〜そんなこと言って!とりあえず!今から病院行きますよ!」


「いいよ。明日半休とって行くから・・・。」


「え、何言ってるんですか。そんな状態で仕事する気ですか?」


「ん〜多分それはやめた方がいいかなぁ、今夜あたり多分熱出ると思うよ?2・3日は安静にしないと。」


「ほらぁ」


「う゛」


「とりあえず、ご家族で誰かお迎え来れる方はいる?」


「あー。大丈夫です。タクシーつかまえます。」




–––––頼れる家族はもういない。そう実感する瞬間だった。



私は、1人なのか・・・そうか・・・そりゃそうだ、今になって急にこんなことを思うだなんて・・・。


もう何年も経ったのに未だに寂しさが込み上げ瞳が潤う。


その涙と寂しさを隠すかのように私は笑って答える。


––––––ちゃんと笑えていただろうか?




「僕が送りますよ。全く!」


「え、いいよ。」


せっかく定時で上がったのだから、これ以上水澤くんの時間を奪うのはあまりに気が引ける。


「何言ってるんですか。逃げたら追いかけますよ?」


「え、怖い、やめて」


「とりあえず僕、タクシー捕まえてきますから、ここでまっててください。」


「あ、うん。ありがとう。よろしくね。」


–––––バタンッ


「さて、少しお話ししようか。」


「え?・・・・話ですか?」


「君、もう一枚紹介状を書くから必ずいくように。」


「もう一枚ですか?」


「うん。–––君は、今、いや、長期にわたって精神的に大きく負荷がかかる何かストレスを抱えているね?––––多分何年も前から。」


(・・・・医者とは、魔法使い何だろうか。それとも鑑定目スキルでももっているのだろうか?)


漫画ヲタクの私はついつい非現実的な考え方に逃げてしまう。


急にそんなことを言われてしまっては、私の仮面は医者には通用しないと言う事か。


下手に何か嘘をついても意味はないだろうから、適当に誤魔化す。


「あー、まぁ確かにそれはあるかもしれませんね。・・・でもストレスを抱えていない人間なんてこの世にいませんよ。・・・ははh・・・」


「君の表情は、非常にわかりにくいけれど、今回の診察を含め君の表情はおかしいんだ。なぜだかわかるか?」


いや、全く分からん。


手首の痛みと自分の表情がなんの関係があるというの?


