街からの脱出(一緒には行けない)

「この一帯を越えれば街の外だ」

「だいぶ燃えてますね」


 今カナタ達は元は小規模な商店街があった場所の傍にいる。商店街を垂直に横切る形で抜ければ街の外に出られるはずだったのだが、建物だったものは今3階くらいの高さの炎の壁となっている。カナタは炎の壁にちらちら目をやりつつ、一方で後方を警戒しながら聞いてみた。もっとも、ここに来るまで人ともモンスターとも遭遇していないのだが。


「迂回します?」

「いや、やめておこう。念のため5mくらいは下がってくれ」


 そう言われたので引き続き後方は警戒しつつも、子供達とミズナと一緒に目測で5mくらい後退する。それを確認したリリエルが右腰に下げていた青い鞘からサーベルを引き抜いた。周りがばちばち燃えていて火の音や物がはじける音がうるさいにもかかわらず、しゃらん、という涼しげな音がカナタの耳に届いた。白い刃が炎を反射してきらりと煌めく。


 カナタ達が見ている前で、リリエルが引き抜いた細身の剣を目の前に構える。こちらからはその表情は見えないが、少しの間集中した後で静かにつぶやいた。


「《封印解放》」


 途端、リリエルの持った剣を中心に辺り一帯に冷たい風が吹き荒ぶ。周りが火に囲まれているにもかかわらず、肌寒いくらいまで気温が下がる。見ると、白い刃を小さな氷の結晶が浮いて取り巻いている。マナは本来はゲームの要素で、実際に人間にマナを扱う感覚が備わっているわけではないが、それでもリリエルがマナを集めて何かをしようとしているのが感覚的にわかる。


「《凍魔連斬》」


 その位置に立ったまま、リリエルが剣を上段に構えて振り降ろした後、返す刀で切り上げる。振った刃に合わせて吹雪のような衝撃波が二回、建物にぶち当たった。轟音を立てて、燃えていた建物が、そして恐らく商店街の道を挟んで反対側にあった建物も、大小の破片になって砕けて吹き飛ぶ。破壊のあとには建物があった場所の地面もその向こう側の道路もえぐれていた。


 破壊の跡を見たリリエルが剣を一振りしたあと鞘に納めて、くるりと振り向いてカナタのほうに歩いてきた。その表情からは感情は読めなかったが、不満そうに口をこぼしたので多分不満なのだろうと思われた。


「第一形態だと威力がいまいちだ。目的は達成したが」

「建物が跡形もなくなっているんですが」

「本来の威力なら特に何の防御効果もない建物なんか塵も残さないんだけどな」


 子供達も音と威力に驚いているが、その瞳にはカナタと違って憧れがある。カナタとしてはこれ以上の威力が自分を含めたプレイヤーに向くことは考えたくなかったが、今は助かったのでとりあえず心に棚を作っておく。


「さて行こうか」


 カナタ達の前まで戻ってきたリリエルがまた身をひるがえしてついさっき自分が吹き飛ばした建物跡に向かって歩き出す。建物が燃えていた場所は、今では家屋2戸分くらいは火が消えて穴が開いていて、通るのに苦労はしなかった。


 商店街跡を抜けると、空になっている堀があった。カナタは飛び越えられるが、子供達がいるしどうしようかと思ったら、リリエルがふっと笑って指を鳴らした。すると何もなかった空堀の上に青い魔法陣が浮かび上がる。そのまま空気に溶けるように魔法陣が消失し、3m幅くらいの氷の橋ができあがった。


「うむ。いい出来だ」

「すごいですね」


 実際にすごいと思ったのは事実だが、それ以上にリリエルがこっちを見てほめてほしそうにしてきたので、思ったままを口にした。すると満足したようにうんうんと頷いて、こちらに質問をなげてきた。


「そうだ。明かりはあるか?」

「銃のレールにマウントする用のライトなら」

「それでいい。貸してくれ」


 インベントリから取り出して渡すと、興味深そうに何回か点け消ししてから右手にもった。氷の橋から向こう側に向けて照らし出す。恐らく〈暗視〉かそれに類するスキルは持っているのだろうが、子供達のためだろう。


