リントンの街にて
ボーイミーツガール(2回目とは言えない)
AD2051-04-05 20:00 (JST, 現実時間), 07:00 (MPO Local Time, ゲーム内時間)
リントンの街の南東部 路地裏
「あれ、この素材こんな値段だったっけ……?前は4万ちょっとしたような……」
大通りから3本くらい入った路地にある露店の店頭で、口にくわえていたお手製バターケーキを飲み込んで、カナタはそうつぶやいた。前々から作りたかった装備の素材の一つ、〈長尾鳥の尾〉が記憶にあるよりずいぶん安く、1万5000クレジットで売られている。記憶が正しいなら、なんと大体6割引きだ。
価格は出品したプレイヤーが設定したもので、間違いかとも思ったのだが、ちょうど2個左の露店にも同じアイテムが同じ値段で売られているということは、この価格は間違いではないのだろう。
あまりレアではないが複数消費する素材のため、以前は購入をあきらめたのだが、この値段なら手が届く。しかも必要数よりも十分多い数が売られているから、ここで揃えてしまうこともできそうだ。
ウィンドウを開いて手持ちのお金を確認して、やはり問題ないことを確認してから取引を行う。ウィンドウの決済ボタンをタップすると、システム上で代金が支払われ、かわりにカナタのインベントリに長尾鳥の尾が10個格納された。
「本来の予定とは違うけど、いい買い物が出来た……」
カナタが定期的にこの路地を見に来ているのは掘り出し物を期待してのことで、普通に装備を更新するための素材を買うために来ているわけではなかったが、それでもいい買い物ができて顔がほころんでしまう。値下がりしていた理由は気になるので後で知り合いにでも聞いてみるかと思いつつ、気分よく路地を後にして曲がり角を曲がろうとしたところで何かにぶつかった。
「きゃっ」
「ふぇっ」
変な声が出たのを自覚しながら、体のバランスを保とうとするが、うまくいかずに体が後ろに倒れこんでしまう。だが、転倒する前にぶつかった相手に引っ張られて体の位置を入れ替えられる。そのままカナタが上に、ぶつかった相手が下になる形で地面に倒れた。
「ごめんっ」
「いや、私からぶつかったようなものだから。よそ見しながら歩いていた。よくなかったな。ごめん」
謝罪をしたものの相手は気にしていないようだ。それで相手の姿を確認すると、灰色の髪に深い青の気の強そうな目、総評すれば整った顔立ちの女の子だった。背丈はカナタと同じか若干低い程度でそのせいで少し幼めに見える。どこかで似た人を見たような気がするが、思い出せない。
そこまで確認して、倒れているままなのはまずいので立ち上がろうと手に力を入れようとしたら、右手が何か柔らかいものを掴んでいることに気づいた。おそるおそる視線を下にさげると、カナタの右手がシャツの下でも自己主張している少女の左胸に指を食い込ませている。おそるおそる視線を上に戻すと、気の強そうな深い青の目がカナタをにらんでいる。
「……えーっとごめんなさい?」
「……事故だから咎めるつもりはないが、悲鳴を上げて投げ飛ばしたほうがよければそうする」
「どちらも困るんで、しないでください」
そう目の前の少女に頼んで、少女の胸を触っていた右手は地面についてから立ち上がる。そして左手で少女の左手をとって助け起こした。「んっ」という声とともに立ち上がった少女はぱんぱんと服の汚れを払っている。
身に着けている装備を見る限りでは人族のプレイヤー、つまりカナタと同じ傭兵に見える。右腰にはベルトに細身の剣を下げていて、おそらく少女のメインウェポンなのだろうと思われた。反対の左側にはマナブレードの柄が釣ってある。
防具のほうは、黒いジャケットと黒いスカート、確か現在NPCの店に売っているものの中では最高品の〈D2F2〉シリーズだったはずで、そのジャケットの内側に白いシャツを着ている。あと、触った感触だとおそらくシャツの下に何らかの戦闘用の防刃性のウェアを着ているようだ。
「ぶつかってすまなかった」
「いやこっちこそ……」
目の前の女の子は少なくとも表面上は胸を触られたことに言及するつもりはないようで、何事もなかったかのようにぶつかったことを改めて謝罪してきた。カナタと体を入れ替えて自分が下になったことからも、いい人のようだ。
「東のほうから南回りでこっちに来たところでね、色々と見て回っていたんだ」
「あー」
カナタの知る限り、東側の戦線の状況も芳しくはない。だが、火龍族と氷狼族を相手に3すくみとなっているここリントンの街周辺と違って、氷狼族のみを相手にしている分状況はシンプルだと聞いている。どちらが良い悪いということはないが、普段プレイする場所、言い換えれば傭兵にとっての稼ぎ場を変えるプレイヤーは珍しくはなかった。少女もその一人だろう。
カナタは改めて少女の恰好を観察しようとしたが、それは少女も同じようで、先に少女が口を開いた。
「よさそうな装備をしている」
「そう?」
カナタの着ている服は知り合いのプレイヤーメイド品だ。これはカナタが魔法も使う前衛系のクラスを選択していて、マイナーなビルドなので店売り品ではいい装備の組み合わせができないからだったが、褒められて悪い気はしない。