私は本当に分からず、ただ頭を傾げる。


「・・・・いいえ?」


「今、ここの部分がさっきよりも腫れているのが分かるかい?」


「まぁ、確かに・・・。」


「ここまで腫れるとね、強い痛みが伴ってくる。人間誰しも、痛みが伴うとそれは表情にも現れるものだ。けれど君は今、顔色一つ変えやしない。」


「・・・確かに、ジンジンしてはいますが・・・」


「そう、それが問題なんだ。君は顔色ひとつ変わらない。そうだね・・・例えば、日常生活で何か心当たりのある問題はあるかい?例えば・・・ご家族や友人、職場で」


「いいえ、特には思い当たりません。」


私は、つい即答してしまった。

何か勘ぐられてしまっただろうか。

思い当たる節はたくさんある。

それこそ、家族・友人・職場・・・全てにだ。

けれどどうするべきなのかは、私には分からない。

全てを話してもいいが、別に私は今のところ困っていない。

自分で解決できている。・・・はず。


「そうか–––––わかった。とりあえず僕の知り合いの精神科に紹介状を書くから必ず行きなさい。いいかい?」


「・・・はぃ・・・」


––––––トントンッ––––ガチャ––––「入りまーす」


タイミングよく水澤くんが戻ってきたおかげで、気まずい空気が途切れた。


「先輩、タクシー今止めてあります。いきましょう。」


「じゃぁ、これね。お大事時に。」


「ありがとうございました。」


先生からもう一枚の紹介状を受け取り、カバンに納め医務室を後にした。


タクシーに乗り込み、住所を伝え自宅へと向かう。


外はすでに陽が落ちて、街灯が辺りを照らしている。


車窓からは残業したであろう人たちや、月曜なのに飲み屋から出てくる人たちで駅前は賑わっているのが見える。


駅周辺の明るさはまるで昼間のようだと錯覚するほどだ。


たった10分そこらしか経っていないのに、そんな明るさを眺めながら、私の頭は揺れ動く。


「先輩、着いたら起こすので寝てて良いですよ。」


「うん。大丈夫。へーき・・・」


ゆっくり流れる音楽と丁寧な運転に私の視界がだんだんと狭まっていく。


車の揺れはどうしてこんなにも落ち着くのだろうか・・・気がつく頃には脱力し、水澤くんの肩に頭が乗っていた。


「・・・ぱい。先輩着きますよ。起きてください。」


「んぅ・・・ッh。–––ご、ごめん。–––––肩、重かったよね。大丈夫?」


「全然大丈夫です。先輩の寝息可愛かったですよ。」


「ははh・・・ありがとう。」


車窓から見える景色は一変し、見覚えるある街頭と坂道に差し掛かっていた。


「もう着きますよー」


「ありがとうございます。彼女だけ降りますので今度は僕の自宅までお願いします。あ、メーターはそのままで大丈夫です。」


「はいよ。」


「え、いいよ。ちゃんと払うから!」


「先輩、大丈夫です。ここは甘えといてください。その代わり、指切りしましょ。」


「ん?」


指切りとは?・・・


差し出された小指に、反射的に自分の小指を絡ませる。


「無事に回復したら、2人っきりで飲みにいきましょうね。」


「ふふっ。何それ、別にいつでも行くのに。わざわざ指切りなんてしなくても。」


「お待たせしましたー到着ですよ」


「あ、ありがとうございます。」


「さぁ、僕との時間は終わりです。もうちょっと長く一緒に居たかったですが、悔しいですね、交代の時間です。」


「ん?交代?」


水澤くんはそう言って目線を私から窓の外に目を向ける。


それに気づいた私は視線を追いかけ振り返る。


自宅の玄関には人影があった。

けれど暗くて顔までは確認できなかった。

その人影が、タクシーに気が付きこちらへ向かってくる。

見慣れた体格、見慣れたスーツ。


「百井・・・」


なぜ・・・・。

そこには百井が立っていた。

しかもあまりいい表情をしていない。


「すみません。僕がさっきタクシー捕まえに行った時に電話しました。」


「なっ!・・・んで。」


「まだ、僕では、力になれないと思って。僕は僕のできることをやりますね。」


「ん?どう言うこと?」


ガチャンッ–––––


(ハッ––––)

何か言われると思ったけど、百井は私には何も言わず、水澤くんへと目を向ける。


「水澤、ありがとう。」


「いえ。」


「運転手さん、彼を送ったら領収書お願いします。」


「あ、はい。わかりました。」


「––––うわっ!ちょっと!まっ!」


運転手さんに伝えるなり、私の背中と膝下に腕を入れて太もも辺りに手を添えて、私を軽々と持ち上げタクシーから降ろした。


こいつに、お姫様抱っこをされるのは何度目だろうか。


「百井先輩、これ先輩のカバンです。」


「あ・・・ありがとう。」


私は受け取ろうとしたが、それよりも先に百井が後ろに下がり取らせまいと遮られた。


「うわっ!ちょっと!」


「水澤、その鞄からワインレッドのキーケースをとってドアの鍵開けてきてくれ。」


「はいはい。––––運転手さんすぐ戻るので少し待っててください。」


そう言って、水澤くんは玄関へ走った。


「・・・。」


「・・・来るなって言ったのに。」


「事情が変わっただろ。歩くぞ。大人しくしてろ。」


「・・・。」


百井の動きに乱暴さはなく、なるべく振動を与えないよう静かに歩いて玄関へ向かった。


玄関に着き真っ暗な中私を下駄箱近くのステップに座らせて、百井は器用に電気のスイッチを探し当てる、私の靴を脱がせ、そのまま待てと言い、水澤くんと玄関の外で話をしている。


扉を閉められてしまったため、何を話しているか全く聞こえない。

この待っている時間がもどかしい。

天井を見上げ、眩しい電球を眺める。

静寂が広がり、ついに待てなくなり足の痛みに堪えながら静かに立ち上がる。

実を言うと、あの時尻餅をついたせいでお尻も痛いのだ。


「いてて・・・。クリーニング出せばまだ履けるかなぁ」


この仕事用に買ったスカートは履き心地が良く気に入っていた。


けれど、尻餅をついた際に裾に血がついてしまい、時間が立っているため血が固まり黒くシミが出来ている。

他に傷ついたものがないか軽く身の回りを確認したら、ヒールにも傷がついていた。


(あちゃぁ、結構履きやすかったんだけどなぁ。)