「もう少しだ。言うまでもないが、滑らないようにな」

「もちろん。子供達も気をつけようね」


 カナタの履いている靴はいわゆるコンバットブーツなので大丈夫だと思うが、子供達には気を付けてあげないといけない。全員でそろそろと橋の上を歩いて向こう側にわたり、そのあとしばらく歩くとどこかの道路沿いに出た。


「ここまで来れば安全だろう」

「そうですね。火の粉も飛んできませんし」


 街のほうを見ると、いまだに火と煙が天に届く勢いで立ち昇っている。だがここまで燃え広がってくることはなさそうで、一息つけそうだ。率先してリリエルが道端の石の上に腰を下ろして、手に持っていたライトも、柄の部分が細いにもかかわらずうまくバランスをとって、地面に上向きに置く。釣られるように子供達、ミズナ、そしてカナタも腰を下ろした。


「人間は休息も必要だろう。もちろんミズナも。少し待っていろ」


 そう言ったリリエルが今度は何かのボトルを中空から取り出して全員に渡してきた。光を当ててみるとボトルの中に、未成年のカナタはもちろん飲んだことはないが、ウィスキーに浮かべるようなきれいな球体の氷が浮いている。見た感じの容量は500mlのペットボトルよりは大きいくらいなので700mlくらいだろうか。


「氷の方がボトルの口より大きい」

「細かいことを気にするんじゃない。中身はただの氷水だ」

「ありがとう……ございます?」


 貰ったものはありがたくいただくことにして、ボトルのキャップを開ける。口につけたボトルを傾けるとよく冷えた水が心地よく喉を通る。仮想空間とはいえ火傷をしそうな熱波にさらされていた体にとって今は何よりもありがたかった。子供達もミズナも両手でごくごく水を飲んでいる。


「追加だ。もう1本分くらいは飲んでおくといい。残りはカナタが預かってくれ」

「どうも」


 ボトルを空にしてお礼を言おうとリリエルの方を見たら、追加でボトルをたくさん出してきた。子供達やミズナに1本ずつ渡して、残りは言われた通りにインベントリにしまっておく。



 ひとまずの安全を確保したリリエルが、ふとミズナのほうを見て恰好を上から下まで見直している。ミズナは今はカナタが渡した予備のコートを上から羽織っているが裾は地面についてしまっていた。


「ところでミズナ、マフラーは?」

「なくしました。何分混乱していたので」

「そこの子がつけてるマフラーに見覚えがあるような気がするんだけど?」

「気のせいです」


 確かに子供を助けたとき、子供の1人にミズナが火よけに青い毛糸のマフラーを渡していた。今その子がしているマフラーは端が少し火で焼けてしまっている。渡した時は年下の子供に優しくする子なんだなと思っていたが何か意味でもあるのだろうか。


「……帽子は?」

「風に飛ばされてどこかに行きました。何分この熱波で上昇気流がひどいので」

「この子がかぶっているバケットハットに見覚えがあるような気がするんだけど?」

「気のせいです」


 同じようにミズナは3人の子供の中で一番しっかりしてそうな男の子には自分が帽子をかぶせていた。女の子用だと思ったが意外と腕白そうな男の子にも似合っている。


「…………あと」

「ジャケットは焼けちゃいました。何分四方八方から火に襲われたので」

「あの子が着ているジャケットに見覚えがあるような気がするんだけど?」

「気のせいです」


 そしてミズナは一番小さい子には自分が着ていたジャケットを着せてあげていた。だからカナタは自分の予備の装備をミズナに着せたのだ。今着ているメインのコートを着せようかとも思ったが、火属性ダメージへの防御力は全属性まんべんなくケアしていた予備のコートのほうが大きかった。これはメインの装備は氷狼族と戦うことを想定していたので、水属性ダメージへの防御力を主眼に置いた装備だったからだ。もっとも先ほどのリリエルの使った攻撃の威力を見るに、今の装備だと焼け石に水のようだが。



 ミズナと子供達を見ていたリリエルが、視線を下げてマフラーをしていた子供に話しかける。


「君、そのマフラーは私達にとって大事なものでね。申し訳ないが返してくれたまえ」

「ミズナおねーちゃんがくれたんだもん」

「私達にとって大事なものを君も大事にしてくれるのには感謝する。代わりにこれをつけるといい」


 リリエルがインベントリからネックレスを取り出して子供に見せる。子供に価値がわかるとは思えないが、カナタの目から見ると高価なアクセサリには見える。見た目からすると火属性の耐性を上げるアクセサリだ。


