今昔の淵

梶木冴氣

今昔の淵

はじまりは電子カルテがまだき世に覗き覗かれ覗かせしも


婦人科医は講義に漏らす内緒ごとカルテ表紙のマークの意味を


知らぬ間に白き木綿のTシャツの背中に醤油を落とされていた


婦人科医は「もう死んでいるかも」と事務員を呼び込み嵌めたと証言したい


青年の手ごと撮られて地に落ちて蛇に呑まれて蜷局の中に


「生きていて、くれて良かった」青年の遺した言葉に繋がれている


吊りの「り」に巻き込まれたる脚の見ゆ人助けしたかった青年の


沈みゆく青年の手が掴めない 息のできない今昔の淵


紺色のシルエット君は伝えたり、放たれたいと気になることを


柔らかな観音様の手にまみえたちまちうみにたちたるわたし


筆をもて青年の手を描き初むる いつしかまなこのいずみはきゆる


手習いを増やしガムシャラ鎮めんと無垢なる墨を滲ませぬよう


手倣いの仏画絵に込める念のあり青年の命はかくに尊し


婦人科医の子孫を探し訪ねゆき墓に手錠を手向けてあげたい


民ありき公人なるぞ立ち上がれ 法網潜りし確信犯を


教会の絵のサタンが重なりぬ 十字架を持ち書き継ぐマウス


心音を聞きつけ猫は淵にいる吾の時計を戻してくれる


癒ゆために登るにあらず息を吐き息を吸うため強くなるため


時の来て咲いて和ませ飾られる雌蕊の意思の知る由もなが


嘲られ好奇に晒され蔑まれ 琵琶湖のごとく凪になりたい

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今昔の淵 梶木冴氣 @kajikisaki_57

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