罪を知る階段

神宅真言(カミヤ マコト)

罪を知る階段


 気付けば、私は古びた家の階段の途中に立っていた。


 ここは何処だろうと周囲を見回す。ぼんやりと霞み掛かった意識の中、薄らと見覚えのある風景は、幼い記憶を浮上させる。


 ああ、ここは恐らく、私が小学生の頃に死んだ父方の祖母の家だ。母方の祖父母は私が産まれる前に病気で亡くなっている。父方の祖父も私がもっと小さい頃に事故で亡くなったので、その祖母だけが私にとって唯一の『ばあば』だった。


 私はばあばが嫌いだった。ばあばはママをよく虐めていた。頑固なばあばはマンションは嫌だとこの古い家に一人で住み続けていた。歳と共に身体が衰え、目と足腰が悪くなったばあばをママは心配してよく様子を見に行ったが、その度にばあばは口汚くママを罵った。


 懐かない私にもばあばは冷たかった。甘えてこない私にばあばは「はん、可愛げの無い子だよ! やっぱりあの女の子供だからかねえ、お里が知れるってもんだよ!」と罵声を浴びせた。


 私はばあばの家に行くのは好きではなかったが、いつも酷い言葉を浴びせられるママを一人でばあばの所に行かせたくなくて、いつも私はママに付いてあの家を訪問した。


 狭く古い二階建ての一軒家はどこもかしこもギシギシと音を立て、いつも閉めきられた襖の奥は何だかカビ臭くて暗くて怖かった。それでも私は我慢して何度もあの家を訪ねたのだった。


 ふと気付くと私の手の中に何かがあった。そっと開けると、そこには古びたネジが鈍く光っていた。錆びてぼろぼろのネジだった。私はそのネジに見覚えがあった。


 いつものようにママと一緒にばあばの家を訪問したのは、暑い夏の事だった。


 ママが作っていった料理を鼻で笑うと、ばあばは暑いから冷えたうどんを食べたいと我が儘を言い、ママはそれに抗う事無くうどんを茹で始めた。ばあばは再放送のドラマに夢中で、暇になった私は居間を離れると静かな家の中をこっそり移動した。


 私は階段が好きだった。この家で唯一好きな場所だった。私の家はマンションで階段が無かったので、この木造の階段が特別なものに思えたのだ。私はいつものように足音を忍ばせて階段を登る。


 ばあばの家の階段には手摺りが取り付けられていた。これは祖父が生前、急で危ないからと自作したものだと聞いた。


 そして私はその時、足許に何かが落ちているのを発見した。


 ネジだ。錆びた古いネジが階段の隅に転がっていた。


 何処から落ちたものだろうと私は周囲を探った。しかしネジが使われているような物など限られている。私は直ぐにネジの出所を発見した。


 古い手摺りの裏側を覗き込むと、何カ所かある壁に取り付ける為の部品の中の一つに、ぽっかりと小さな穴が空いていた。拾ったネジを合わせてみると、その穴はネジを一度は咥え込んだものの、直ぐにポロリとネジを吐き出した。どうやら古い壁板が朽ちてネジが外れてしまったようだった。


 私は他のネジも慎重に触ってみた。どのネジも緩んだり浮いたりしていて、すぐにポロポロと取れてしまった。


 どうしようと立ち尽くしていると、ママが私を呼ぶ声と、ばあばが怒鳴る声が聞こえた。どうやらうどんが出来たようだった。


 私は慌てて取れたネジを穴に適当に押し込むと、はあいと返事をして何食わぬ顔で居間へと急いだ。


 その二日後だった、ばあばが死んだと聞かされたのは。


 二階の自室から降りる途中、階段から落ちて死んだのだと言う。だから二階は使うなって言ってたのに頑固だったから……、とパパは苦い顔をしていた。


 一通りの事が済み、ママは何度もあの家へと出掛けていった。後片付けをする為だった。私はもうあの家へは行かなかった。もうママを虐めるばあばは居ないから、私が付いていかなくても平気だと思ったのだ。


 やがてあの古い家は取り壊され、それから何年も過ぎて今、私は大きくなった。手の中のネジを見て思い出す。やっと理解する。


 ああ、私はばあばを殺したのだ、と。


 恐らくは足腰の悪いばあばが体重を掛けた際に、手摺りが外れて落ちたのだろう。それは私のせいだ。馬鹿になっているネジを適当に押し込んで、何食わぬ顔をした私のせいなのだ。


 私の顔に笑みが浮かぶ。ふふ、と手の中のネジを弄ぶ。


どうして今更こんな夢を観ているのかは分からないが、私は後悔などしていなかった。今の今まで忘れていた。むしろ私がママを虐めていたばあばを殺したのだと知って、誇らしい気すらした。


 私は手の平からネジを手放した。カツン、カツン、と音を立ててネジは階段を転がり落ちてゆく。音につられるようにして階段に罅が走る。木目が割れ、階段が崩れ始める。


 ああ、階段には悪い事をしたかも知れない。あの家で唯一好きだった場所。それが、砕け、音を立てて崩れてゆく。


 階段だけではない。周囲の壁も、空間にすら罅が走ってゆく。夢の世界が、壊れてゆく。


「さよなら」


 私は小さく呟く。階段が私を飲み込んで行く。


 これは階段の復讐なのだろうか。階段が意思を持って私を断罪しようとしているのだろうか。それとも、自身が自覚していないだけで、私の中の罪の意識がそうさせているのだろうか。


 もう私にとっては、そんな事はどちらでも良かった。


 ばあばが死んでから幾らも経たない内にママが死に、そして先日、パパが死んだ。私の周囲で呪いのように家族が死んで行く。これは私の罪のせいだろうか、それとも私への罰なのだろうか。


 これでようやく、私も皆の許へと行けるのだろうか。


 私は瓦礫に包まれながら、そっと祈るように、意識を手放した。


 最後にカツン、とネジの音が響いた気が、した。


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