その服を観察したいのか、少女がカナタに顔を近づけてきたが、予想に反して、すんすんと形のいい小さな鼻を動かしてカナタの匂いを確認していたようだ。
「それに何かいい匂いがする。小麦粉とバターと砂糖の」
「さっきまでバターケーキを食べてたから」
「ふーん……ふーん……」
少女が物欲しそうな目で見てきたので、インベントリから自作のバターケーキを1切れ取り出す。それを少女の目の前に差し出して、右に動かすと少女の視線も右に、左に動かすと左に釣られる。
「食べる?」
「ここまできて食べさせてくれないような意地悪な男の子ではないと信じている」
「……どうぞ」
少女にバターケーキを渡すと、両手でもって、小さい口でちょっとずつかじりだした。一口食べるごとに笑顔になっているので、美味しいと思ってもらえているようだ。
「おいしい」
「ありがとうございます」
自分の作ったものを褒められて悪い気はしない。このゲームの料理関連のスキルでは味に補正はかからないので、カナタの料理の腕が少女のお眼鏡にかなったことになるからだ。
バターケーキを堪能した少女が、あらためてカナタに向かってお礼と名乗りを述べた。
「バターケーキありがとう。リリィだ」
「カナタです。そういえば、男の子ってよく分かりましたね?」
カナタはれっきとした男の子なのだが、小柄な体や女の子っぽい顔つきで、現実ではよく女の子に間違えられる。さらにゲーム内ではせっかくなので髪の長さを伸ばしてポニーテールにしていて、一方で顔や体格はあまりいじっていないので、最初から男の子だとわかる人はなかなかいなかった。
「匂いでわかるさ」
「匂い……?」
「いやなんでもない。忘れてくれ」
「それでこのあたりで何を?」
カナタが尋ねると、リリィと名乗った少女は右腰の鞘をカナタのほうに見せた。
「せっかくだからこっちで装備の更新をしようと思ってね。今の武器も悪くはないんだけど。いろいろ見て回ってたところ」
「東のほうから来たっていってましたもんね」
「そういうことだね」
さっき話したときに、リリィは東側の戦線から来たと言っていた。基本的に東側のプレイヤーも、ここリントンの街のプレイヤーも、装備を作る腕は変わらないが、敵からドロップするアイテムなどの違いで、出来上がる装備は違ってくる。例えばカナタが先ほど購入した長尾鳥の尾は東側だとあまりドロップしないので、それを使った装備も一般的ではない。
カナタに限らないが、プレイヤーのほとんどは基本的に他のプレイヤーは、たとえ所属している国が違っても、味方だと考えている。人族の5か国で六魔使徒と五龍公の計11勢力を相手にしないといけない以上、人族間で争っている場合ではないだろうというのが大体のプレイヤーの見解だ。実際、現状人族の5か国が概ね協力関係にあるのにじりじりと戦線を押し込まれているので、これが人族の中で争っていたらあっという間に全滅だろう。
ちなみに、マナプラネットオンラインにおいてはプレイヤー同士の戦闘は禁止されておらず、したがってプレイヤーキラー(PK)と呼ばれるプレイヤーもある程度いることはいる。ただPKには都合の悪い仕様として、プレイヤーの死亡時に重要なアイテムはドロップしないようになっているため、あまり問題にはなっていない。
PKのことはさておき、カナタは可能な限りほかのプレイヤーとも協力したほうがいいという考えているので、同勢力のリリィという少女にいい装備を作ってくれる職人を紹介するのはカナタの義務でもあるし、善意でもあるといえた。
「リリィさんはどんな武器が好みです?見たところ剣系の装備をしてるみたいですが」
「リリィでいい。バターケーキくれたし。武器は剣がいいね」
「プレイヤーのクラフトがいいですよね?」
「今のこれはNPCの店売りのなかでは一番とは言わなくてもかなりいい装備だからね、クラフト品がいいね。おすすめの職人が?」
「どちらかというと知り合いの店に連れて行かないと怒られるイベントが発生する系です」
知り合いの職人の顔を思い浮かべて、常々新しい客は連れてくるようにと言われているのを思い出した。プレイヤーの職人の中ではトップクラスの腕で儲けているはずなので、がめつくなる必要はないと思うのだが、逆にがめついからトップクラスの職人でいられるのかもしれない。
「つまり案内してくれても貸し借りなしとそう言ってくれるのか。いい人だなカナタは」
「えーと……今からで時間大丈夫ですか?」
「私は大丈夫だけれど、カナタは?何か用事があってここにいるんじゃないの?」
「今日は掘り出し物掘りでここにいて、むしろ今すぐのほうが時間がある感じです。あと3時間くらいしたら用事があって、ついでにいうと今から案内しようとしてる店の人も同じ場所だから行くなら早めがいいかな」
「じゃあ案内を頼む」
自分の状況を話したらリリィがうなずいたので、案内するために歩き出した。
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