ガチャッ–––


「おい。待ってろって言っただろーが。」


「大丈夫だって。手はともかく、足は擦り傷だけなんだから。」


「まったく・・・。」


そう言って百井は玄関の鍵をかけ、靴を脱ぎ、歩きはじめようとした私をまたお姫様抱っこした。


「ちょっt!もぅいいってば!」


「いいから。」


百井は、私を抱えたままリビングのソファーに腰を下ろし、背中にあった手が腰へ移動し、太ももを下から添えられていた手は今度は上から脚を包むような形で腰あたりに添えられた。


「はぁ。・・・」


百井は、大きなため息をしながら私の肩に顔をうずめる。


「・・・怒ってるの?」


「ごめん。」


「なんで?」


「多分、俺のせいだろ?」


「・・・まだわからないじゃん」


「でも、ごめん。あと夕方のやつも、ごめん。あの時ちゃんと追いかけて、一緒に帰ればよかった。」


「・・・起きてしまったことは、仕方がないでしょーよ。私も犯人を見たわけではないし、一瞬の出来事だったんだもの誰にも止められなかったわよ。」


「・・・。なぁ。」


「ん?」


「・・・。」


百井は顔をうずめたまま黙っている。

数秒して顔をあげて見つめあったと思ったら視線が逸れた。

乱れた私の髪の毛を整えながら優しく丁寧に耳へか親指で頬を撫でられる。

(くすぐったい・・・。)

その触り方がもどかしく、くすぐったく、肩が上がり顔を傾ける。

今度は何を言ってくるのかと考えながら、沈黙が流れる。

百井の動く手を目線で追いかけると、もう一度百井が私の目を見つめたのだ。


「・・・結婚しよ?」


「は?・・・・」


思いもよらない単語に一瞬固まったがすぐに我に帰り、私は百井の顔を両手で鷲掴みする。

怪我している方の手は痛みであまり動かせないので添えるだけだが、もう片方の手で、百井の頭を上を向かせたり、横を向かせたりして良く観察する。


「おい、何してんだ。あんまり手を動かすな。」


そう言って、百井は私の怪我をした手の腕を掴み優しく掴み顔から離す。


「いや、ついに頭のネジ外れたかと思って確認を。」


「どこも外れてねーよ。」


「じゃぁ、なんで急に結婚なのよ。」


「そのまんまの意味だよ。」


なるほど、いや分からん。


「・・・・。はぁ、答えはNOよ。今日は来てくれてありがとう。明日も仕事なんだから帰りな。」


そう言って、私は百井の膝から降りようとする。


けれど、百井はさっきよりも頑丈に腕を巻きつけ私を離そうとしてくれない。


「帰らない。今日も泊まってく。明日、お前を病院に連れて行くから。」


「は?何言ってんの。仕事があるでしょーが」


「休む。」


「休まない。」


「休む。ていうかもう連絡して有給とった。」


「はぁー?あんたって人は・・・。」


「大丈夫、PCは持ってるからリモートでも対応できる。・・・あと。ちなみにお前は2日間の有給だから。」


「は?ん?ん?ん?・・・どう言うこと?」


「もう連絡して、絹田部長に許可取ってもらった。」


「・・・・絶句。あんたの行動力に拍手喝采だわ。」


いや、本当にどうかしている。

この人は、私をドロドロに甘やかしてくる。

今までは、ここまで私に構ってくることはなかったけれど、ここ数日一緒に過ごしただけでこんなにも私を甘やかしてくるだなんて、何か裏があるんじゃないかと勘繰ってしまう。


でも、百井はこういう奴なんだ。


心を許す相手に対しては世話焼きが発動する。


そして現状、私が傷つけられたことに自分が大きく関わっているであろうと、強い責任を感じている。


けれど、こんなことは今に始まった事ではないし、百井が私の友人でいる限りそこに私が負ける事はない。


まぁ、物理的な攻撃は初めてだけど・・・。












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

同僚兼親友とシェアアウス〜私はあなたを愛さない〜 夏村トト @oyayubi72

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