第17話 宋・蘇州、太湖の畔で(中編)
一行は李の屋敷に迎えられた。
主人である李の父親も歓迎してくれる。
「遠い倭国から、よくぞいらっしゃいました! それもこんなキレイな女性方が来られるとは。ささ、どうぞこちらへ」
そう言って屋敷の中でも太湖が一望できる、一番良い部屋を案内してくれた。
もっとも主人の方は「倭国からの使者で皇帝に謁見する」と言う事が重要だったのかもしれない。
準備された夕食は豪華だった。
様々な種類の点心や包子に水餃子。
魚料理として鯉の膾に揚げたアオウオに中華餡を掛けた料理などなど。
他にもソウギョの塩焼き、黒魚(ライギョ)のスープなどが大量に出される。
「さすがは太湖だけあって、様々な川の魚がいるんですね」
紫式部が感心したように言うと
「中華ではこれらの魚が普通に食べられますね。ソウギョ・アオウオ・コクレン・ハクレンは四大家魚って言われているんです。蘇州は養蚕も盛んですから、蛹なんかをエサにしてるんです」
そう李が答える。
「あれ、中国では鯉は食べないんですか? 日本では川魚と言うと鯉や鰻ですけど」
「昔は鯉は多く食べられていたんですが、唐の時代に皇帝の李淵が自分の姓である『李』と『鯉』の発音と同じと言う事で、鯉を食べる事を禁止したんです。もっとは今はそれも無くなって、だいぶ鯉も食べられるようになって来ましたが」
「そう言えば李さんも性は『李』ですものね。鯉は食べたくありませんか?」
清少納言が笑顔でそう言いつつ、そっとボディタッチをした。
またもや李浩宇は顔を赤らめる。
その様子を横目で紫式部が見ている。
宴はしばらく続いた。
李の父親は、ここで彼女たちに精一杯恩を売っておき、皇帝へのアピールとしたいのだ。
酒も振舞われたが、かなり満腹になっていた三人は適当な所で切り上げ、あてがわれた部屋に戻る。
「ふわぁ、もうお腹一杯!」
部屋に入った途端、和泉式部は寝台(ベッド)に横になった。
紫式部も寝台に腰を掛ける。
「確かにお腹一杯になったけど、魚料理ばかりだったわね。もっと肉料理も欲しかったわ。大陸の肉料理は美味しいって言うから期待していたんだけど」
「私たちが日本人だから、魚料理がいいと思ったんでしょうね、きっと」
そう言いながら清少納言は、窓際のイスに腰掛けた。
そこからは夜の太湖が見える。
そんな清少納言を、紫式部は探るような目で見た。
「清の姉君、もしかしてこの家の息子を狙ってます?」
清少納言はゆっくりとした動作で紫式部を見た。
「あら、どうしてかしら?」
「だって船で来る時から、微妙なアプローチを掛けていたじゃないですか。夕食の時も何気に李さんの隣をキープしていたし」
和泉式部がガバッと跳ね起きた。
興味津々といった表情だ。
「え、え、清の姉君、そうなんですか?」
だが清少納言の方は微かな笑いを浮かべた。
「別に狙っているって程じゃないわ。まぁ言ってみれば旅先のアバンチュール程度かな?」
和泉式部がウンウンと頷く。
「そうですよね、李さん、親切ですもんね。優しそうなイケメンだし」
紫式部が「わかってないな」と言った笑いを浮かべる。
「和泉ちゃんはお子ちゃまだからね。私はもっとワイルドな方がいいかな? アッチが弱そうだし。清の姉君は満足できるんですか?」
「アッチって何ですか?」
和泉式部の問いを二人とも無視した。
紫式部の問いだけに清少納言は答える。
「ああいう若くて経験少なそうな子を仕込むのも楽しいんじゃない。それとイザという時の保険よ」
「保険? なんの保険です?」
和泉式部ばかりか紫式部も疑問そうな顔をする。
「もし日本に帰れなかった場合のよ。私たちが乗って来た船はだいぶ痛んでいるでしょ。あのままじゃ帰れない。遣唐使だって帰国できなかった人はずいぶんいるからね」
「なるほど。でもまだ先は長いのに、ここで決める必要もないんじゃないですか? 宋の他の男も味見したいじゃないですか」
紫式部が舌なめずりでもしそうな様子でそう言うと、清少納言も嫣然として笑みを返した。
「もちろん、この先でイイ男がいたらソッチも逃さないわよ。でもね、彼は士人なのよ。科挙に合格すれば宋の官僚、エリートじゃないの。しかも実家はこの土地の実力者でしょ。つまり彼は『
「うっわ~、そこまで計算してたんですか? あざと~」
笑いながらのけ反る紫式部に、和泉式部は聞いた。
「なんですか、その士大夫って?」
「士大夫って言うのは、官僚であり土地の有力者でもある人の事を言うのよ。つまりは支配者階級、貴族みたいなものね」
紫式部の説明に清少納言が付け加えた。
「宋では貴族制度は表向きは無くなったのよ。どんな人でも科挙に合格すれば役人になれる、実力主義って事ね。でも実際には科挙になれるような学力を付けられる家って言うのは限られているわ。その土地の昔からの有力者の子弟でないと無理なのよ」
「科挙ってそんなに難しいんですか?」
和泉式部が思わず聞き返す。
「合格できるのは三千人に一人と言われているの。その三千人だってそこらに一般人じゃなくて、選りすぐったエリートな訳じゃない。科挙がどれだけ難しい試験か分かるでしょ。でもこの蘇州からは科挙に合格する人が多くて有名なのよ。そういう意味でも李さんは有望じゃない?」
しかし紫式部は「どうでしょうか?」と言って両手を広げた。
「李さんって気が弱そうですから。何度も落ちたらくじけちゃうんじゃないですか? それこそ『楓橋夜泊』みたいに気落ちして蘇州に帰って来てイジケてるとか?」
「あら、『楓橋夜泊』の作者の張継は、最後にはちゃんと科挙に合格してるわよ」
清少納言と紫式部が二人でヤイノヤイノ言ってる時、窓に近づいた和泉式部が外を指差した。
「あの、太湖のそばに誰かがいますよ」
その言葉で二人は言い合いを止め、窓の外に目を移す。
「本当ね。誰かが立っているわ」と清少納言。
「見た所、男の人みたいね」と紫式部。
「さっきからずっと同じ場所に立っているみたいなんです。なんか変だなと思って」
和泉式部がそう言うと、紫式部が目を凝らした。
「ん~、なんか李さんに似てません? 服装とかも」
その言葉に清少納言は色めき立った。
「そう? じゃ私、ちょっと様子を見て来るわ」
そう言って早速部屋から外に出ていく。
「行動はやっ! でも面白そうだから私も見に行って来るね」
紫式部がそう言うと
「ズルイ! 私一人だけ残るのは嫌です。私も行きます!」
そう言って和泉式部も一緒に外に出て行った。
●ちょっと説明
※1、包子:中華まん。中に具があるのが「包子」で、具がないのが「饅頭(マントウ)」。
※2、楓橋夜泊の解釈:作者の張継は「科挙に落ちて落胆しながら寒山寺の鐘を聞いた」という解釈以外にも、「官僚としては左遷されて蘇州に飛ばされ、落胆して鐘を聞いた」と両方の解釈があります。ここでは先の意味を取りました。
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