「ミズナおねーちゃん?」

「ごめんね、でも交換してくれるとうれしいな?」


 ミズナにそういわれた子供が自分でマフラーを外して、お行儀よく丁寧に折りたたんでミズナに渡した。それを見たミズナが、リリエルからネックレスを受け取って、子供の首元に手をまわして先ほどのネックレスをつけてあげている。


 その横でリリエルはどこかと連絡を取っているようで、カナタからは見えないウィンドウを操作している。そのままカナタのほうを見ずに話を振ってきた。


「カナタも知っての通り、ここから北の旧ブランコ国立公園跡で、私達は人族と戦闘していた」

「そうですね。人族が劣勢だった、と聞いてます」

「もともと私達が優勢だったのに加えて、ここハマーリントの炎上を受けて、リーズラント公国の軍もプレイヤーも撤退している。北の駐屯地も放棄して街道沿いに南の〈リントン〉まで南下する可能性が高い」


 言いながら、カナタや子供達にも見えるように地図の映ったウィンドウを可視化してくれた。北の旧ブランコ国立公園跡から赤い線でリーズラント公国軍の推定進路が引かれている。特に異論がある内容でもないので、ふんふんとうなずく。


「そういうわけで、少し待てば人族の軍と合流して車で移動できるだろう。このライトで合図をするといい」

「なるほど、ありがとうございます」


 言われたように北からリーズラント公国の軍が通りかかるのを待つことにする。さすがに子供達を連れて足もなしに隣の街まで行くことはできそうになかったのでこの情報は助かる。一応、軍に同行しているフレンドにも連絡をとっておく。


「さて、私達は人族の軍隊と出会いたくはないんだが、出発する前にいくつか話をさせてもらっていいかな?」

「ええ、もちろん。こっちも聞きたいことはありますし」


 リリエルが席を立つのならお別れとお礼を言わないとと思ったら、まだここで時間を使うようだ。本当は戦いの話をするなら子供達とミズナには席を外してもらうべきかとも思うが、暗がりで遊ばせておくわけにもいかないのでそのままだ。ただ、せめて気を散らしてほしいと思ったので、インベントリから手作りのマドレーヌを取り出す。


「あ、4つしかない」

「……子供達とミズナに渡したまえ」


 リリエルがじーっと見ていて視線が痛いが、言われた通りに子供達とミズナに渡す。子供達はお礼を言ってもぐもぐ食べだしたが、あまりにもリリエルがマドレーヌを見ていたので、ミズナが半分に割って渡そうとしている。リリエルも半分に割られたマドレーヌを、手袋を外した右手でもって少しずつかじりだした。


「おいしい。お抱えの料理人にしたいくらいだ」

「それはどうも」

「お世辞ではないからな。こういうシンプルなものをおいしく作るのはなかなかに難しいことくらいは私でも知っている」

「ほめられて悪い気はしないけど」


 このゲームにおいては〈料理〉スキルがあっても味自体には影響がなく、あくまで味は作成者の腕によるものなので、たとえば効果が高いがとてもまずい料理や効果はないが三ツ星級の料理などが存在しうる。なので、味を褒められるというのはとてもうれしいことだった。子供達も笑顔になっているし、リリエルに至っては尻尾がふりふり動いている。


 マドレーヌを咥えながら、リリエルが右手で操作をして先ほどとは違うマップをライトの上に呼び出した。ワイヤーフレームでハマーリントの街周辺の3D地図が表示される。もっとも今まさに燃えている最中なので表示されている街並みは古い情報なのだろうが。


「本題だが、火元は?」

「たぶん、一番大きかった1か所は採掘した後の選鉱する場所じゃないかと」

「複数箇所から火が上がったのか?」

「僕はたまたま選鉱する場所に背を向けてたんですが、爆風は後ろから来たけど、右前からも火の手は上がっていました。それに火の手が上がった後、ちょっと時間差で火が上がったりしてましたし、複数個所でもないと街全体が火に包まれたりしないと思うんです」

