第10話 大団円

「こんにちは」

 と、部屋に入って声を掛けると、彼女は急に真顔になった。

「高橋さんですね?」

 と言われて、

「ええ」

 と答えると、

「国立さんからお話は聞いています。あたなが来たということは、いよいよ計画の実行ですね?」

「ええ、そういうことになります。あなたはどうされるんですか?」

 と聞くと、

「私の運命は、決まっていると思っています。そして、その運命には抗えない、というよりも、この運命は私も望んでいることで、この運命が変わってしまうと、世の中が変わってしまう。そのことは、高橋さんには分かっていると思います」

 というではないか。

 どうやら、国立議員に聞いたのか、高橋が過去からやってきた人間であるということを分かっているようだ。何もかも分かっていて、さらに、自分の気持ちに正直に話しているのだとすれば、ここは、彼女のいうことに間違いはないと思うしかないだろう。

「私は、あなたとは一心同体のような気がしているんですよ」

 といきなり言われて。

「えっ? 今日が初対面ですよね?」

 とさすがに高橋もビックリした様子だった。

「そうですよ。でもね、本当に自分の運命の人と出会うと、その瞬間、電流が走ったような気持ちになるらしいんですよ。そして、私にはその気持ちが強い。だから、あなたとは運命共同大という思いもするくらいなんです。私には、自分の未来が見えるんですよ。あなたとの未来が、そして、あなたは、私に出会うために、未来に来てくれたんだって私は思っています」

 とあすなは言った。

 その言葉は、まるで宗教団体の教祖から直接洗脳でもされているかのような感覚だった。

――洗脳されるのって、こんな感じなんだろうか?

 と感じたほどだが、洗脳という言葉は、高橋の一番嫌いな言葉だった。

 高橋は、過去の世界で、宗教団体が嫌いなわけではなかった。洗脳などというのも実際には信じていない。

「人を洗脳するというのは、実に感嘆なことでね。それだけ自分の考えが定まっていない人が多いというわけで、占いなどというのが流行っているのもそういうこと。これは、バーナム効果というのだけど、誰にでも当てはまるようなことを、あたかもその人独自の悩みのような言い方をすれば、その人は、どうして自分の悩みが分かったのかって思うでしょう? それだけ悩みを持っている人というのは、自意識も高いの。特に人から諭されている時というのは、自分だけを見て諭してくれていると思うのよね。それだけガードが甘いというのか、相手への依存心が強いというのか、皆、どれも、いい方にも悪い方にも取れる発想でしょう? それが人に暗示を掛けたり、洗脳するということの原点になるのよね」

 と言われたことがあった。

 そして、その言葉と同じことを、今ここで、あすなからも聞かされた。

「暗示と洗脳って、どう違うんだろう?」

 というと、

「暗示というのは、その人と似何かを思い込ませるのは洗脳と同じなんだけど、暗示はその人一人に掛けることで、その人独自の考え方だと思わせること。洗脳は逆に、皆同じ方向を向いていることで、全体として、大きな力に結び付けようとするものなんじゃないかって私は考えているわ」

 と、あすなは答えた。

 あすな嬢というのは、どういう人なのだろう? かなりいろいろ考えが頭の中でまとまっているようだ。

 正直、風俗嬢でここまで考えている人がいるとは思っていなかった。

 風俗嬢に偏見など持っていないと思っていたはずなのに、どういうことなのかと、高橋は考えてしまった。

「ねえ、高橋さんは、過去に戻りたいと思っているの?」

 と訊かれて、

「それがハッキリと分からないんだ。こっちの世界には、何か意味があってきたのだろうと、国立さんには言われたんだけど、その意味が僕には分からないんだ」

 と高橋は言ったが、

「それは気にすることはないと思うわよ。あなたがこの時代に存在したということだけでも、大きな意味があると思うの。でも、あなたはこちらの人間ではない。だから、こちらにきて目的を果たせば、また向こうの世界に戻れるはずよ。そのためには、こちらの世界で、目的以外のことで、余計なことをしてはいけない。それを分かっているから、国立さんはあなたを、私とさくらさんに会わせたの。私もさくらさんも、あなたにとって重要な人なので、あなたがこの世界に余計な影響を与えないという意味でも、さくらさんとの逢瀬は必要だったの」

 とあすなは言った。

「じゃあ、あすなさん、あなたは?」

 と訊かれて、

「私は、あなたと運命共同体だと言ったでしょう? これからもずっと一緒なのよ」

 と言われて、

「よく分からない。それはまるで僕とこれからもずっと一緒に暮らしていくという意味で、結婚を意味するということになるんだろうか?」

 と聞くと、

「ええ、そう、これから私はあなたと一緒に、今まであなたのいた世界にいくの。そして、そこにはあなたが戻る世界にこの私が存在しているという世界が待っているのよ」

 というではないか。

「今の話を訊くと、僕が戻る世界は、僕が生きてきた世界とは違うところに戻るかのように聞こえるんだけど?」

 と高橋がいうと、

「ええ、その通り。そのお話は国立さんからお聞きになっていませんか? 時代を行き来するということは、飛び立った世界から、同じだけ戻るということなの、つまりは、あなたがこっちで過ごした時間、あちらでも時間が過ぎているので、空白の時間ができてしまうんです。本当はあなたがいた時代にあなたがいない。それだけで、世界は違っています。でも安心してください。あなたが戻る世界では、世界は変わっているんですが、あなたがいなかったということはありません。みんな記憶の中では繋がっているんですよ。でも、他の世界に長くとどまるというのは、時間が末広がりに広がっているという観点から、リスクも大きい。そういう意味で、戻ることが約束されている人は、決まった時間しかその世界にとどまることはできない。これは歴史の運命なんです」

 と、あすなは言った。

 彼女は一体何者なのだろう? 確かに高橋もここまでではないが、タイムスリップなどの発想をいつも抱いていた。だから、あすなの言っている話も分からなくはない。それを思うと、

――彼女の言っていること、すべてが本当のことのように思えてくるし、自分も前から感じていたことのように思えてきた――

 と感じてきた。

「でも、一体、どこでどのように過去に戻るというんですか? 今の話を訊いていると、あすなさんも一緒に私と過去に戻ることになると思うんですが?」

 というと、

「ええ、それはもうすぐのことですよ。あなたと私はここで結婚するんです。その瞬間に過去に戻ることになるんですよ」

 と言われた。

「過去に戻ったあなたは、この世界ではどうなっているんですか?」

 と聞くと、

「これは私の勝手な想像なんだけど」

 と、初めて前置きをしてから。

「私はこっちの世では、いなかったことになるのではないかと思うんです。過去に戻ってあなたと新たな人生を始める。その時代には私がここまで生きてきた歴史の記憶だけが、私と一緒に過去に戻る。私は向こうに行った瞬間に、こっちの世界とは無縁の人間になるんでしょうね」

 とあすなは言った。

これからもよろしくね」

 という言葉が聞こえてきたかの瞬間に、それから少しすると、何か懐かしいが、おかしな気分に襲われた。それがタイムスリップの感覚だということを思い出したが、気が付けば、三十年前に戻っていた。

 隣にあすながいて、まだ目を覚まさないでいた。

 懐かしい光景が目の前に広がっているが、どうも、知らないものも少しあるようだった。知っている人は、皆息災だった。話によれば、未来にいた時間だけ、こちらの世界では時間が進んでいるはずなのだが、それにしても、何かがおかしい。

「今、何年なんだい?」

 と、戻った世界で、自分の弟に聞いてみた。

「何言ってるんだい。平成四年じゃないか?」」

 という。

「平成四年って、西暦では?」

「一九九二年じゃないか」

 というではないか。

 頭が混乱してきた。前にいた時代は昭和六十二年。ということは五年が経っているということか?