「それは道理だ」


 そう言ったリリエルがミズナのほうを見た。子供達とたわいのない会話をしていたミズナが頷いて言葉を足す。


「私は建物の中にいたんですが、確かに爆風で吹き飛ばされた後、周りの複数方向で燃えてましたね。大きい音が聞こえてきたタイミングも何回か」

「ふむ……つまり事故ではなく人為的に焼かれたということか」

「その、聞きにくいことを聞いても?」

「かまわないぞ、カナタ。こちらだけ情報をもらうというのも不公平だしな」

「今回の件は氷狼族が引き起こしたわけではないんですか?」


 そう聞いたカナタに、一瞬の沈黙の後でリリエルがカナタの瞳に視線を合わせる。一拍置いて左手の人差し指を立てて答えた。


「ひとつ、先ほども説明したが、氷狼族と人族はここから北にある旧ブランコ国立公園跡で戦闘をしていて、氷狼族が勝利するところだった。わざわざここハマーリントを焼く理由がない。いずれ手に入るものだからだ」


 左手の中指を追加で立てる。


「ふたつ、ハマーリントよりもミズナの方が重要だ。ミズナがいる状況で街を焼いて危険にさらすなど馬鹿げている」


 さらに薬指を追加で立てる。


「みっつ、民間人に被害を出すのは可能な限り避けることにしている。警告もなく街ごと焼くなど許容できない」


 そしてカナタの前で小指を立てた。


「そして最後に、私達氷狼族は例外的な状況を除いて強い火属性の攻撃は出来ない。火属性のアイテムを作るのも同様で、考えたくないくらい非効率だ。まだこの街全体を氷漬けにするほうが現実的だな。名前の通り、というわけだ」

「例外とは?」

「他人の火属性の攻撃に対してバフを乗せるくらいはできるし、爆発物を準備するためのお金や素材くらいは提供できるさ。火属性のアイテムを使うこともできはする。威力は下がるが」

「どう考えてもこの現状とは一致しませんね」


 カナタも氷狼種や人狼種と交戦したことはある。確かに、氷狼族との戦闘で火属性の攻撃をしてきたことはなかった。


「つまり私達氷狼族ではないというのが、本音でもあるし、建前でもある」

「詮無いことを聞きました。ごめんなさい」

「当然の疑問だから構わないさ。状況からして誰だってそう思う」


 そうは言うものの、カナタもリリエルもしばらく次の会話が出てこなかった。リリエルが何を考えているか、あるいは、何かをしているかは分からなかったが、カナタは燃える前の街の、特に今日の、状況を思い出していた。だが、街に不自然な様子は見当たらなかったように思う。今日ゲームにログインしてから見た場所を思い出していたが、リリエルの言葉で我に返った。


「他の人は見ていないか?」

「爆発が起こった後で知り合いを探している間には周りにいましたが、ちょっとして火に囲まれてるときにはもう誰もいませんでした。他の人は逃げてくれていると思いたいです」

「ここから移動するとしたら南のリントン以外にないから、逃げていれば道中で軍に拾ってもらえるだろう」

「そう……ですね」


 そこまで話したところで、北の方を見ていたリリエルの狼の耳がぴくっと動いた。ぼんやりとライトを見ていた視線をあげると遠くに光が見える。


「さて、タイムリミットのようだ」

「そういえば、その耳って聞こえてるんですか」

「聞こえているぞ。そういえばインタビューでも同じことを聞かれたな。人間の耳もあるぞ。どっちも聞こえている。聞こえている周波数帯は違うがね、便利だぞ」


 リリエルはそういって髪をかき上げて、人間の耳を見せてくれた。頭の上の狼の耳と人間の耳合わせて4つの耳が全部聴力を持っているらしい。


 そのまま立ち上がったリリエルとミズナが、カナタに挨拶をしてきた。


「またな。ミズナが世話になった」

「それでは失礼します、カナタお姉さん。街の中ではありがとうございました」

「こちらこそ。結局リリエルさんに助けてもらいましたし」

「今日のことは秘密にしてくれると助かる」

「はい」


 本人が聞いたら怒るかもしれないが、かわいらしい仕草で口に人差し指を当てている。思わず首を縦に振ってしまった。


 その後で、二人は子供達にもきちんと向きなおって挨拶をしていた。子供達もきちんと立ち上がってお礼を言っている。


「子供達もまたな」

「またね、リリエルおねーちゃん、ミズナおねーちゃん」

「それじゃあね」

「今日のことは内緒だぞ」


 子供達もリリエルのポーズを見てこくこくと頷いている。それを見たリリエルとミズナは道を外れてゆっくり歩きながら暗がりの中に消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る