「数日間のつもりだったけど、五年も経っているなんて」

 と、つぶやくと、あすなが目を覚ましたのか、すぐ横に来ていて、

「浦島太郎のようでしょう? でも、時空を超えるということはそういうこと、光速で移動したのと同じことだからね。当然、時代は自分の知っている時代に戻ってくるとは限らない」

 というではないか。

「でも、人は年を取っていないよ」

 というと、

「それだって、慣性の法則と同じこと。走行中の電車の中でジャンプしても、電車と一緒に人間は移動するでしょう? 同じ理屈なのよ」

「じゃあ、時間という空間が存在していて、その空間を飛び越えたような感じなのかな?」

 というと、

「言い方の問題だけど、言いたいことは分かる気はするわ」

 と、あすなは言った。

「あなたにとって、ここから私との人生が始まると思っているのかも知れないけど、こちらの世界では、あなたと私はずっと前から知り合いで、幼馴染の結婚ということになっているのよ」

 とあすなはいう。

「じゃあ、僕たちは結婚したということ? どうして君はそのことを知っているんだい?」

「だって、私は未来から来たのよ。これから生きるはずの未来を知っている。でも、それがすべて正しいというわけではない。さっきも言ったように、時空を超えるのだから、それなりのリスクはある。この五年という歳月は、時空を超えたことでの、想定性理論的なリスクであって、当然予見できる想定内のことなの。あなたは、今は時空を超えたのを覚えているけど、私と一緒に、次第に忘れていくことになるのよ。だから、今の状況を一番把握しているのは、この私、未来から過去を見ることができるからね。もちろん、資料を参考にしただけだけど。でも、それは過去から繋がっている私の記憶がそうさせたの。未来で私が言ったように、こっちの時代に私がきたことで、向こうの時代に繋がる私は消えてしまったの。だから、あなたも最初に未来に来た時、過去で繋がっていたあなたの存在はいったん消えた。でも、未来から過去に戻って、今こうやって存在しているので、未来に行ったあなたも消えることになるの。戻ってきたからと言って、過去のあなたはいない。戻る場所もない。だから、ここから、あなたの過去が初めて作られることになる。その時に私の存在も新しく生まれるの。そのために歴史も塗り替えられた。でも、あなたが未来に行ったことには変わりない。その成果がなくなってしまうのは、本末転倒なのよ。だから、あなたが未来に存在した理由がなければいけない。そのために、あなたはこれからの人生を生きることになるの。そして、それを達成してくれるのが、国立さんということになるのよ」

 とあすなは言った。

「じゃあ、国立さんというのは、未来の自分ということになるんですか?」

「ええ、そうです。あなたが過去から未来にいって、国立さんと話をする。国立さんは、今からあなたの記憶が消えていくことで、すっかり自分が未来に来たことを忘れてしまっている。でも、あなたの存在から、自分が何をすべきかを思い出し、行動に移ることになるのよ」

「じゃあ、さくらさんというのは、どういう存在なんですか?」

「さくらは、私たちの娘になるのよ」

 とあすながいうと、

「えっ? じゃあ、親子ということを知らずに……」

「そこは心配しなくていい。あなたは倫理や道徳を考えているのかも知れないけど、実際にあなたが未来に行って行ったことは、そんなことよりももっと大切なことなの。そもそも、親子だからって何だってことなのよ。私は親子で結婚したり、近親相姦などというものを悪いことだとは思わない。血がまじりあうことで、障害者が生まれたりするとかいう話があるけど、どこまで信憑性があるんでしょうね? 昔から言われていることなので、科学的、医学的な根拠なんてないでしょう? それこそ未来人が過去に行って、医学的根拠を示したのかしらね?」

 と、あすなは、笑いながら言ったが、果たして、この笑いは、本当に笑ってすまされることなのだろうか? 本当に未来人がタイムマシンで、古代人に、

「近親相姦が悪い」

 と教えたのだろうか?

 ただ、歴史的に考えて、天皇家であったり、他の国などの王室でも、近親相姦によって続いている王朝もあるわけで、言われていることと、史実とは違っている。

 そう思うと、

「これも、歴史のねじれのようなものと考えればいいのだろうか?」

 と感じた、高橋だった。

「記憶がどんどん薄れていく気がしてきたな」

 というと、

「いよいよ、私たちもこの時代の住人としてこれからを生きていくことになるのね?」

 とあすなは言った。

「これからもよろしくね」

 という言葉だけが、消えゆく意識の中で、よみがえってくるのであった……。


                 (  完  )

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

着地点での記憶の行方 森本 晃次 @kakku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